試しにソフトウェアイコライザを使って調整を行った。
意外なことにソフトウェアイコライザを通しているのに音質劣化は感じられなかった。
なので本体にテープを貼ったりするよりもこちらの方がいい。
調整内容としては、中音域を減衰させ、低音域を増幅させた。
このことから、TH-7に一定の出力をかけた時に、音質は中音域が増幅し、低音域が減衰する特性があることがわかる。
この音質だとボーカルの確認に使うにはいいのかもしれないが、音楽のリスニングにはちと厳しい。
フラット化したTH-7の音はモニターと呼ぶにふさわしく、一つ一つの音が明瞭に聞こえる。
ただしそれで音を聞いて楽しいかと言われるとまた別問題となる。
CDやHDDに保存した音楽はその時点ではデジタルデータであり、単なる一定時間ごとにプロットしたデータの集合に過ぎない。
その不連続な値をアナログデータに変換するのがDACの役割であり、アナログデータを空気の振動として出力するのがスピーカー・ヘッドフォンの役割である。
モニターヘッドフォンから聞こえる音は明瞭だが無機質だ。
一方、AH-D501から聞こえる音はそうではなく、気持ちのいい音。
言い換えれば、快楽中枢を直接刺激する音と言うべきか。
それは聞いた瞬間から感じることで、それがこのヘッドフォンを未だ手放せずにいる理由となっている。
TH-7は1万円クラスのヘッドフォンを凌駕する程音がいいとよくレビューに書かれている。
他の人が言っているからきっとそうなのだろう。
ただTH-7でお気に入りの音楽を鳴らしたところで、音の一つ一つは明瞭であれど、「あ、鳴ってるな」と感じるに過ぎない。
精密さが求められる作業、例えば耳コピや音のチェックには使えても、それで曲を聴くとどこか冷めてしまう自分がいる。
やはりモニターヘッドフォンは一般向けではないと思う。
この違いは一体どこから来るのだろう。
なぜAH-D501の音は聞いていて気持ちがいいのだろう。
どんなきれいな曲を用意したところで、使用するヘッドフォンによって印象は全く違ったものになる。
だから「この曲がいい」と叫んだところで、その魅力はほとんど相手に伝わっていない。