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考え
2005年 03月 06日 *
いつの間にかサラリーマンです。
今日は自分の将来について考えてみました。
この一連の想像をベースの理論と名付けます。
(ここでいうベース(base)の理論は、統計学のベイズの定理とは全く関係ありません。たまたま名前が似てしまったというだけです。)

ベースの理論は、以下の仮説が前提となっています。
人間は持って生まれた素質、あるいは、生まれた環境によって性質の大部分が決定してしまう。
例えば、真面目な人とか、几帳面な人とか、落ち着きのない人とか、楽観的な人とか、そういった性格の素地となっている部分は、もともと決まっている。
もちろん、努力や弛まない訓練によって短所を克服する事は可能であるが、果たしてそれをしたところで何が得られるのかを、貴重な時間を無駄にしないためにも事前に考えた方がいい。

この世の中に、悪い人・普通の人・善い人の3種類の人間がいたとして、人は元々どれかの種類に属しているとする。

もともと普通の人は、努力すれば善い人になれる。
悪い人は、努力しても普通の人にしかなれない。(もともとが悪い人だから、どんなにがんばっても普通の人くらいにしかなれない)
善い人は、何の努力をしなくても善い人である。(もともとが善い人だから当然)

なんだかものすごい反社会的かつ非生産的な考えのような気がしてきましたが、続けます。

僕はもともと人と接する事が苦手です。
だから、今の仕事を続けるのが辛いです。
それでも周囲に合わせようと必死に努力しています。
毎日会社に行きますし、おまけに深夜まで残業します。

ここで言いたいのは、自分のしたくない事をする事に時間やエネルギーを消費しているという事実です。
更に言えば、自分は働かされているだけなのではないか。
例えばなんで働いているのかと聞かれて、こう答える人のように。
「生計をたてるため、家族を養っていくため」

この会社で働き続けたところで、行き着く先をゴールとして思い描くのは難しい。
部長か、事業部長か、おかかえ運転手付の役員か、地位名声や政治力のある社長か。
この会社の社長になって何かをしたいなら、バリバリ仕事をして出世していくのもいいだろう。

だが、自分にはもともとその願望が少ない。
会社は社員の積極性・主体性・自主性を評価基準に取り入れているが、上から与えられている時点で、それは自主性でも何でもない。
主体性を持って仕事に取り組めと言われて取り組んだところで、それは主体性でも何でもないく、それは強制的に取り組まされているだけだ。

ならば、人間が一人一人が持っている性質や長所を伸ばしながら、毎日を楽しく生きた方がいいのではないか。

なんか今さらな話のような気がしてきました。
本来、自分のやりたい事や目標を持って、みんな働いているのに。
それに引き換え、僕は傷つきたくないばかりに、周囲の目ばかりを窺って生きるような人間になっていたのです。
もっとその事に早く気づいていれば。
by nochoice1 | 2005-03-06 18:38 *
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