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2017年 10月 15日 *
それは停滞というのではないだろうか。

何もないことへ感じていた危機感がいつの間にか消え、何も感じなくなる。
不快感はあるものの乗り切れない程ではなく、時間をかけてゆっくり消化されていく。
消化といっても体に吸収されることはない。
ルーチンワークのように不純物は体外に排出され続ける。

もう自分は何年も前に死んでいるのだ。
あとの残り時間はもう何もなくていいのだ、そう言い聞かせて納得させている。

何だかわからない。
時々堤防が決壊したかのように涙が止まらなくなる。
その気持ちをどこにぶつけたらいいかわからず、呼吸が乱れ子供のように声をあげて泣く。

原因の一つ一つを探ってみたところで何かわかる訳でもない。
悲しいとかつらいとかの言葉は何の意味もない。
かえって真実から離れてしまう。

自分の中でイメージする風景があり、その世界に絶対的な存在感がある。
それに比べて今自分の目の前に突きつけられている現実はあまりに違う。
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2017年 10月 01日 *
こういう大ヒット作品はなかなか見る気が起こらないものだけど、ちょっとした時間が出来たので…。
気象現象にファンタジー要素が入るのは「いま、会いにゆきます」や「オーロラの彼方へ」が思い浮かぶけど、このアニメも面白かった、やっぱり。
終わってみると短い、もっと見たい、って気になっている自分がいた。

見る前は宣伝に対する先入観というか、あの画風にしても東京はあんなに綺麗じゃないだろ、と一人心の中で突っ込みを入れていた。
ただまあ現実があまりに糞だからアニメの中くらい良いんじゃないか、という気持ちに変わっていった。

自分の思い描く「他人の記憶が入ってくる感覚」と少し通じるものがあるけど、少し違った。
このアニメは両方とも現実世界の出来事で、二人は過去に会っていることから、同じ世界を共有している。
「他人の記憶が入ってくる」という意味では映画「クリミナル 2人の記憶を持つ男」にもそういう描写がある。
ただ最近思うに、忘れてはならないのは、記憶にしても感覚にしてもそれを受容する「ハードウェア」が必要だということ。
他人の記憶や感覚を切り出して移植したところで、最終的には肉体がなければ成立しない。
そのことを抜きにして語ることはできない。
だが、どこからどこまでが肉体でどこからどこまでが精神が司るかと聞かれると線引きは難しい。
記憶だけ移植するといっても範囲が大きければ本人の性格さえも変化しかねない。
つまり、自分ではない、ただの他人になってしまう可能性がある。
記憶が入ってきたと自覚できれば御の字で、能力を移植したはいいが人格まで変わってしまったという事態になりかねない。

前にも書いたけど、異世界にも電車はちゃんとあって、車内には詳細な路線図も掲示されている。
その路線図は一体どこから来たのか。
現実世界でも僕はこれまで何十年も生きてきたけど、乗ったことのない路線は沢山ある。
そうした路線に乗り、これまで見たことのない詳細な路線図を見ることは可能だ。

自分の知らない所で毎日毎日、知らない電車が時刻通りに動いている。
そこには詳細な路線図があり、毎日毎日、知らない誰かがそれを利用し、自分の知らない日常が動き続けている。
僕は初めて乗る電車の中で思う。
こんな風景があったのかと。
それだって、本当は不思議なことなのかもしれない。
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2017年 09月 28日 *
selector WIXOSS を最後まで見た。
過去に見た事があるのだが、その時は事前情報を知らず、なぜか2期の第一話から見てしまった。
その時は話に全くついていけず視聴を断念したのだった。
今回やっとまとまった時間が出来たので、1期1話から見ることにした。

第一印象として、このアニメって果たしてカードの拡販になっているのだろうか、と心配になってしまった。
例えていうなら、この世界のカードはアウターゾーンでミザリーが露店で売っているような呪われた商品で、関わった人物みんなを不幸にする。
ここまでのものを24話も途切れることなく構成しているのは、エンターテイメントとしてすごいと思う。
ただホラーというかシリアスというか、方向性がはっきりしているので、そういうものが好みでない人には向かないかもしれない。

アウターゾーンが出てきたからついでに言うと、あの作品の魅力は、過去のおとぎ話やホラー作品に見られる物語の決まりごと(ルール)を破るところにあると思う。

個人的にダンガンロンパやFLATのシークレットゲームのような世界観は好きだ。
登場人物は誰かを殺さなければ自分が殺されるみたいなルールを強制的に突きつけられるのだが、終盤でそのルールを攻略(あるいは克服あるいは打破)していく展開に面白さを感じる。

アウターゾーンの作者自身も何本ものホラー映画を観て、こういう終わりだったらいいのにという悔しさを作品に反映させていると語っている。
世に出回る作品群というものはだいたいストーリーは決まっていて、それはその方が何かと都合がいいからそうなっている。
その型を崩してしまうと多くの場合において作品に魅力がなくなってしまうからお約束通りの展開に落ち着く。
その方法論は決して間違っていないのだが、個人的にはそこに新しいものを付加して物語を全く違うものに仕立てる精神のもと作られた作品の方に魅力を感じる。
作品としては失敗していたとしても、型にはまった作品を見るより結果的によかったと思える。
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2017年 09月 26日 *
電車の中でみんなスマホをいじっている事について苦言を述べている人は、きっと電車の中でスマホをいじっている側の人間ではない。
20年前と比べて景色が様変わりして、人も変わったように見えて気味が悪いと感じるのかもしれない。

友達なんていなくていいと言う人がいるけど、いないよりいた方がよっぽどいいだろうと思う。
逆に、人と関わらなくて、閉じた世界で生きて、一体何をするんだと思う。
携帯でもメールでもSNSでも、一方通行じゃなくて、人と会話するのはいいことじゃないか。
相手のいない自分だからこそ自信を持って言える(笑)。

引きこもりが登場する作品は多い。
アニメだとあの花とか。
今期だと天使の3Pとか。
まだ冒頭しか見てないけど、OVERDRIVEのキラ☆キラみたいな本格的な音楽アニメになるのだろうか。
舞台が児童養護施設で、その辺も物語とどう絡むのか気になる。
施設と言えば、るーすぼーい氏の関わった夏の燈火も里子の話で、作中であまり触れられていないからか、あまり話題にならないけど。
施設や里子というと、虐待とかネグレクトとか、ちょっとネガティブな要素が連想されるので、アニメだとどの程度出して来るんだろう。
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2017年 09月 01日 *
今季の覇権は「ひなろじ」なんだよなぁ…
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2017年 08月 25日 *
先日うっかりイヤーピースをシャツのポケットに入れたままクリーニングに出してしまった。
最初はイヤーピースをどこかに落としたかと思って部屋を探したりしたが、どこにも見つからなかったのでシャツのポケットしか考えられなかった。
シャツが戻ってきたら無事にイヤーピースは見つかったが、その間、他の機種のイヤーピースを代わりにはめて使っていた。

外出先で自分はよくイヤホンをしている。
というかこれがないと不安で外に出たくない位には重宝している。
昔書いたけど、外で不意に大きな音がするのが苦手だ。
実際音楽は聞いていないので主に耳栓代わりの目的で使用している。
音楽は聞いてもいいんだけど、駅の発車メロディが曲を邪魔してきたりするのが嫌で気が向いた時にしか曲は聞いていない。
頻度としては月に数回程度。

機種は特に拘りがある訳ではなく、最低限の音質が確保できればそれでいいと思っている。
色々な雑音が入ってくる屋外で使用するためのイヤホンに音質を求めても…。
使用しているのはMONSTER MH TRON IE BX で、値段の割に音は良い。
当時、UE100のコスパが優れていると話題になっていたけど、コスパの面ではこちらの方が断然優れていると思う。
だがMH TRON IE BXは既に生産中止しており入手手段がない。
これに代わる後継機種として挙げられるのが同メーカーのMH HJ WIKD IEである。
音質はMH TRON IE BXとほぼ同等でありながら、現在2500円前後で入手可能。
はっきり言って個人的にはこれを20個くらい確保しておけば死ぬまでイヤホンには困らないのではないかと思う。
MH TRON IE BXの時はメーカー保証期間がなんと3年間もあり、途中で断線したとしても交換対応してくれた。
イヤホンは所詮消耗品であり、イヤーピースを紛失したり片方聞こえなくなったりすることは十分考えられる。
MH HJ WIKD IEの保証期間は一般的な1年間で、まあそれでも良心的な方だが、断線したら交換するつもりで1個しか購入しない選択肢もある。
だが、同モデルがいつ市場から消えるか分からないことを考えると、在庫処分のタイミングで複数確保しておいた方がいい。
問題はデザインが万民受けしないくらいか。
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2017年 08月 23日 *
安めの大衆食堂に場違いな老夫婦が席に座っていた。
案の定、口を開けば文句ばかり。
そこまで嫌ならわざわざ来なければいいのに、と思った。
きっと旅行先では旅館の対応に文句を言い、どんな景色を見たって昔見たものと比較してケチを付けるのだろう。
年を取るというのは、そういうことなのだろうか。
いや違う。
自分も大切なものに出会わなければ、同じように何をしたって文句を言う大人になっていた。
大切なものがあれば、ある程度の苦労なんてどうでもよくなってしまう。

ある人にとって大切なものは、他の人にとって大切とは限らない。
物がどれだけフィットするかは捉える人によって違う。
大切なものに出会えるかどうかは、その人に努力が足りないなんてことではなく、結局のところ運次第なのかもしれない。
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2017年 08月 19日 *
最近、昔の写真を見るのにはまっている。
写真をわざわざ無償でブログにアップしている人達がいるのは、本当にありがたい。

自分も昔の写真を持ってたらいいなと思ったものの、10年ちょっと前の写真しか持っていない。
それだとあまり今と変わってないから、あまり比較にならない気がする。

スカイツリーが建つ前の業平橋駅からの眺め
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確かに土地が余っているように見えるかもしれないけど、場所柄、特に魅力のある場所でもなかったように思う。
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2017年 08月 15日 *
音は鼓膜を震わせ神経細胞から情報が脳に伝わり、最終的に音として認識する。
仮に耳というインターフェースが無かったとしても、信号さえ脳に届けば音として認識される。
視覚に障害があったとしても、信号さえ脳に届けば映像として認識される。

無音なのに音を認識することは可能である。
物が無いのに物を見ることは可能である。
手足を自由に動かせるように、周囲のストレスだけで体に変調が及ぶように、形がなくとも認識が体に影響を与えるのは珍しいことではない。

記憶は一体どこから来るのか。
例えば本を読み、自分なりに咀嚼し理解を深め、実践できるようになるまでいくつかの過程を踏まなければならないが、最終的な段階を「定着後の記憶」と呼ぶことにする。
それが脳の中ではただの情報で、他人とやり取りできるものであるなら、その定着後の記憶は「誰のものか」ということが曖昧になってくる。

例えば同じ映画であっても、それを見た記憶は人それぞれ違う。
定着後の記憶が外からやって来るのか、それとも自分で作り出したものなのか、ひとまず置いておくとして、それを感じたのは自分自身か? と言われると、少し違う。

将来、定着後の記憶を人と交換することが可能になり、それがビジネスになる日が訪れたとしよう。
海外旅行の記憶を買えば、わざわざ休みを取って海外旅行に行く必要はなくなる。
一瞬で海外旅行に行った記憶が手に入るのだから。
しかしここで、一体誰が海外旅行に行った記憶かが問題になってくる。

わざわざ映画館に行ってお金を払わなくても、2時間消費しなくても、記憶を買えばそれで済む。
しかし誰が見た記憶かによって印象が180度変わるということが起こり得る。

こうなると、映画の完成度というより、その記憶の値段・価値は、誰が映画を見たかによって変わってくる。

それまで能力やスキルに価値が与えられてきた。
だが、感性というものにも新たに価値が加わるようになる。
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2017年 07月 20日 *
確かドラえもんの道具に歌手とか学者などの記憶のカートリッジを装着する話があった。
SF映画トータル・リコールにも外部から記憶を注入する描写がある。
だがこれらのよくある話とは違い、入ってくる記憶はこちらでコントロール出来ない。
まあ現実世界でも思い通りに出来ることはもともと少ないが。
とにかくそれは、こちらが望もうが望むまいが、基本的に向こうからやって来る。
そこには、世界がそこにあるという実感というか、世界観が含まれている。

かつては東京や郊外にだって、世界観というか活気というか、そういうものを感じることが出来ていた。
これは僕の個人的な問題かもしれない。
だが、そこにあったものがマンションや駐車場やコンビニに置き換わることで、確実に世界観は損なわれてしまう。
どこに行っても同じ景色なら、どこに行ったって同じなのだから。
一方、異世界には最近自分が現実世界で感じ取れなかった世界観を確かに感じ取ることが出来る。

昔、日本には城が存在した。
天守閣から街の様子を一望することが出来た。

今この世界のリアルとは何なのだろう。
ニュースで取り上げられる殺人事件や戦争や交通事故のことだろうか。
負のニュースだけでなく、逆に、多くの人を幸せにするような出来事もあったのかもしれない。
少なくとも10年~20年前くらいまでは世界の存在を自覚出来ていた気がするが、今ではそうした感覚は希薄になってしまった。
この世界で起こっていることがよくわからない。
時代が変わってしまったのか、自分が変わってしまったのか。
遠くに行けばわかるのだろうか。
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The Original by Sun&Moon