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2009年 05月 31日 *
まだ未プレイの人は、これからプレイできて幸せだと思います(笑)。
自分が最初にプレイしたのは確か去年くらいだったかな、その時の記憶は今でもあいまいに残ってて、今回プレイして「こういう話だったんだ」と気づかされる場面がありました。

るーすぼーい氏作品全体に共通して言えるかもしれませんが、物語のほんとうの大枠においては、主人公や登場人物の挫折や心の傷や葛藤があって、ストーリーが進んでいく中で登場人物達がその壁を乗り越え、決意を新たにする形で締めくくられます。ほんと乱暴な言い方ですが(^^;
夏の燈火も「生きる意味は何なのか」というすごく直球なテーマがあって、どうせ命ははかなく消えてしまうのに、なぜ生きるのかとの問いが発せられます。
で、主人公がやがて生きる理由に気づいていきます。

そういえば、夏の燈火も車輪の国3章もそうですが、氏の作品には料理が登場するシーンがけっこうありまして。
自分も付き合っている人の作ってくれた料理のことを思い出しました。
心のこもった料理はどうしてあんなに美味しいんでしょうか。
なんかそれだけで、またがんばろうって気持ちになりますね。

まあとにかく、るーすぼーい氏の作品には、挫折、社会の矛盾、トラウマ、家庭問題などをそれぞれの登場人物が抱えていて、それでも生きていこうとする姿が描かれています。
作者もそういった人間の根底にある強さみたいなものを描きたかったのだろうと思います。
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2009年 05月 30日 *
最近エロゲーの記事ばかり書いているけど、別に僕はエロゲーが好きな訳ではない。
費やしている時間でいうと、音楽を聴いてる時間の方がずっと長い。
色々なジャンルの音楽を聴くといっても、結局は特定のアーティストの曲ばかり聴くスタイルなのかもしれない。
実際、次のアルバムが待ち遠しいほど好きなバンドはほんの僅かだ。
「God Is an Astronaut」はそれに当てはまるアーティストの一つで、Far from Refugeの1曲目はやはり名曲だと思う。

名曲とはなんだろうと考えてみると、名曲ははじめからそれを名曲と思っていたのではない。
最初は「え、なにこれ?」という印象を受けた気がする。
そして自分なりに咀嚼していって、実は名曲だということに気づく。
初めて口にする食べ物もそうだと思うが、最初は「なにこれ?」という印象しか持たず、慣れてくるうちに自分が美味しいと感じているか、まずいと感じているかがわかるようになる。
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2009年 05月 29日 *
恋愛が成就しないのはなぜだろう。

その理由は気持ちが伝わっていないから。
例えば、自分が相手を笑わそうとして相手が笑わなかったら、それは伝わらなかったということ。
自分の気持ちが伝わらなかった時、ただの自己満足となる。

ゲームの世界では主人公とヒロインが付き合ったり恋愛する。
その過程は現実とはかけ離れていると言ってよい。

るーすぼーい氏の作中でも主人公の言ったネタに対して女の子が笑わなかったりするシーンが出現する。
おそらく氏も現実世界において気持ちが伝わることなどほとんどないと知ってて物語を書いていると思われる。
ただしそれをリアルに描いてしまうと、エロゲーにありがちな展開として男女が結ばれるのは不自然になってしまう。

リーフ作品等の成功の後、徐々にゲームにキャラ萌え志向が強まった。
登場人物が「妹」、「眼鏡っ子」、「お嬢様」の設定を持っていれば売れるだろうとの思惑でゲームが量産された。
しかし、るーすぼーい氏の作品がに出てくる登場人物が、このようなキャラ萌え路線に乗じているかといえば違う。
登場人物をリアルに描写しなおかつ人間関係や恋愛を描くにはそれなりの能力が必要で、そこに直球勝負を挑むるーすぼーい氏の作品は素晴らしいと言わざるを得ない。
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2009年 05月 25日 *
夏ということで再びプレイ。

あれからいくつものノベルゲームに挑戦したけど、やはりるーすぼーいさんの書いた文章は読みやすくていい。
と書くと信者とか言われるんだろうけど。

夏の燈火は同人作品ながらCGもBGMもかなりいい。
世界観は妖怪とかが出てくるので「もののけ姫」と少し似ているかもしれない。
でも田舎の風景とか神社が出てくる本作の方が読んでてほっとする。
選択肢はほとんど出ないけど、序盤、村のどこに行くかの選択肢が出てくる。
その後、道の途中で狐みたいな妖怪に主人公が取り憑かれて「おいおい大丈夫か?」ってシーンに繋がる。
これはプレイヤーの自ら選んだ選択肢によって「今後主人公に良くない事が起こる」ことを自覚させるためにわざわざ配置されたのだと思う。
洗練されたBGMといい、選択肢の配置の仕方といい、同人作品にしてはかなり練られているなと思う。
はいはい信者ですか、そうですか。
いいよ信者でも。最後までプレイしてやる。
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2009年 05月 25日 *
PSなどコンシューマー機で発売された昔の作品は、key作品や他サイトでも評価が高い作品群と比べて見劣りしてしまうのは仕方ないことなのかな。
久遠の絆の時もそうだったけど、読み進めるだけで体力を使う感じだよ。

これも久遠の絆と同じで時代を超えた恋愛物というべきか。
CG作る絵師さんがいて、音楽作る人やシナリオライターさんがいて、それぞれが一定レベルの仕事をこなせば一定水準以上の作品は出来上がるのだろうけど、おそらく人の心の琴線のハードルはそれよりも高い位置にあるのだろうと思う。
贅沢なこと言ってるけど、プレイヤーは単なる消費者だからね。
でも音楽やオープニングムービーはかなり凝っているので一見の価値あり。
主題歌がノベルゲームにありがちな女の子声優に歌わせているのではなく、ちゃんとJ-POPが採用されていることに驚いた。
なんで渋谷系の音楽なんだ? と思って調べてみたら小松未歩が歌っていた。
この手の音楽は幅広い層に支持されつつ、ちゃんと音楽関係者にも聞けるレベルになっているのが特徴で、ゲーム中に流れるBGMもなんとなく影響を受けているような感じを受けました。
1999年発売当初の評価はそれなりにあっただろうけど、今それだけの評価を得るのは難しいだろうなぁ。

ちなみに「PsxMC」というソフトを使用すればプレステのCD-ROMから音声や映像データを抽出して遊べます。
(家に同居人がいる場合は、一人でニヤニヤしていると気持ち悪がられるのでやらない方がいいと思います。)
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2009年 05月 25日 *
keyです!
当方、恥ずかしながら初keyなんですが、やはり噂通り他社の作品と比べると文章、サウンド、CGが一段階上のレベルにあるという印象を受けました。

これはジャンルとしてはSFです。
で、SF作品の価値を決定づけるのはヴィジュアルイメージと音なのではないかと。
ストーリーが糞であったとしても、例えばこの前「ウォッチメン」とかいうSF映画が上映されてましたが、あれで魅せられるのはCGと音響くらいなもので、ストーリーはどうであっても作品が成立してしまうという…。
そういう意味では、本作品で一番凝ったのは文章の部分だっただろうことは少し惜しい部分ではありました。

この作品は主人公とロボットの物語です。
この設定の時点で感動を誘う要素が備わっています。
ラストシーンでは、漫画「アウターゾーン」の39話「無情の街」を思い出しました。
("無情の街"はすごく短い話なのですが、最初子供の頃読んだ時は、その整ったストーリーに衝撃を受けました)

この「ちいさなほしのゆめ」も短いお話ですが、読み終えた後少しだけ温かい気持ちになれました。
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2009年 05月 24日 *
頭が痛い…
麻薬中毒の状態であることは違法ではない。
麻薬を探し求めて彷徨い歩くことも違法ではない。
自分が生きていていいかを考えた時、そう思った。
宮崎アニメの柱と言うべき点は、主人公が女性であり、敵も女性で、それ同士が戦うところにあるのではないか。
体が動かない。
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2009年 05月 18日 *
過去のゲームは過去のままやるべきだ。
最近はリメイクばかりで、というか、FC、PS、DSと何回リメイクしたら気が済むんだ。
過去の作品が楽しめればいいと何も知らずにリメイク作品に手を出してしまったが、映画の続編が駄作になる法則と同様、リメイクもロクなものにならないのではないか。
過去の興奮を思い出すために今プレイしたいという動機は誰にでもあるが、実際に実機で同じ環境でプレイしてみると、いかに思い出補正がかかっていたことがわかる。
ゲームをしている時のワクワク感や恐怖感は、子供の頃の当時だからこそ増幅して感じることができたのだ。
リメイクは、そうした思い出補正をプレイヤーに悟らせず、現実をうやむやにするためのカモフラージュとしての効果はあるだろう。
でも当時と同じ環境でプレイし、「昔はこんなものをおもしろがっていたのか」と過去の自分と今の自分の感じ方の違いを発見するのも一興である。
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2009年 05月 15日 *
ニワトリのそういう場面を見せてあげると言われ、いい気持ちはしなかった。
もともと動物は苦手だし、生々しいシーンを見るのは気が進まなかった。

やがてゲージが運び込まれてきて、ゲージに入っていたのは、ニワトリではなかった。
目撃した時のショックが大きくてうまく言えないが、それはおそらく人間だったと思う。
人間のつがいが4組くらい並んでいて、彼らはそれぞれ交尾をしていた。
なぜそんなことをしているのだろう。
説明によると、どうやら彼らは少し特殊な処置を施されたらしい。
想像するのも嫌になるが、脳のどこかに何かされたのだ。
ただし彼らは目をうつろにしたり狂気じみている訳ではなく、人前で交尾を行っていること以外は僕達と変わらない、普通の人間だった。
その振る舞いは、人間として当然の行動であるかのようだ。

彼らは特殊な処置によって壊れてしまったのではなく、ある感覚だけが欠落していた。
それは人として恥ずかしいといった類の、ただ僅かな感覚でしかなかった。

彼らは何らかの処置により、ずっと交尾し続けている。
ゲージの外側でそれを見ていた僕は、彼らがまるでニワトリと同じ動物のように見えた。
いや、もともと人間と動物との違いなんて、ほんの僅かな違いしかないのだろう。
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2009年 05月 14日 *
勇者はモンスターをやっつけたと言うが、魔王は勇者をやっつけたとは言わない。
両者の「ぶち殺す」という行為において変わりはないのに。
映画にも小説にもゲームにも大抵「殺し」が含まれており、消費者もいちいち驚きはしない。

ただし物語には一定のルールが存在する。
例えば金田一少年やコナンのエピソードでは毎回誰かが死ぬが、主要登場人物は死なない。
ズッコケ3人組の中の誰か一人が死んでしまうことはない。

日本の昔話「鶴の恩返し」で、もしも「絶対に部屋を覗かないでください」という約束が守られ、単に鶴が恩返しをして終わる物語だったら、現代まで語り継がれることはなかっただろう。
そこには、「見てはいけないと言われていたものを見てしまう」人物への読者の感情移入のプロセスが発生し、単純だが心に残る話になっている。

物語を大作にしたり駄作にしたりするのは読者である。
読者の感情が物語を大作にもするし、駄作にもする。
人間の感情に法則性があるなら、良い作品にも法則性があるのではないか。
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The Original by Sun&Moon