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2005年 11月 30日 *
先週は危なかったけど、僕は生きているのだろうか。
生きていけるのだろうか。
必要なのは、未来を描けるかどうかだ。

大丈夫。
自分にそう言い聞かせてみる。

うん、まだまだこれから。
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2005年 11月 27日 *
絶望があるのは、根拠のない希望を信じるからだ。
希望の先に見えるものは、戦いのみ。
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2005年 11月 23日 *
人の心の中は矛盾している。
優しいと思ってた人が突然怒ったり、余りある愛情が憎しみと交錯したり。
だがそうやってバランスが保たれている。

黒は言った。
お前は矛盾を超えて、心まで分裂しているのではないか?
例えば真面目で温厚だった人が突然、「人を殺したい」と言い出したら、奇妙な感覚に襲われるだろ?
まるで別人と話しているような、今まで抱いていた人物像のイメージの衝突が起こり、何が本当か分からなくなる。
それと同様の事がお前にも言える。

僕は言った。
そう、分からない。
今抱いている気持ちが本当なのか。
明日には今日の自分が感じた記憶と共にに消えてなくなってしまうんじゃないか。
とても恐い。

だけど、黒。
どんなに不確かなものであっても、それを頼りに生きていくしかない。
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2005年 11月 20日 *
目に映るものが何も無い。
暗闇の中。
じっとしている。

笑いたいとか泣きたいとか思ってる訳じゃない。
大切なものはきっと、目に見えないくらい小さくて、すぐにも消えそうなんだ。
それを手にする事が出来るのはいつなんだろう。
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2005年 11月 15日 *
そう言えば以前、複利8%の金融商品など存在するのか、という事を書いた。
これについては、いつか続きを書きたいと思っている。

年率10%の謳い文句で投資を募っていた平成電電は、10月3日民事再生法の適用を申請した。
このような話はいくらでもあるし、今後も起こり得る。

三洋電機の発行する10年社債は、クーポン収入と償還差益を換算すると、年率8%。
「現在の価格が正しい」という立場をとった場合、三洋電機が存続していく事へのリスクが市場価格に反映されている。
(その後、三洋電機は増資をすると発表し、社債は値上がりする事になった。11/20追記)

■リンク
平成電電破綻の理由と真のユーザー保護
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/OPINION/20051016/222865/
三洋電切り売り加速…有機EL売却、プラズマ撤退
http://www.zakzak.co.jp/top/2005_11/t2005111402.html
三洋電機、2千億円増資へ 三井住友銀など引き受け
http://www.asahi.com/business/topics/OSK200511140062.html
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2005年 11月 14日 *
黒は僕の一部なので三人称を使うのはおかしいのだが、何て表現したらいいのか分からないので黒と名付けた。
別人格とは違うが、僕の行動を決定づける因子であり、気分的なものに近い。
黒が僕の中の50%以上を占めた場合、僕は黒に支配される。
いや、その時点で黒=僕になるのだから、支配されると言うのはおかしいけど。

今日その黒が現れ、僕は混乱してしまった。
まだ僕の中に黒はいる。
けれどさっきよりは幾分落ち着いてきたので、黒について書いてみようと思う。

黒は言った。

お前は普段から無理をしていて、自分を偽り優しい人間を演じようとしてる。
困った人がいたら助けたり、あるいは、そういう人物像を頭の中でイメージしそれに近づこうとしているが、それはあくまで他人であって自分とは違うのだから、演じようとしても無駄だ。
お前は人と同じように物事を感じる事が出来ない。
周囲と感情を共有する事は出来ない。
お前はあたかも周囲と同調するように笑っているように見えるが、それはおかしい事なのだと自分に強制的に言い聞かせてきた結果生じる笑いであり、本来の心から沸いてくる笑いとは違う。
お前がいいと思ってしている事は、お前自身がいいと思ってしているのではなく、周囲がいいと思っている事を、自分の意志とは無関係に実行しているだけだ。

そうかもしれない。
じゃあ僕が真に感じている事って何だ?

自分の考えている事とか自分は何であるかとか、訳が分からなくなってしまった。

今まで大切にしてきたものって、ひょっとして、大切じゃなかったのかな。

僕は黒に言った。

安定したものが欲しかったんだ。
安定した存在でありたかったんだ。
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2005年 11月 13日 *
渋谷のモスバーガーやTUSTAYAは夜中まで開いている。
おまけに人通りは24時間途切れる事がない。
利便性の追求が留まるところを知らないように、人の欲求もまた限りがない。

今日は月がきれいだった。
バイクを走らせた。
空気が冷たくて目から涙がこぼれた。

僕が住む街は渋谷と違って、人が通りに歩いていない。
でも千葉駅周辺まで近づくと、ある交差点を境に急に人通りが増えはじめる。
その瞬間を見るのがとても好きだ。

この街には無駄なものが多い。
けれど、その無駄なものがなくなってやしないか心配で、その存在を確かめに行きたくなる。

この街には渋谷のような華やかさはない。
けれど、この街には渋谷にはない何かがある。

過去は思い出の中にしか存在しない。
それを追い求める事は間違いなのだろうか。
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2005年 11月 11日 *
インターネットは共通の趣味を持った人同士のコミュニケーションを可能にした。
インターネット登場以前にもサークルのようなコミュニティは存在したが、職場や学校で同じ趣味の人がいるとは限らない。
地域・世代・人種を問わずに同じ趣味の人と話が出来るのはインターネットの利点と言える。

うつの人同士でも情報交換やコミュニケーションを目的としたやり取りが行われている。
うつ病の人間に果たしてそんな元気があるのかと疑問を持たれるかもしれないが、心の病気といっても、人の性格がそれぞれ違うように、症状は人によって違う。
うつの波が襲って来さえしなければ日常生活に支障がない人もいるのだから、普通の人と同じようなやり取りがあっても不思議ではない。
また、それは引きこもりやニートといった、世間一般には社会の中で人間関係の構築が苦手であるとされる人でも例外なく、インターネットが個人に立場や境遇を互いに認識・共有させ、いわば「積極的な」コミュニケーションを可能にした点は興味深い。

しかし忘れてはならないのは、我々が見ている現象はほんの一部でしかないという事。
現実世界で人と上手く付き合えない、あるいは積極的なコミュニケーションを取れない事が、ネット上においても同様であるケースが存在する。
そのような場合は、ただ一方的にか細い声で感じた事を表現するしかない。
もっともHPの宣伝やリンクも貼る事をほとんどしないので、人の目に止まる事はほとんどないのだろうが。

自分の思った事を言葉に出来るのは幸せな事だと思う。
しかし同時に、それをネットに流す意味はあるのかと疑問に思う。
統合失調症の人が自分の幻聴について書いたとして、健常者からしてみれば意味不明のまま終わってしまうのではないか。
突き詰めると、感じたそのままを伝える事は不可能なのではないかという不安にかられ、自分のとってきた行動に愕然としてしまう。

■リンク
孤独な心のささやき
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/7717/kodoku.html
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2005年 11月 08日 *
Aは気分が重くなると日記の更新が途絶える。
日記に少し休みますとだけ書き残して、回復したらまた再開する。
読者である自分は、心の中で応援しながら、更新されるのをじっと待つ。

先日、Aの日記に死にたいと書いてあった。
うつ病の人が死にたいと日記に綴るのは珍しい事ではないが、僕を不安にさせたのは、もう限界ですという一言だった。
もしかしたら、本当に危ないのではないかと不安になった。

二晩考えた挙げ句、僕は彼女にメールを送ろうと考えた。
だが言葉が思い浮かばない。

うつ病の人には「がんばれ」と言ってはいけないといわれる。
うつ病の人は既にがんばっていて精神をすり減らしているから、それに対する「がんばれ」という言葉は、本人に更なる負担を強いる事になるからだ。

例を挙げてみる。
(かっこ中にあるのはうつ病患者との関係)

大丈夫?(うつ病患者の友人)
→大丈夫な訳ないから鬱なのだ。

今すぐ病院に行って診てもらえ。(うつ病患者の父親)
→至急とかすぐにとか、本人を急がせるような言葉は極力使わない。

だったら死ねば?(うつ病患者の友人)
→友人を助けるために敢えて逆説的な言葉をかけたつもりなのかもしれないが、このような言葉の使用は、本人を自殺へ追いつめる可能性がある。
うつには精神不安定の要素があり、綱渡りをしているような危ういバランスの上に成り立っているため、背中を押してしまうと本当に落ちてしまう危険がある。

悩んだ末メールを書いて、書き終えた後で、送るべきか散々迷った。

応援したい気持ちで声をかける。
声をかけた本人はそれで心が満たされるのかもしれない。
だが、苦しんでいる者にとっては、生きるか死ぬかという問題に直面している。
僕は自分が発した言葉にどれだけ責任が持てるのだろう。


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以下、私が書いたメールの一部を転載します。
諸事情により全ては掲載できませんが、いい点悪い点を含め、あくまで参考としてお役立て下さい。

<---以下、引用文--->

こんばんは。
メール&日記を読んだよ。
なんだか思いつめているみたいだったので、俺からもメールを送るよ。

(中略)

Aがつらいと思ってるのは、「こうじゃなきゃいけない」という考えが強いからじゃないかな。

(中略)

周りの人はこうなのに、とか、周りの人はこんなにがんばってるのに、とか、今の自分をダメだと感じたりするかもしれないけど、AはAであって他の人と違う人なんだから、比べたって意味ないよ。
それに、就職して働かなきゃいけないって世間一般的には言われているかもしれないけど、働いている俺からしてみたら、周りの人はみんな自分のやりたいように生きてるだけだよ。
そりゃつらい時もあるかもしれないけど、やりたい事だからがんばれてるだけだよ。
本当につらかったらやめてるよ。それで転職して仕事を探して、案外、転職先で自分に向いた仕事と出会えるかもしれない。
人間には向き不向きが必ずあるんだから、それを試行錯誤しながらみんなやっていってるんじゃないかなあ。

だからAが我慢して生きる事ないよ。
人間、必ずしも働かなきゃいけないという決まりはないし、規則という型に全ての人を当てはめるのはそもそも無理な訳で、そんな不完全なものに捕らわれて自分を苦しめるのは勿体ないよ。

(中略)

あと俺からお願いが2つ。
Aが今にも死んでしまいそうな感じがしたので。

一つめ。
年内に死ぬのはやめて下さい。(なぜ年内なのかという理由は今度話します。)

(中略)

ではでは、夜も遅いので今日はこの辺で寝る事にします。
おやすみなさい。

追伸
そう言えば、いつか*****っていう約束を楽しみに待ってたんだけど、
まさかそれを実行せずに死んじゃう……なんて事はないよね。うん、まさかね。(笑)

<---引用、ここまで--->
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2005年 11月 05日 *
ネットの登場によりマスメディア不要とまで言われるようになった昨今だが、ネット普及以前は、テレビや新聞が大衆にとって重要な情報源であり、生活の一部と言っても過言ではなかった。
企業はテレビCMをバンバン流し、消費者も流行に乗り遅れまいと商品を購入した。
もっともその傾向は今でも続いており、音楽CDの上位ランキングには、ドラマやCMとタイアップを組んで宣伝したものがずらりと並んでいる。
今なお、テレビと映画を通じて大々的に宣伝を行えば音楽CDも売れるという図式が成り立っており、レコード会社もそのような戦略を継続中である。

しかし、いつまでもその方程式が成り立つ訳ではないと指摘する声もある。
情報の多様化が人々にもたらすものに、好みの細分化が挙げられる。
また、インターネットによって商品についての情報や評判が簡単に検索出来るようになった事もマーケットに与える影響は大きい。
掲示板等でやりとりされる情報は、実際に商品の使用しているユーザや関連業界に携わる人間の意見であるため、有志の書き込みとはいえ非常に参考になる。
「本当のところはどうなのよ」的な情報をインターネットで確かめてから、購入を決める人も実際に多いのではないだろうか。

こうなると、大衆に対して自分達の代弁者であり、企業にとっては商品の広告という存在価値のあったメディアは、ネットという新たな脅威に晒される事となる。
以前は大量に広告を流せばそれだけで売れていた商品も、消費者が知恵をつけた事によって売上げが低下するかもしれない。
また、以前は世論操作までやってのけた新聞・テレビも、ネットという世界の中での評判や風説に対しても気を配らなければならない。
今まではただ漠然と「おかしいなあ」と個人が思う程度でそのまま済まされていた事が、ネットの中での個人の結束によって現実世界の意志決定に影響を及ぼす事になる。
2ちゃんねるが発端となった、一連ののまネコ騒動や末次由紀氏の漫画のスラムダンク盗用疑惑等が企業を動かした事として記憶に新しい。

■参考リンク
エイベックスのまネコ問題
http://www.bmybox.com/~studio_u/nomaneko/
漫画家・末次由紀氏 盗用(盗作)検証
http://cabin.jp/k55yuki/
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The Original by Sun&Moon