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ネットに個は存在するか
2010年 03月 16日 *
仮にネットを止めたところで薬物のような禁断症状は出てこないし、なくたって十分生きていける。
ただ便利さに慣れてしまっており、いったん扉が開かれてしまった以上、もう時代は後戻りすることはできない。

インターネットがない時代。携帯電話がない時代。
我々はそのことを忘れてしまうだろう。
そういう時代もあったのだと、誰かが証言しておかなければならない。
携帯電話がなくても待ち合わせできたし、攻略サイトがなくてもドラクエの隠し階段の場所は知っていたし、高橋名人が逮捕されたという噂も全国に広まった。
インターネットがなくてもネットワークは既に存在していた。
そしてそれは今のところ現実世界の方が広大だ。

たまにはインターネットをやめる日を作ろうと思って、半年ぶりに本屋さんに行った。
見覚えのある名前だと思ってみると、学生の頃の教授が本を何冊も出していた。
でも僕は中身を読む気になれなかった。
その教授が嫌なやつだったとかはこの際置いておくとして。
本の内容と現実世界との人格は必ずしも一致しない。
もちろん一致する場合もあるが、どういう訳か、つまらない授業ばかり行っていた教授の書く本が面白い場合がある。
ジョハリの窓でいうと他人には「自分の知っている部分」と「自分の知らない部分」が存在する。
本が面白かった場合、「自分の知らない部分」、言い換えれば授業中に見せなかった部分の扉を開けたことになる。
どうして知っている人の書いた本を読みたくないかというと、現実世界で知っていると先入観を持って読んでしまうから。
普通なら本に書かれた文章から作者を想像するのが本来の読み方であり、その方向は逆ではない。
この時、どちらの世界に主眼を置いているかを無意識的にせよ選択している。

例えばネット上で女の子と知り合いになったとする。
その人はネット上ではすごくかわいかったとする。
そこであなたは思う。彼女は現実世界でもかわいいのだろうか。
思い切ってあなたは彼女と会う約束を取り付ける。
よくある話かもしれない。
ただ現実で会いたいと思うのは、現実世界に少なくとも比重を置いているからである。
僕達が仮想世界でしか生きていないなら、現実世界のことなど最初から気にしない。

時代が進めば仮想世界が現実世界を追い抜く日が来るかもしれない。
全ての記憶や感情が電子化され、仮想世界の中だけで人を好きになれるかもしれない。
ただ少なくとも今は仮想世界は仮想世界なのであって、僕達は現実世界の中で個人として生きている。
ネット上の友達は実際に会うまではネット上の友達に過ぎない。
by nochoice1 | 2010-03-16 01:44 *
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