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カテゴリ:フィクション( 15 )
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2013年 09月 20日 *
氷を作るには。
氷を作る用のトレイに水を入れる。(たこ焼き器みたいに窪んだ穴がいくつもついてるやつね)
水道水じゃなくちゃんとレバーを浄水にしてから水を入れるんだ。
うーん、この細かい心配り。
途中で水がこぼれてしまったので、少し中身を減らす。
ちょうどよくなったところで冷蔵庫にトレイをしまう。
これでよしと。
いやちょっと待て、冷蔵庫に入れてどうする。
冷凍庫に入れないといけないんだった。
冷蔵庫に入れたトレイを一旦取り出し、今度はちゃんと冷凍庫に入れる。
冷蔵庫は無音だった。
だが、しばらくすると中身の温度が上昇して、冷やすために冷蔵庫がうんうん唸り始めるはずだ。
水が時間をかけると氷になるなんて不思議だな。

動画をみる。
あるRPGのアイテムの取り方がわからなくて動画に頼る。
でも結局、リメイク版ではなくオリジナル版をプレイした方が普通にアイテムに苦労しなくて済むし、感動できるんじゃないか?

というか、こんなことをやってていいのだろうか。
いや、学校に行かなくてはならない。
家を出る。
歩く。
どんどん気合を入れて歩く。
30分ほど経過したところで立ち止まる。
周囲を見回すとまだ全然進んでいない。
近くの小学校の時計を見ると18時くらいを指している。
今はまだ外が明るいけど、すぐに暗くなるだろう。
それにしてもこんなに歩いているのに全然進んでいないのはなぜだ。
日に日に自分の体力が減少していることに絶望する。
そもそも僕は学校を卒業したのか、しなかったのか。
それがどうしても思い出せない。
とにかく家に帰ろう。

家にはすぐ帰ることができた。
あんなにがんばって歩いたのに全然進まなかったから、帰りははやかった。
帰宅途中でサラリーマンが自宅のドアを開けるのが見えた。
「ただいま」
と低くぶしつけな声のあと、「おかえり」「おかえりなさい」と家族が言うのが聞こえた。
父の声は決して明るくなかった。
むしろ威厳がある感じだ。
でも威厳があって当然なのだ。
立派なマイホームを建てて、一家を支えているのだから。
それに比べて僕ときたら、一生こんなお父さんになれそうにない。

帰宅すると母親が僕にこう言った。
「○○ちゃんのこと手伝って欲しいの」
ここでいう、○○とは、僕の妹のことである。
何をするのかと聞いてみると、従兄弟の別荘にある死体を運ぶのを手伝って欲しいのだそうだ。
とりあえず断ろうとすると、「○○ちゃん一人で運ぶの大変だから手伝ってあげて。ね? お兄ちゃんなんだから」と諭される。
死体というと、人間の死体だろ?
想像してみるに、それはきっと予めシートのようなものにくるまってて、二人がかりならば、僕が持つのは足首の部分だけかもしれない。
けど、それでもやっぱり気持ち悪い。
僕がなんでそんなことをしなければいけないんだ。
というか、そもそも死体があること自体がおかしい。
誰かが殺したんじゃないのか?
僕がそれを手伝ったら死体遺棄の幇助かなにかの罪で捕まるんじゃないのか?
それをなんでもない子供のお遣いのように頼む母親はどうなんだろう。
どうすればこの場を切り抜けられるか。

いくら考えても答えが出ないので、流れに身を任せることにした。
こうすれば出ない問いに対しても一応の答えは出る。
今までも難しいテスト問題なんかにはこうして対処してきた。
自分を客観的に見つめるもう一人の自分に判断を委ねるのだ。
結果、封筒を渡すことにした。
中身はお金が入っている。
なるほど、お金で解決すればいいのか。
難点は封筒だと入れられる金額が限られるといった点だ。
40万円なら入るかもしれないが、400万だとちと厳しい。
別にお金に困ってるわけではないので、400万円入れてあげても構わないのだが。

ただその対応に母親は不満らしかった。
事実、僕は妹の手伝いをしないことになる。
それに、そのお金はもともとは親のお金だと主張してくる。
いやいや、お金は僕が働いて得たお金であって、決して親から貰ったお金ではない。
これでは母親のイライラは収まりそうにない。
困った。

僕は結局、妹の死体運びを手伝うことになりそうだった。

(続く?)
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2012年 04月 23日 *
戦国時代にある武将がいた。
その地にはある秘術が伝わっていた。
秘術そのものは武将が考え付いたものではなかったが、秘術を使うタイミングが功を奏し、領土はみるみる拡大した。
武将は得意げだった。

ところがある日、敵が攻めて来た。
敵側も秘術を持っていた。
その秘術はきっと、自分の城を一瞬で炎に包み込むような恐ろしい術に違いなかった。

敵の恐ろしい秘術に対し、どうすれば生き伸びられるだろう。
武将が家臣に相談したところ、家臣はこう言った。
「ここに大きな石があります。石の中は空洞になっていて、人が一人入ることができます。
この空洞にお入りになって頂き、今度は私が石で蓋を閉めます。その石を土の中にでも隠せば、必ずや秘術から逃れられましょう」
武将はこう答えた。
「なるほど名案だ。確かに秘術からは逃れられるかもしれない。しかし、石の中に閉じ込められて生き埋めにならないか?」
すると家臣は押し黙り、何も言わなくなった。

敵はすぐそこまで来ていた。
敵の秘術によって、城は滅ぼされるかもしれない。
武将はそう考え、城に残って戦うことを諦め、離れた寺に逃げ込んだ。
この中に篭っていれば、少しは時間が稼げる。

しばらくすると嫌な音がした。
矢が寺の壁を引き裂く音だった。
武将は寺の奥に位置する物置小屋の中の更に奥の空間に身を潜めていたが、
矢は物置小屋まで幾重もの壁を貫通し、武将の顔寸前の所まで飛んできていた。
ここにいては周りにいる数名の家来達も助からないだろう。
武将は寺を捨てて逃げる決意をした。

「退くぞ」
武将は大声で叫んだ。
夢中で道中振り返ると追手が迫っていた。
追手は黒装束を着ており、背丈の高い者と低い者数名が組になっていた。
その背丈の小さい者達はどうやら子供のようだった。

家来は次々と追手に追いつかれ、捕まっていた。
そして捕まった後、なにやらお互いに何かぶつぶつ言い合い、そのたび奇妙な間が空いた。

武将は息の続く限り逃げた。
だがとうとう追手に捕まってしまった。
背丈の低い黒装束は武将に向かって言った。
「なぜ逃げる」
武将は答えた。
「いつも死にたいと思っていた。死ねばどんなに楽だろうと。でも私には家来がいる。」
黒装束はぶつぶつと話し合いをはじめた。
どうやらその問答は秘術に関係するものらしかった。
武将はその間を狙って「隙あり」と言うと同時に黒装束をなぎ払い、また夢中で走り出した。

でも待てよ。
武将は考えた。
このままではわが領地は敵の手に落ちる。
逃げるといっても、どこへ逃げるというのだろう。
武将は立ち止まって後ろに向き直ると、黒装束に向かって叫んだ。
「この首、やはりくれてやることにしたわ」

背丈の低い黒装束は確か首を横に振ったように見えた。
口元には微笑みすらこぼれていた。
駆け足の黒装束は、やがて武将に追いつき口を開いた。
「何を言っているのです。陰ながらずっとお慕い申しておりました。ここはひとつ退却し、時機をみて必ずや体制を立て直しましょう。」
武将はこの時はじめて黒装束が味方であることに気づき、まだ死ねぬか、と独り小さく呟いた。
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2012年 04月 12日 *
この前ある人に会った。
ずっと会えたらいいなと思ってた人なんだけど。
その人はインディーズのバンドをやってる人だった。
初めて会ったのは僕の部屋でだった。
彼女には僕が思ってることを素直に伝えた。
着ている服のセンスがいいねと言ったら、そんなこと全然言われたことないって言った。
意外と普通の人だった。
自分が単に特別視してただけなのかもしれない。
ずっと彼女の作った音楽を聴いていること、鍵盤を買ったけど君と違って全然弾けないと伝えた。
最近曲作ってないけど、また作って欲しいと伝えた。
彼女は僕のために弾いてくれる訳でもなかったし、曲を作ると約束してくれた訳でもなかった。
本当に普通の子だった。

どうして彼女は僕の部屋なんかに来たのだろう。

彼女と僕はお風呂に入った。
膝を痛そうに抱えていたから、僕は大丈夫?って聞いた。
お風呂は一番気持ちいいねって彼女は言った。
お湯沸かそうかと僕は言った。
お湯が出る所は熱くなるから、少し彼女に移動して貰った。
僕との距離が近づいた。
「〜しよっか」
え?と僕は聞き返した。
彼女はまた小さな声で言った。
「…キスしよっか」
僕は彼女に顔を近づけた。
それから唇を近づけて、触れるか触れないかという所まで近づいて、急に離した。
彼女は、えっ信じられない、というような顔をした。
僕はまた唇を近づけ、今度は本当に触れた。
そのあと何回か触れた。

彼女と会ったのはそれが最初で最後だ。
初めて会った場所がなぜか僕の部屋。
まぁそれはいいんだけど。
彼女は寂しかったのかもしれない。
あのキスは寂しさを紛らわせるためだったのかもしれない。
だから会うのは一度だけ。
彼女は写真と同じように年を取らず、ずっと僕の中にいる。
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2011年 09月 30日 *
会社の先輩と歩いていた。
僕はいつも早足で歩く。
人ごみはなるべく避けて歩く。
エスカレータだって乗ってから歩く。
でも、上りエスカレータと下りエスカレータが並列に配置されていると、
自分が下っている時に上りエスカレータ側の沢山の人とすれ違う。
あれが嫌だ。
エスカレータと階段が両方設置されているなら、僕は迷わず階段を歩く。

僕は会社の先輩と歩いていた。
早足で歩きたかったけど、先輩もいたからゆっくり目に歩いた。
だから少しドキドキしていた。
そしてよりにもよって、この世で一番会いたくない女性にばったり出会ってしまった。
開口一番こう言われた。
「メールアドレス変えたでしょ」
「そんなもの持ってないよ」
「嘘。住所も変えたでしょ。ねえ、今度彼と結婚するの。招待状を送るから住所教えて」
「何で教えなきゃいけないんだよ。招待状なんか要らないって。第一、どうして俺が結婚式に出なくちゃならないんだ」
こいつは本当にいい加減な性格で、言っている言葉の半分も信用できない。
結婚出来るかどうかもわからないし、どうせすぐに破談になっちまうんだろう。
「見て、すごいきれいなお店だよ」
歩いていると突然横のレストランを指差した。
僕は面倒くさそうに答えた。
「そこは世の中で最低最悪の店だよ」
彼女の言う通りその店は繁盛している様子だったが、全く理解できなかった。

会社の先輩と一緒だったので、彼女と僕の関係をどう説明しようか困った。
だけど、先輩は聞いてこなかった。
先輩はスポーツとかギャンブルの話題で彼女と意気投合していた。
僕にはスポーツもギャンブルも全く興味がなかった。
「おい、そんなにくっつくなよ」
「どうしたの、照れてるの?」

彼女は僕をいちいち挑発してくる。
僕は彼女と二人で並んで歩くのが嫌で仕方なかった。
また万民向けするであろう容姿の彼女と僕が並んで歩くのを会社の先輩に見られるのも嫌だった。
僕は歩調を強めた。
彼女もそれに合わせてついて来た。
会社の先輩と一定の少し距離ができた。
僕は彼女に言いたいことを言った。
「俺は速く歩くのが好きだから、いつも速く歩いてるんだ。よそ見をしたりもしない。上も見ないし、下も見ない。
 常に前だけを見て歩いている。だから約束してくれ」
「何を?」
「街中で万一、俺とばったり遭遇してしまったとしても、俺は他人だ。どうか他人として扱って欲しい」
「やだ」
即答された。
「やだじゃない。約束しろ」
俺が鬼気迫る勢いで彼女を説得して、ようやく了承を得ることができた。

それから彼女と別れて会社の先輩と食事をすることになって、小奇麗なレストランに入った。
こういうレストランはあまり好きじゃなかったが、先輩と一緒にいる手前、仕方がなかった。
店内は混んでいて、ちょうど僕の席がなかった。
先輩が店員を呼び、椅子を持って来てくれるよう頼んでくれた。
僕は先輩にトイレに行くと言ってレストランを出た。

そよ風が吹いていた。
道には車が走っていた。
その日の夜空が僕の最後の景色になった。
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2011年 04月 25日 *
目を開けるとカーテンごしに光が射し込んでいた。
辺りは物音一つしない。
完全な静寂に包まれている。
朝だ。いつもと変わらない朝。

1階に降りると妹が朝食をとっていた。
テレビでアナウンサーが天気予報をやっている。
"…足元には十分お気をつけください"

今日は雪が降るのかな。
まあいつものことだけど。

俺は朝食を手早く済ませて、仕事に行くことにした。
「じゃ行ってくるよ」
「行ってらっしゃい。×××から、足元に気をつけるのよ」
向こうで母さんが言った。
「わかった」
俺は生返事をして、家を出た。

駅までの道を歩いていると、妹が後ろの方から追いかけてきた。
妹は高校生だが、駅までの道は一緒なのだ。
「お兄ちゃん、待ってよ~」
妹は雪道を息をきらせて走ってきて、やがて追いつくと俺の隣を歩いた。

「ねえお兄ちゃん」
妹が話しかけてきた。
「なに?」
「ビール飲まない?」
何を言っているんだこいつは。
俺は即答してやった。
「飲まない」
俺がきっぱり言ってやると、少し不機嫌そうに切り返してきた。
「でも飲みたいんでしょ?」
「飲みたいけど、これから会社だから飲まないの」
妹はきっと暇つぶしに他愛のない話をふってきたのだろう。

俺は妹を無視して考え事をはじめた。
そういえば、どうして俺は毎日追い立てられるように会社に行ってるんだっけ。
…まあ答なんてないよな。

考え事をしているうちに駅が近づいてきた。
でも途中でなんだか駅に着くのが不安になっていた。

そうだ、あの時天気予報士が言っていたこと。
そのあと母さんが言っていたこと。

「死体に気をつけるのよ」
確かにそう言っていた。
この雪道の先の駅の前には、おそらく何十体という死体が転がっている。

いやだ、行きたくない。

ここが静かなのは、自分から周りの音を遮断しているから。
感覚器官のスイッチを切るみたいに、まったく聞こえなくすることができる。
また、世界の法則すらねじ曲げることができる。
都会ではそんなことはできない。

「なあ、こんなところやめて、都会に出ようと思うんだが」
俺はそう言うと、妹は急に顔色を変えた。
「やだよ、ずっとお兄ちゃんと一緒にいたいよ」

確かに俺が都会に出たら母さんや妹と離れ離れになる。
それは、俺にとって母さんや妹が死んでいるのと同じことを意味する。

ここはいい所だ。
都会にないものが沢山あって、何不自由なく暮らすことができる。
ただ都会とここは共存関係にあって、都会がなければここは存在できない。
そもそも、俺が都会に出たとして、ちゃんとやっていけるのだろうかという問題もある。

ただそれより問題なのは、駅前に死体が何十体も転がっていようと、みんながそれを当然のように受け入れてしまっていることだ。

俺は目を細めて遠くを見つめた。
空にぽつんと雲が浮いているだけだった。
どうがんばっても都会の景色は見えない。
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2011年 03月 04日 *
亀のことについて書こうと思う。
僕は年に何回かある島に行くことが習慣になっている。
なぜその島に行くのかというと、都会にないものがあるからだ。
田舎ならばどこでもいいかというと、そうでもない。
例えば家と家が離れているから、どんなに夜中騒いでも隣人から苦情が来ることはない。
好きなだけ騒いでいいし、大音量で音楽を聴いたっていい。
その開放感を味わうだけでも行く価値があると思うのだ。
また島に流れる空気や風土みたいなものや、住民に根付く雰囲気は言葉では説明しづらいので割愛するが、行けばわかることだ。

僕はそこで亀に出会った。
そこは砂浜というより高さのある磯のようなところで、落ちたらケガをしてしまいそうだった。
亀はこちらの方までよじ登ってきて、どういう訳か目の前で自ら飛び降りた。
ぐしゃ、と嫌な音が聞こえた。
僕は周りにいる友人から変な目で見られた。
「お前、何やってるんだ」
まるで僕が悪いみたいな言われ方だった。
でも確かに僕が悪かったかもしれない。
亀を助けるチャンスはいくらでもあったのだ。

落ちた亀を見ると、落下した時の衝撃で形が明らかに変形していた。
悪いことをしたな、と思った。
でも亀はまだ生きていた。
そしてなぜかまた僕の方へよじ登ってきた。
さっきよりは動くスピードが鈍っていたが、遅いながらも僕のいる所まで登ってきた。
この亀は僕に何か訴えたいことがあるのだろうか。
しばらく亀を見ていると、また自ら落下した。
2回目の嫌な音がした。

それでも亀は必死でこちらに登ってきた。
もしかして、亀は僕と友達になりたがっているのだろうか。
僕はおそるおそる尋ねてみた。
「僕がお前を飼ってやろうか?」
そうすればこれからはずっと一緒にいられる。
餌に困ったり、ケガをしたり、食べられたりする心配もないから。

僕は亀を抱きかかえながら、下の海水がある所まで降りていった。
そして傍の岩にちょこんと亀を置いた。
亀はじっとしたまま動かなかった。
亀は海で自由に生きる方が幸せだろう。そんな気がした。
しばらくすると大きな波がやってきた。
大きな波がザブーンと岩場に打ち寄せた。
波が引いた後、亀はいなくなっていた。
辺りを探してみたが、やはりいなかった。

しばらくすると、急に後悔の念に襲われた。
亀はこれから、餌に困ったり、ケガをしたり、食べられたりするかもしれない。
そう考えると、僕はあの亀に対してどうすべきだったのかわからなくなった。
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2011年 01月 25日 *
定期的に親が俺の私物を漁って困っている。
「これ要るの? 要らないの?」
放って置いて欲しい。
要るからそのままにしてあるのだし、要らなかったら自分で捨てる。

久しぶりに実家に帰ってきたら、また親が俺に一つの箱を差し出してきた。
「これ何?」と親に問い詰められた。
その箱を見た瞬間、顔からじわっと嫌な汗が流れた。
「詩集だよ」
と俺は素っ気無く答え、親から箱をひったくった。
親が勝手に中を見ていなければいいが。

"詩集"と答えたのは、あながち間違いではない。
箱の中には彼から俺に宛てた手紙が幾つか入っていた。
その他に彼の詩集が含まれていた。
自分宛てに書かれた手紙は読まれたくなかった。
その手紙は直筆で書かれたものであり、同時に、彼の遺言のようなものだった。
状況を知らない人間が読んだところで、内容を理解できるはずがない。
俺は箱の存在のことなどとっくに忘れてしまっていた。
だが、親がその封印を解いた。
俺は箱の中の詩集を手に取り、ページをめくった。
2ページ目にはモノクロの彼の写真が載っていた。
そういえば彼はこんな顔をしていたっけ。
俳優のような2枚目ではなかったが、顔の骨格に少し特徴があって、こうしてモノクロ写真にしてみると詩人っぽさがない訳ではない。
遺言が届いたのは、彼が自殺してしばらく経ってからだった。
彼は交流のあった人間の一人一人に遺言を書いていたのだろうか。
そうだとすればかなりマメな人間だ。
俺が彼の詩集を持っていたのは、彼の詩が好きだったからだ。
また他にも幾つか舞台公演も手がけており、当時のパンフレットは箱の中に収められている。
舞台を見に行く人間は人口比率からいったら少ないだろうが、彼の脚本は静かな人気があり、芸能人も密かに見に行くくらいだった。
彼は俺にとって特別な存在だった。
最初に彼の存在を知ったのはインターネットだった。
俺は彼の書く詩が気に入り、詩集を購入した。
だが彼のことを色々調べていくうちに、彼が同じ大学に通う学生であることがわかった。
彼の学生時代はどんなだったかを書くとキリがなくなるので要約すると、授業にはあまり出ていなかった。
というか、授業があまりにつまらな過ぎた。
居酒屋の新規オープンを手伝った。
だがその居酒屋は2年後に潰れ、当時のメンバーは店長と彼の二人しか残っていなかった。
最後のチャンスとばかりに二人でもう一度小規模な居酒屋を立ち上げた。
その店はギリギリながらも何とか経営できていたようで、もう一人店を手伝ってくれていた女性がいるのだが、彼はその女性に恋をした。
彼女は、性格が明るくてスタイルも良かった。
だが彼の気持ちのことなどまるで気にしていない様子だった。

その他彼がしたことといえば、学生組合に参加した。
参加した、といってもその組合は彼本人しか所属していなかった。
この大学には二つの主要な組合があったのだが、そこでなぜか彼は主要な対立する組合の間に挟まれ、仲裁役として動いていた。
俺からすると、なぜそんな何の得にもならない活動をしていたのか不明だったが。
他にも彼は沢山のことをしたが、なぜ彼がそうするのか分からない部分も多かった。
大学を卒業して何年か経過して、彼が死んで、結局彼の人生は何だったのだろうかと今になって思う。
詩集を出すくらいだから、多少の自己顕示欲はあったのだろう。
しかしなぜ、人並の青春時代を過ごしただろう彼が死を選択したのか。
直筆の遺言には静かに淡々としていて、しかしその奥には固い決意が感じられた。

心の中のもやもやしたものを取り除くため、俺は彼の実家に行ってみることにした。
確か彼は裕福な生まれで、家も広くて立派だったはずだ。
彼の家に着いてみると、やはり家屋は大きかった。
だが実際家の中に入ってみると、中はきれいに片付けられていた。
家には彼の母親と女中がいた。
どうやら引越しをするらしく、ちょうど引き払う寸前のようだった。
彼の母親の話を聞くと、もうすぐこの家は市の資料館になるとのこと。
なるほど、やはりこの家には歴史的な価値があるらしい。
なんでもかんでもお金に換算するのではなく、歴史的資産として保存する姿勢には好感が持てる。
これが俺の住んでいる町だったら、すぐに取り壊されていただろう。
そうして統一感のない殺伐とした風景が量産されていく。

俺は畳の上に腰を落とし、そこから見える庭を眺めた。
掃除した後だけに、畳には塵一つ落ちていなかった。
外の光が畳に反射して部屋の中はほのかに明るかった。
彼の母親と女中さんは部屋に残っているものを整理していた。
「もし要らないものがあったら引き取りますよ」
俺はそんなことを言った。
というのも先程、彼の所有していた銀塩カメラが幾つも無造作に転がっているのを発見したからだ。
彼は写真の趣味も持っていた。
あわよくばカメラを貰えるのではなかという邪な期待があり、そんな提案をした。
彼の母親と女中さんは部屋に飾られていた日本人形を片付けていた。
彼には人形を収集する趣味もあったのだろうか。
あるいは、もしかするとその人形には歴史的な価値があり、市に寄贈するのかもしれなかった。
日本人形を片付け終えると、一番隅に置かれた人形を片付けにかかった。
今度は等身大の人形で、人間と同じ服を着た、人間そっくりな人形だった。
特に顔は化粧が厚く塗られているようで白かったが、人間のそれと同じなのではないかと思うくらい精巧に出来ていた。
皮膚の奥はまるでゾンビのように青白い色をしているのではなかと妄想した。
もう一つ気になるのは、その人形は直立しているものの、何本かのワイヤーによって吊り下げられている点だった。
彼の母親はその一本一本を裁ちばさみで切っていく。
そのたび、パチン、パチンと大袈裟な音が部屋に響いていた。
人形を固定していたものを全て取り除くと、人形はさも自分の力で立っているように見えた。
かつてこの人形は生きていて、今やっとその拘束具が外されたような。
実際、ぎこちなくその人形は動き出した。
ゆっくり、ゆっくり。
歩いていた。
その様子を確認して彼の母親は、手紙を取り出した。
その手紙には見覚えがある。
彼の交流のあった人物に宛てられた遺言だ。
母親はその手紙を読み上げた。
「君が眠りから覚めた時、僕はこの世にはいないだろう。そして今、君には僅かな時間しか残されていない。
 歩くだけでも苦痛で、ほとんど声も出せない。君へのこのような仕打ちをどうか許して欲しい。
 勝手な言い分かもしれないが、できればこの絶望的な状況をどうか笑い飛ばして欲しい」

彼女は言った。
「部屋を暗くして」
ほとんど消え入りそうな声で。
彼の母親は、望み通り部屋を暗くした。
彼女はゆっくりゆっくり歩いていき、ようやく台所に着いた。
どうやら彼女は料理を始めるらしかった。
残された時間は僅かなのに。
ひょっとして、彼に食べさせてあげたかったのだろうか。
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2010年 08月 16日 *
どうしてこんな僻地の診療所で働いているのかは忘れた。
最初は理由はあったのだろうが、理由はなくても日々は日常となり積み重ねられていく。

当初、先輩医師は自分に色々教えてくれたが、すぐにいなくなってしまった。
当たり前だ。
他所の待遇と比べてしまえば、ここで得るものなど何もないから。
それでもこの仕事に憧れる人もいる。
患者から直接「ありがとう」と言われる職業だと。
でも所詮、ありがとうはありがとうで終わる。
こんなやりがいのない小さな診療所で働くのは、おそらくまともな人間の考えることではない。

ここに来る前に紆余曲折はあった。
それを経て、どうしても自分がこんな所で働くことになったのか。
どう考えても賢明な選択には思えない。
でもたまに、これはこれで自分に向いているかもしれない、と思うことがある。
それはおそらく自分という人間はまともではないからだ。

こんな小さな診療所でも患者は沢山やって来る。
症状は重いものから軽いものまで様々だ。
共通して言えるのは、患者は白衣を身にまとった人間が何でも治療できると思い込んでいる点。
だが実際にはそうはいかない。
それは医療技術の限界による場合もあれば、自分の力不足が原因の場合もある。
また、"自称患者"が医療の範囲外の問題を、持ち込んでくる場合もある。
救えるものなら全員救いたいが、そうはならないのが現実だ。

「先生、右手の具合がおかしいんです。なぜでしょう?」
理由など実際に診察してみないことにはわからない。
それなのに、ここに来る患者はみな、医者を超能力者か何かと勘違いしているようだ。
「ちょっと右手を診せてもらえますか?」
僕は患者の右手にそっと触れる。
患者の手を触りながら、「痛いところはありませんか?」と尋ねる。
「いえ特に痛くありません」
患者は即答した。
痛くないということは、どういった原因が考えられるだろう。
過去の事例を思い返してみる。

「あの先生?」
患者は怪訝な表情で僕に声をかけた。
理由はわかっていた。
僕がずっと長い間沈黙していたせいだ。
僕は考え込むと沈黙するクセがあり、よく患者からこうして声をかけられる。
でも僕は一番最良な方法で患者を治そうとして沈黙してしまうのであって、決してぼーっとしていた訳ではない。
患者にはその辺の事情をわかって欲しかったが、説明するのが面倒なのでいつものように何も言わなかった。

「右手がおかしくなったのはいつからですか?」
「昨日からです」
右手がおかしくなったのが最近であれば、直前の状況や出来事が原因である可能性が高い。
僕は患者にこう尋ねた。
「昨日から急におかしくなったということですか。おかしくなる直前に何かありませんでしたか?」
「いえ特にはありません」

僕はしばらく考える動作をすると、患者が口を開いた。
「強いて言えばあります…」
「それはどのような?」
「夢をみたんです。とても怖い夢」
「夢ですか。それはどんな夢だったか、憶えている範囲で結構ですから教えていただけませんか?」
「そうですね、とにかく怖かったんです。私は右手を傷つけられて、何度も棘の入った鞭で痛めつけられて、挙句の果てには切り落とされてしまいました」
「それで、そのあとどうなりましたか?」
「それから夢から覚めました。でも恐怖はずっと消えないまま残っていました。先生、本当に私の右手は何ともありませんか?」
「ええ。診たところ問題なさそうですね」

この患者は自分の右手を切り落とされる夢をみて、そのあと心配になってここに来たらしい。
これなら医学の知識などなくても解決する話だ。
夢で起きた出来事が現実に影響するはずがない。
たとえば、夢の中で自分が死んだら、現実の自分が死ぬのか?
夢の中で自分が犯罪を犯したら、現実の自分が逮捕されるのか?
あり得ないことだ。
確か、過去の医学書に夢が及ぼす人体への影響について書かれたものがあったが、詳細は忘れてしまった。
この患者はそこまで重度ではないから、参照するまでもないだろう。

僕はたとえ話をはじめた。
「こう考えてみてください。家の廊下に高価な壺が置いてあったとします。あなたは夢の中でその壺を割ってしまった。
あなたは夢から覚めたあと、心配になって廊下の壺を確認します。壺は割れていますか、それとも割れていませんか?」
患者は答えた。
「割れていませんね」
「そうでしょう。それと同じで、夢の中で右手が切り落とされてしまったとしても、現実のあなたには何の影響もありません。右手も無事付いているでしょう?」
「確かにそう言われてみればそうかもしれません」
患者はそれでも少し腑に落ちない様子だった。
だが、完全に理解してもらう必要はなかった。
右手に問題ないことを少しでも自覚させてやれば、やがて自分の感じていることが間違いであることに気づくだろう。

これではとんだ笑い話だ。
医学の知識など全く必要ないじゃないか。

僕はこれと似たことを思い出していた。
朝起きると、彼女が不機嫌になっていた。
人の心は気まぐれで急に不機嫌になったり、特に朝はそうだったりするが、それとは何か違っていた。
明らかに彼女を不快にさせる出来事があり、それが彼女を不機嫌にさせている。
でも昨日までは普段のやさしい彼女だった。
寝る直前まで彼女のそばにいたからそれは断言できた。

不機嫌な彼女と必死にコミュニケーションを試みることで、あることが判明した。
昨晩、彼女は嫌な夢をみたらしく、どうやらその夢の中で、僕は冷たい行動を取ったらしいのだ。
こんな理不尽な話があるだろうか。
僕がいくら彼女に冷たく接したとはいえ、それはあくまで夢の中の話で、現実の僕は何もしてはいない。
それなのにどうしてこんな仕打ちを受けなければならないのか。
通常の理屈で考えると、到底理解できる話ではない。
だが、彼女の立場になって考えると、全く理解できない訳でもなかった。
彼女は夢の中だろうと現実だろうと、僕の行為によって嫌な思いをしたのは事実で、その体験を消すことなど、誰にもできないのだ。

人は理屈ではわかっていても、自らが体験した方に比重を置く、ということか。
それも一理あるだろう。
だが彼女の行動をそれだけでは全てを説明しきれない。

毎日絶えず訪れる患者をみて思う。
彼らは病気のことを知らない。
中途半端に知っている面倒な患者もいるが、常識的にそれくらいは知っているだろうという実生活レベルの知識すら持っていない者も多い。
彼らは病気に対する知識がなければない程、病気のことを恐れる。
わからないから恐れ、嫌な想像をし、疑心暗鬼になる。
その結果、現実に起こらないようなことすらも疑ってしまう場合もある。
僕は彼らを決して笑うことはできない。
僕と彼らの違いは、知っているか知らないか、そのわずかな違いしかないのだ。

ここである仮説が導き出された。

彼女は僕のことを何一つ理解していなかった。

直感的にその仮説は正しい。
それに比べて自分はどうか。
僕も彼女のことを何一つ理解していなかった。

日本にこんな諺がある。
「好きこそものの上手なれ」
その一方でこんなのもある。
「下手の横好き」
これを拡大解釈するならば、相手を理解し、だからこそ人を好きになれる。
しかし、相手を全く理解できなくても、人を好きになる場合もある。
要するに、相手を理解できているかどうかは、好きになることとは関係がない。
好きな感情は独立して存在し得るということだ。

どうして僕が彼女のことを好きなのかはわからない。
理屈では説明できない。
会っている間冷たくされても、そんな時間すら好きの一部に含まれている。
その気持ちは過去形では言い表せない。
僕は彼女のことを好き「だった」のではなく、今でも好きだ。
彼女が僕のもとから去ってからもずっと。

僕はなぜか、いま小さな診療所に勤めている。
毎日人からありがとうと言われる。
得るものは何もない。
それでもここが自分のいるべき場所だと思うことがある。
窓の外には停滞した町の風景が見える。
君のいる所からは距離が遠く離れすぎてしまった。
もう二度と会うことはないだろう。
なのに、目を閉じるといつも君の姿が浮かんでくる。
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2010年 04月 18日 *
寝ている間に起こされた。
僕の携帯が鳴っているらしい。
見ると職場からの着信ではなかった。
液晶ディスプレイには「公衆電話」と表示されていた。
僕は言った。
「間違い電話みたいだ。もう寝よう」

次の週にも夜1時過ぎ頃に電話が鳴った。
僕は着信音が鳴り止むのを待った。

それから2週間に1回くらいのペースで奇妙な着信は続いた。
誰が何のために電話をしてくるのだろう。
考えを巡らせるが、内容はいつの間にか仕事のことにすり変わっていた。
仕事のことを考えると気分が落ち着かなくなった。

僕はある行政機関の中で働いている。
そこでは予算が湯水のように使うことが許されていて、それがニュースや新聞に報じられることはほとんどない。
というより、そもそも一般の人はこの組織の存在すら知らないだろう。
当然のように活動内容も一切公表されない。

僕は、仕事から帰宅してから寝る前に一人で出かけるようになっていた。
といっても目的地があるわけではない。
車で夜の街を思いつくままにドライブする。
人通りの少ない深夜のドライブは僕の心を幾分リラックスさせた。
車好きの人間にとっては珍しくもない趣味だが、僕は単に一人の時間が欲しかっただけなのかもしれない。

僕は今の仕事をするようになってから、ある疑問を持つようになった。
その疑問は徐々に確信へと変わっていった。
それはまるで荒唐無稽なものだった。
周りに言ったら変人のレッテルを貼られそうだったので、上司にそっと聞いてみた。

「前から疑問に思っていたことがあるのですが」
幸いなことに僕の上司は温厚だったので、何を言っても大丈夫だと思った。
その安心感も手伝って、僕は抱えている疑問やある確信に至るまでの経緯について長々と述べた。
意外にも、上司は僕の疑問に興味を示さなかった。
なんだ、今頃気づいたのか、と言わんばかりの反応だった。
それは僕を驚愕させた。
もしこの仮説が正しいとすれば、ある結論が導き出される。
僕は尋ねた。
「一体、いつからこのことがわかっていたんですか?」
「知っての通り、この研究が始まったのは10年前だ。その時からわかっていた。問題は、その日がいつなのかということだ」
要するに、結論はだいぶ前からわかっていて、ここで行われている研究は、それがいつなのかを予想するためだったのだ。
「率直に言って、それはいつになりそうなんですか?」
上司は眉をしかめて言った。
「そんなことは誰にもわからない」
気まずい沈黙が続いた後、こう付け加えた。
「でももし私が誠実な医者なら、患者の家族に言うだろう。『もって3ヶ月でしょうね』と」

終末論。
僕は時々ささやかれる、そんなありもしない空想を心のどこかでバカにしていた。
今日が終われば当然のように明日がやって来ると思っていた。
でも、バカなのは僕の方だった。
僕が寿命を迎えるより先に、地球が寿命を迎えるなんて、今まで考えてもみなかった。
あと3ヶ月前後で人類は初めての経験をすることになり、それにより今まで続いてきた命の連鎖が途絶える。
その日までどう過ごすべきか。
目の前では相変わらず黙々と研究が続けられていた。

自分の所属している組織がこれまでと違って見えた。
ただそう考えると全ての辻褄は合う。
ここに近い別の部署では情報統制を担当していた。
このことを事前に公表したら市民はパニックを起こし、おそらく都市は無秩序状態になる。
よって事実はできるだけ隠した方がいい。
それは僕も同意見だった。
どうせ終わるなら痛みを感じる間もなく一瞬で終わるのが理想的だ。

以前にも増して間違い電話が頻繁にかかってくるようになった。
それは夜中の時間帯に集中していた。
徐々に誰の仕業によるものなのかわかってきた。
こんなことをするのはあいつしかいない。
そう考えるようになってから、いつ電話が来るのかもだいたい予想がつくようになった。
電話が呼び出し音を告げる間に、あいつの息遣いを感じた。

僕も仕事であのことを知ってから、深夜にドライブすることが多くなった。
あの日が近づくにつれ、気持ちばかりが焦った。
いくら探しても見つからない。
あの日がもうすぐ来てしまうのではないか。

車の中で携帯電話が鳴った。
あいつの呼吸が聞こえる。
なぜこういう形で夜中に電話してくるのかわからないけど、あいつならやりそうなことだと僕ならわかる。

見つけた。
あいつは通りかかった電話ボックスの中にいた。
僕はその電話ボックスの扉を開け、何も言わず後ろから抱き締めた。
もういいやと思った。
もうすぐ世界は終わるのだから。

ずっと無言だった。
電話回線だけが繋がってるように。
お互い泣いていた。

明るい未来なんて最初からなかった。
そしていつか崩壊する。
僕たちにできるのは、それを延命させることだけ。

あと何日生きられるんだろうね。
そうだ、これから温泉に行こうよ。
ずっと前、行きたいって言ってた。

辺りの空気は冷たく乾燥していた。
見上げると夜空は嘘のように星が輝いていた。
僕たちだけが孤独に追い詰められている気がした。

なぜかはわからないけど。
全ては崩壊する。
人も、社会システムも。
それに文句を言う人は、崩壊を知りつつ延命しようとする人の存在を知っているのだろうか。

僕の生活は変わらない。
これからも最後の日が来るまで職場に通う。

どうせ終わるなら、できれば痛みを感じる間もなく一瞬で終わって欲しい。
そう願わずにはいられない。
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2010年 04月 04日 *
あれから10年近い月日が経つ。
僕は未だに彼のことを思い出す。
あの時のことが忘れられないのだろうか。
それとも、忘れてはならないのだろうか。
これはそういう個人的な問題のために書く。
最初に断っておくが、この話は他の人が読んでもつまらないと思う。

それはあの日から始まった。
彼は大企業に勤めるサラリーマンだった。
彼には嫌な上司がいた。
仕事に関して嫌味を言うのは気にならなかったが、日頃から彼の出生や人格を否定する発言をするのが気に入らなかった。
「お前は親に何不自由なく育ててもらったのに、どうしてそんなことも出来ないんだ」
確かに親に不自由なく育ててもらったかもしれないが、そんな言い方をしなくたっていいだろう。
その日も上司は会議で彼の報告書を一瞥し、真正面の席から言った。
「お前は全然駄目だ」
彼は一生懸命、出来る限りのことをやっていた。
その結果が認められないということは、彼にとって自分を否定されたのと同じだった。
彼は今まで積み重なってきたものが爆発し、とうとうキレてしまった。

そしてものすごい勢いでスーツを脱ぎだした。
本来なら社員証やIDカードをテーブルに叩きつけて退席する場面だが、彼にとってはスーツ=制服という概念があった。
だから「こんな会社辞めてやる」と意思表示するため、彼はスーツを脱ぎはじめた。
1分足らずの間に彼は上に白いランニングシャツと下はトランクス姿で、会社から飛び出した。

通常ではあり得ない格好だったため、通報されれば捕まってもおかしくはない。
だが外では激しい雨が降っていたのが幸いした。
通行人は傘をさすことに精一杯で、誰も彼のことなど気に留めなかった。

雨を受けている感覚や雨粒の冷たさは感じなかった。
それくらい感覚は麻痺していた。

途中で中年のおばさんに呼び止められた。
「ねえぼく、どうしたの?」とでも言いたげに彼に近寄ってきた。
彼女は彼に傘を差し出そうとしたが、彼はそれを断った。
彼女は一本しか傘を持っておらず、彼に傘を渡せば今度は彼女の方が濡れてしまうからだ。

会社から鞄を持ってこなかったことを今更ながら後悔した。
所持金は1銭もない。
それどころか財布も免許証も携帯電話もない。
彼は文字通り、1枚のシャツとトランクス以外何も持っていなかった。
さっき昼食をとったばかりだから、飢えて死ぬとしても何日か先のことだろう。
そんな冷静で無慈悲な計算力はまだ残されていた。
とにかく1日中でも歩いて、この状況を何とかしなければならない。
とはいえ、一体どこに行けばいいのか。
ずっと考えても彼が思い浮かぶ場所は一箇所しかなかった。
だが徒歩ではそこまで行ったことがなく、道がわからなかったため、彼は線路沿いを移動した。
この方法なら確実に辿り着けるが、道の途中で何回も駅を通り過ぎなければならなかった。
駅前は大抵スーパーが立ち並び人通りも多いので、通り過ぎるのが恥ずかしかった。

辺りが暗くなりはじめた夕方過ぎ頃に、ようやく目的地に着いた。
そこは昔付き合っていた元彼女の住むマンションだった。
今では彼女は職場の10歳以上年上の既婚者と付き合っていて、彼のポジションは相当上らしい。

彼女はいるだろうか。
おそるおそる1階のエントランスでインターホンを押す。
「はい?」
忘れもしない、彼女の声がした。
「急にごめん。俺だけど…。助けて欲しくて」
まさか別れてすぐ音信不通になった男が突然、自分の部屋の前にやって来て懇願してくるとは思わなかっただろう。
でも、彼にとって頼みの綱は彼女だけだった。
彼女はどうしていいかわからず、部屋のドアを開けてしまったのかもしれない。

彼女は簡単な食事を作ってくれた。
彼はそれを食べ終えると、そのまま彼女のベッドに横たわった。

それからようやく普通の感覚が戻ってきた。
そうだ、彼女の匂い、こんなだったっけ。
辺りを見回すと女の子らしい、綺麗な部屋だった。
立地条件や間取りを考えると少なくとも家賃は数十万円はしそうだった。
自分にとってはあり得ない金額だが、彼女にとってはそれが当たり前のようだった。
以前彼女とは付き合っていたものの、既に遠い存在のような気がした。

「そういえば、彼氏は今日来ないの?」
「来ない。来る時は必ず連絡くれるから」
彼氏が来ないことがわかり、少し安堵する。
なるべく彼氏と遭遇することは避けたかった。
もし会おうものならその場で殺されるような気がした。

じっと横になりながらあれこれ思案していると眠くなってきた。
このまましばらく寝てしまおう。

突然の出来事に目が覚めた。
ドアに鍵をガチャガチャと差し込む音がして、それからドアがギイと開く音がする。
「ただいまー」
男性的で低い声がはっきり聞き取れた。
彼は彼女の部屋の合鍵を持っていたのか。
…いや、そんなことはどうでもいい。
バレたらまずい。
というか、既にバレてるんじゃないか?
そうだ、玄関に靴が置きっぱなしだったじゃないか。
迂闊だった、あれで確実にバレている。
いや待て、今日は靴を履かずにここまで来たんだった。
それならまだ今の時点ではバレてないのか?
でも彼女は嘘をつけない性格だから、途中でバレてしまうかもしれない。
彼は、彼女が友達が来てるなどと言って上手く誤魔化してくれことを祈った。
いつ彼女の寝室の扉が開けられるかと冷や冷やしながら、息を殺し耳を澄ましていた。

彼は常に緊張しながら辺りの音に集中していた。
気づくと朝になっていた。
すぐ隣で彼女が寝ていた。
「ちょっと起きて。あれから彼氏はどうしたの?」

どうやら彼氏は既に会社に向かったらしい。
仕事熱心な彼氏だ。
それに比べて俺ときたら…昨日から何やってるんだろう。

床に男性用の洋服が畳まれて置いてあった。
彼は彼女とまだ付き合っていた頃のことを思い出した。
あの頃とさほど変わっていない。
彼女の広くて豪華でおしゃれな部屋とセックスしていないことを除いては。
でもそれがけっこう重要なことのような気がする。

「服、用意してくれてありがとう。あのさ、まだあれ持ってる?」
彼は自分の部屋の鍵をまだ持っているかを彼女に尋ねた。
「あるけど」
「それ返してもらってもいいかな」
しばらく考え込む仕草をして彼女は言った。
「え、…なんで?」
その言葉は意外だった。
まず第一にその鍵はもともと自分のものである。
第二にその鍵を一番欲しているのは世界中どこを捜しても自分であるのは間違いない。
なんでも何もない。
それがなければ今、自分の部屋に入ることができないのだ。
彼は今までの事情を説明し、ようやく彼女から鍵を取り戻すことができた。

彼は自分の部屋まで徒歩で移動することにした。
今度は更に長距離を歩かねばならなかった。
ただ歩いている間も、さっきの彼女の態度が理解できなかった。
付き合いはもうとっくに終わってるのに、一体何考えてるんだ。

自分の部屋に着いたのは夜中だった.
だが彼にとってはむしろ都合がよかった。
日中であれば会社の誰かが様子を見に来るかもしれない。
彼は部屋の中を物色した。
部屋には彼がメインで使用している通帳はなかった。
いつも会社の鞄に入れたままだったからだ。
ただ唯一、以前偶然作った口座だけが残されていた。

朝になる前にこの部屋を出なければならない。
この部屋は会社と提携している物件で、家賃も給料から毎月天引きされて支払われている。
会社を辞めたということは、この部屋も早々に引き払わなければならないことを意味していた。
彼は生活に本当に必要なものだけを選び、部屋を後にした。
中が散らかったままだったのが心残りだったが、きっと親切な社員が片付けてくれるだろう。
まあこんな人間が現れることは完全に想定外だとは思うが。

良心を痛めている状況でもなかった。
持っている口座の残高は50万円ほどしかなかった。
このまま数ヶ月生きられるとしても、残高がゼロになった時、おそらく自分の生命は終わる。
彼はそれだけのことをしてしまった。
でも、ある程度覚悟はできていた。
そういう人生もあるさ。
その部分に関しては、意外とあっさり納得できていた。

それから彼は何をするわけでもなく淡々と日々を過ごした。
初めての一切束縛のない生活を楽しんですらいた。
ただ残された時間は限られていた。
あと1日というほど切羽詰ってはいないが、何年も暮らせるというほど裕福でもない。
彼は今後何とか一人で生活できないかを一応模索し始めた。

数ヶ月が経過し、残された時間も僅かになっていた。
彼はそれまで調べたもののうち、どれかに運命を預けなければならなかった。
これに賭けてみるか。
ここまで来ると絶望も希望もなかった。
運のみが自分の命を左右する。
だが何もない彼にとっては、それが相応しい最後のような気がした。

更に1ヶ月が経った。
信じられないことに、彼の通帳の数字は増えていた。
そして、それからもずっと彼の預金はなぜか増え続けた。
まるでマジックのようだった。

しばらくすると彼は、彼女が住んでいたような高級マンションに住みはじめた。
それは彼の能力というより、運の要素が大きい。
彼が偶然それを発見したことに加え、周りの状況にも助けられた。
それらを総合すると、運と言う他なかった。
例えば偽名の銀行口座を持つことは、今ではかなりの犯罪行為と言える。
それに法律も強化されているので、実現が難しい。
架空の銀行口座など、詐欺やマネーロンダリング等に使用される可能性が高いので、規制が強化されるのは当然だった。
ただ結果として、彼は別人になることに成功し、それに加え、サラリーマン時代の何倍もの収入を得るようになった。
一応彼の名誉のために言っておくと、彼は詐欺を行ったのではない。
彼の性格からして、そうするくらいなら潔く死を選ぶタイプの人間だ。
彼は当時、自分の身分を証明するものを何も所持していなかったため、生き延びるために仕方なくそうした方法を取ったと思われる。
もちろん彼がルール違反をしたことに関して、僕は彼を擁護するつもりはない。
でも、この世で成功者と言われる人の中で完全に白と言い切れる割合はどれ位かを考えると、彼だけを責める気にもなれない。

それから数年間、彼はひたすら一人で生き続けるが、そんな生活にも終止符がうたれた。
一人の生活に大分慣れた挙げ句、気が変になりそうになったのだ。
よく会社に入りたての新入社員が大金持ちになって悠々自適な生活がしたいと公言するが、そのあと一体どうするのかと思う。
もし大金を手に入れたところで、何も変わらない。
彼だけに当てはまるのかもしれないが、とにかく彼の生活は何も変わらなかった。

彼に昔のことを訊ねても、言葉を濁すばかりであまり語りたがらない。
「彼女のこと、まだ好き?」
そう聞いても曖昧な返事が返ってくるだけだ。
僕は今ある材料だけで彼の行動を分析してみた。
すると、彼はこの数年間、彼女の幻影を追いかけ、彼氏の壁を乗り越えようとしていたのではないかという仮説が思い浮かんだ。
きっとそれはある意味では正しく、ある意味では違っている。
少なくとも収入の面においては彼氏の経済的な力を目標としていたに違いない。
そしてそれを乗り越えた瞬間、いくらかの達成感を得ただろう。
しかし数年間の月日は、同時に彼の限界をも思い知らせることになった。
どんなに努力を重ねたとしても、彼氏に勝てない面がある。
それは生命力のようなものだった。
彼氏が苦しみをバネにして努力を続ける一方で、彼は絶望し何もせず1日を過ごしてしまう。
例えば二人が別々の無人島に漂着したら、最後まで行き続けるのが彼氏で、一番最初に死ぬのが彼。
彼は衣食住やネットなどのインフラに恵まれ、その他の社会的な情勢にも恵まれ、理想的な状況の中でしか力を発揮できない。

彼はマンションを出た後、貧乏大学生が借りるような安アパートに住み、別人のまま会社に就職し働いている。
彼にとってはその暮らしの方がしっくり来るのだろう。

つらいことから逃げてはいけない。
そう言うけれど、もうどうしようもなくなったら逃げてもいいような気がする。
もちろん何かを失うだろうけど、それは仕方のないことだ。
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The Original by Sun&Moon