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2009年 03月 29日 *
某ブログでこんなことが書かれていた。

昔山田花子という漫画家が投身自殺を図りましたが、どうしても社会に適応できないタイプの人間というものは存在し、私もその一例でしょう。

自分も以前似たようなことを考えていた。
自分は社会に適合できなくて、その原因はきっとどちらかにあるのだろうと。
時には社会が悪いのだと思ったり、時には自分が悪いのだと思ったりした。
でも、社会と自分は双方に影響を及ぼし合っている、いわばフィフティフィフティの関係。
必ずしも社会に自分を合わせる必要はない。
自分だって生きたいように生きていい。
でも社会のルールの中で自分の好き勝手には生きられないから、お互いに満足のいく関係を探っていけばいい。
決して原因はどちらか一方に存在するのではない。
そう考えるようになってから、自分が社会に適合できないと考えるのはやめた。
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2009年 03月 28日 *
どの時計を買ったらいいかで長時間悩んだ。
それはいいとして、例えば↓はCASIOのスタンダードなデジタル時計。

casio.JPG

僕の知る限りでは30年以上この形は変わっていない。
これだけの年月を経ているのに進化の2文字を無視し続けている所がすごい。
CASIO F-28W-1 値段は1,000円

これを踏まえて、↓の時計は幾らだと思いますか?

SBPG001.jpg

SEIKO スピリット SBPG001 税抜き30,000円
見た目は同じなのに値段はこんなに違うんだね。
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2009年 03月 18日 *
ひぐらしのなく頃には最初に書いたように推理ものではなくて読み物だから、ストーリー上で提起された謎ついて詳細な考察や検証をして批判するのはナンセンスだと思う。
ただPS2版はやはり原作とは異なるものだということを改めて感じている。
前回触れた差別に関連する話題や著作権に絡む表現の削除にとどまらず、難解な言い回しを平易な表現に変更したり新規シナリオの追加といった、単語レベルの細かい修正や削除がそこらじゅうに施されていて、PS2版は原作と似ているようで似ていない、原作を基にして作ったリメイク版のようなものと言った方がいいかもしれない。
背景が写真から絵に変わったのはプラスだが、BGMや立ち絵に関しては綺麗になったのは認めつつも、それがプラスに作用したとは言い切れない部分がある。

tomitake1.jpg → tomitake2.jpg
ファミ通.comより
http://www.famitsu.com/game/coming/2006/07/27/104,1154008465,57705,0,0.html

例えば上図の左側はある登場人物の立ち絵だが、原作は本来、非常にクセの強い画風となっている。
今時流通していない左手用のカメラグリップや、それを敢えて右手で持つ仕草、本数の少ない指など、突っ込もうと思えばいくらでも突っ込めてしまう気もするが、これらを含めて原作と言えるのだ。
一方、PS2版の方はというと、この登場人物がなぜかイケメンに変化している。
そしてさらにカメラまでも玩具のようなものから一眼レフへと進化を遂げている。

この通りPS2版は、絵、BGM、テキストが全面的に改変されており、そこで原作の持つオリジナリティをとどめているかについては疑問と言える。
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2009年 03月 16日 *
ひぐらしのなく頃に、やっと終了。
気になったのでPS2版や小説版などと読み比べてみる。

小説版では沙都子が紗都子となっている箇所はそのまま放置されていた。
わかりやすい誤字では、PS2、小説版ともに「試し」は「例」に修正されていた。
原作でもバージョンアップで誤字が修正されているようなので、各媒体それぞれで修正されていたり・されていなかったり統一されておらずぐちゃぐちゃの状態かも。
小説版は基本的には原作のテキストをそのまま縦書きにして製本しただけのような感じ。
小説版は段落ごとに「■~」と題名が挿入されるが、原作にもソースレベルでは題名が挿入されている。
PS2では、問題のありそうな部分について修正が施されている。
飲酒や無免許運転に関する記述、部落問題に関する記述、731部隊に関係しそうな記述、その他残虐シーンに関する記述など。
主に差別問題など、テレビで視聴者を配慮して放映できない内容はだいたい同じように修正が入っている。

PS2ではCGや音楽が違う。もちろんこれは大きな違いだ。
それに加え、PS2版は選択肢によってシナリオが分岐するシステムが追加された。
原作においてはフラグによる分岐は排除されているのに。
原作は制作コンセプトに基づき意図的にそうなっていたのであり、例えば「ひぐらしのなく頃に解」では「罪滅し編」-「鬼隠し編」、「目明し編」-「綿流し編」、「皆殺し編」-「祟殺し編」、「祭囃し編」-「全ての編」と一応対応しているが、解答編が罪滅し編ではなく目明し編から始まっているように、読み手が一番楽しめるように敢えて選択肢を排除したつくりになっている。

また原作は差別問題に引っかかりそうな部分があるにはあるが、それより殺人の正当化とも取れかねないストーリーは大丈夫なのか心配になる。
例えば冒頭部分で、

どんな過ちだって、許されないことはないはずだ。
取り返せないミスなんかない。

という記述があり、これはひぐらしのなく頃にの主題の一つである。
ただし、ゲームの中だけでなく、現実世界でも殺人は日々実際に行われている。
そして、遺族の人もいる。
そういう人にとってみたら、加害者が憎いのは当然だし、殺人を娯楽にしている映画や小説も腹立たしく感じる。
それなのにひぐらしのなく頃にではありがちなエンターテイメントの枠を超え、主人公が人を殺したり、証拠隠滅をみんなで手伝ったり、殺人を犯した人物が生き残って無事に生活していたりと、あまりメジャーな映画やテレビドラマではないシーンが多く見受けられる。
もちろん作者に殺人を正当化する意図は全くないだろうが、差別問題と同様、見る人や受け取り方によっては文句を言いたくなる展開ではあると思う。

それでも個人的には、PCを持っていないとか原作のCGが生理的に受け付けないなど、よほどの事情がない限りは、同人版をプレイする方をおすすめしたい。
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2009年 03月 13日 *
今更ながら見てしまった。
1991公開って何年前の作品だろう、でも映画を観たのは最近の出来事のように覚えている。
主人公の女性は働いていて「結婚しないんですか?」と聞かれたのに対し、「最近は働く女性が増えてるんですよ」と答えていて、こういうやり取りは昔から変わらないんだね。
女性にとっての結婚は人生の岐路であり、20代後半の主人公が今までの人生を振り返った上で、どのように考え、決断をするかがこの映画の見所となっている。
過去の回想のために幼少期パートが随所に挿入されるのはいいが、現実世界の話が時間的に短くなってしまったのは残念。
でもスタジオジブリだけあって、さすがに映像も台詞も丁寧に描かれている。
今回も山形が田舎の代表格のような扱いで舞台になるんだけど、この映画の方が「おくりびと」よりも会話が忠実に再現されていた。
実写映画と比較してはいけないのかもしれないが、「おくりびと」はとりあえずロケ地を設定して庄内弁使っておけばokみたいな感じで、実際の中身はかなり無理矢理だった。(正直、こんなのでよく賞がとれたなと思った)
東京の人が聞いても会話の内容が分かるようにした、と前向きに捉えることもできるが、台詞は言葉そのものとコミュニケーションや文化的な面がセットになっているので、やはり無理矢理方言を使っただけでは駄目だ。
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2009年 03月 12日 *
長い。
まだプレイの初回だけど最後まで行かない。
正答率1%と言われていたのでプレイヤーが推理するのかと思いきや、プレイヤーは基本的にテキストを読み進めるだけでいい。
どのようなゲームかというと、ある登場人物の述べる、
「誰かが私を、必ず殺す」
という言葉で表現されていると思う。
このゲームの魅力の一つは、シナリオ・物語として面白いことが挙げられるが、もう一つの魅力は構図・システム的な部分にある。
ひぐらしのなく頃にではIFの世界がいくつか出てくる。
そういう意味ではYU-NOとかEver17に似たところがある。
ただしひぐらしのなく頃には、バック・トゥ・ザ・フューチャーやドラえもんのように、過去にタイムスリップして未来の状況を変化させて一件落着、めでたしめでたしという単純な物語ではない。

世界には不確定な要素がある。
例えばその日に運悪く雨が降ったために、ある国が戦争に負けたとする。
もしその日に雨が降っていなかったとすれば、現在の世界地図は大きく変わっていたかもしれない。
つまり、どちらに転ぶか運で決まるような不確定な事象によって、未来が大きく変わる場合が場合ある。
一方で、不確定な要素がどう決まろうと、必然的に起こる出来事もあるだろう。
これを犯罪に置き換えて考えてみよう。
犯罪者によって引き起こされた犯罪の原因は何か。
元々犯罪者に犯罪を起こす性質が備わっていたとする、性悪説の考えに基づいた場合。
また、前述したような不確定要素によって運悪く引き起こされてしまう犯罪の場合。

ひぐらしのなく頃にでは、ある人物がどの世界においても「必ず」殺される。
殺される要因は世界によって様々だが、これにはもしかすると必ずそうなるように仕組んだ人物がいるのではないか。
だとすると犯人は一体誰なのか。
もちろん物語のはじめはそんな仮説すらもない状況だ。
だから、よく考えてみたらこれはネタバレだった。
ついでにまたネタバレを書いてしまうと、物語の後半は既に犯人がわかってしまっていて、それなのに登場人物がどちらが犯人か推理する場面があって、あれはちょっと勿体ないと思った。
読み手はもうわかっちゃってるから、あまり感情移入できなかったり。
それから終盤に犯人の生い立ちやら細かい設定なんかが出てくるが、これも感情移入しづらかった。
作者自身が作中の謎を放ったままにせず全てに対し解答を書きたかった、というようなことを言っているので仕方ないのかもしれないが。

あと、プレイした中での名セリフの一つ。
「第一、…その鉈は何なんですのよッ!! 説明してごらんなさいな!!」
これだけを書いてもわからないと思うが、これは、ある登場人物が犯人と思われる人物から逃げる最中に言い放った言葉。
犯人らしき人物は自分は犯人じゃないと主張しながら鉈を脇に抱えて追いかけてくるが、逃げている本人は緊迫した状況下の恐怖で相手を信用できない。
そんなやり取りの中でこんなセリフが出てきて妙に気に入ってしまった。
凶器持って追いかけたらそりゃ信用されない。
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2009年 03月 05日 *
2009年の2月14日は土曜日で、3月14日も同じ土曜日だった。
これの意味するところは、2月14日も3月14日も状況が同じであるということ。

2月14日に直接会おうとは言いづらい。
しかし、今度会おうという話の延長で、お互い都合がつくのが土曜日であり、それがたまたま2月14日だったという状況なら、偶然を装ってチョコレートを渡せる。
今度の土曜日にどこか行こうという話になった時、自分としては直近の日が2月14日に当たったのが大変気まずくて、その週は忙しいと適当な言い訳を作って切り抜けた。
その結果、僕は2月14日でない日にチョコレートを貰うことに成功した。
でも今頃になって、2009年の3月14日が土曜日であることに気づき焦っている。
「逃げ」はその場しのぎの策に過ぎず、結局は自分の元に返ってくる。
僕は3週間前の彼女と全く同じ立場に置かれている。
この不安を彼女も感じていたのだろうか。
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2009年 03月 01日 *
日和山公園に向かう途中に坂があり、僕は何回か登った。
今でもたまに登る。
でも登るたびに最初の時に感じた衝撃が薄らいでる気がする。
今ではこの建物が映画で取り上げられたために訪れる人もいるらしく、写真に撮りたくなる気持ちもわかる。
昔ながらの風景が保存されているとはいえ、それは形を変え、また保存されない建物は取り壊される。
時間の流れとともに景色は微妙に変化している。
今この瞬間は二度と戻らない。

b0041624_1559737.jpg


今は建物の看板は取り外されている。
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The Original by Sun&Moon