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2009年 09月 29日 *
2009年10月22日にWindows7が一般発売されるということで、新しいOSはどんなものかと思い、Windows 7 Enterprise 評価版をダウンロードしてみた。

画面イメージ
090929-1.jpg

XPより壁紙が爽やかになっている。
でも動作は多少重くなった感じ。
下にあるタスクバーはどのウィンドウが現在アクティブなのか、色でほとんど区別できないのでわかりづらくなっている。

Windows Media Player について。
Windows7にはバージョン12がプリインストールされている。
XPでは11が使いづらかったので10を使用していたが、バージョン12では更に使いづらくなっている。
そもそも、本体を起動してファイルを開くメニューはどこにあるのだろう?
よく比較されるMacOSは直感的にわかりやすい操作が魅力的らしいが、これを直感的に操作するのはもはや不可能の領域に達している予感。
また気になる音質は、内部で加工されてから音を出力しているらしく、出力レベルが不安定。
大きなスピーカーで鳴らせば気にならないかもしれないが、イヤホンで聴く人にとってはかなり気になると思う。
イコライザを全くいじっていなくても、バージョン12と10とでは音質が明らかに違っているのがわかる。
どうしても我慢できないようならXPモードで聴くか他の再生ソフトで聴くことにしよう。
XPモードに搭載されているMedia Playerのバージョンは確か古いはず。
動画再生に関してはあまり変化がないと思う。
DVDのDolby Digital は設定の変更が可能で、音も普通に良かった。

090929-2.jpg

以上まとめると、機能面での変化はあまりないが、レイアウトが変更されているので、
「このボタンどこへ行った?」という場面に何回も遭遇することになるだろう。
操作が直感的にわかりやすく動作も軽快なOSに進化するのは歓迎だが、このOSに慣れ、良さを実感できるまでには時間がかかりそうだ。
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2009年 09月 27日 *
01307211911.jpgSONY NW-E015      K0000057658.jpgApple iPod nano MC062J/A

SONYのMP3プレーヤーのEシリーズに後継機は出ないのだろうか。
iPodに似た新製品が10月末に発売されるみたいだけれど。

音楽をアルバム単位で聴く時代は終わってしまった。
昔はそれほど良くもない曲でも時間をかけて聞いてた。
それが無駄だったかと問われれば、そうでもなかったと思う。
音楽はかつてCDという形があって手で触れられる物に収められていたものが、データという目に見えない形に変容していく。
当初、iPodやSONYのAシリーズのようなカラー液晶付きの音楽再生機は、かつて音楽が有していた「物」としての役割を補完するために作られていると考えていた。
しかし実際にiPodが普及しているのを見ると、そうではないらしい。
単純に色々な機能が付いている所が好まれる。
音楽と生活との共存を目指すというより、Apple社のアイディアに溢れた製品を持ち歩きたいから選ばれているのだと思う。
SONYの新製品の発表のたびにアピールされる音質の付加機能は、過去のウォークマンがヒットした手法を模倣しているように見える。
しかし既にSONYのウォークマンはブランドではなくなった。
あるとすれば、社員が「こういうものか」とおぼろげに想像するイメージの中にしか存在しない。
ただし、音楽が物を媒介として取り込まれるのではなく、単なる電子データの集合体となったのであれば、SONYはEシリーズのような携帯性を持ち、かつ大容量を持つ新製品を出すべきだ。

というか、2005年のEシリーズ(NW-E405)の方が操作のレスポンスが良く電池の持ちも良かった(50時間)のが納得いかない。
容量と価格以外は退化してしまっている。
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2009年 09月 26日 *

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2009年 09月 25日 *
ちょっと待て。
せっかく快適な職場環境だと思ってたら困ったことになったよ。
部下を教育しろみたいなことに…。
どうしたらいいんだ。
こんな奴生まれてはじめて見た。
本当にどうしたらいいんだ。
がんばって伝えようとしてきたけど、自分の一番伝えたいことが全く伝わらない。
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2009年 09月 22日 *
ストレスがないのは良いことなのだろうか。
引きこもり生活から脱して就職してからというもの収入は激減したが、今のところストレスはさほど感じていない。
運良くそういう時期が巡ってきただけの話で、いつか終わりが来るのだろうか。
たった一人で生きなければいけない状態と、組織に属しながら一定額の賃金を貰う状態とでは安心感が違う。
今は「この会社をどうするか」なんて深刻な話題からは解放されている。
以前は「この先どうするか」を悩んでいた。
考えないことは終焉に直結していた。
今は「この会社をどうするか」は経営者が決めており、そういう意味で自分はただの労働者だ。
先のことを考えないのが恐ろしいほど楽なことに気づかされた。
そのような人間に対して、軽蔑のまなざしを向ける人がいることを僕は知っている。

意のままに人を動かし利益を創出する行為を人身売買と同列に考え悩んでいた時期があった。
しかしよく考えてみると人の給料に区別がついている時点で、明示的に数値化されてしまっている。
「お前ら何もしてないのにどうして利益だけ上乗せしていくんだ」
みたいなことを散々言われたが、製品やサービスは人を動かしたり管理する側の人間も必要だ。
それは働く側の人間が必要不可欠であるのと変わりがない。

組織に属して働くということと、自分一人で生きることの違いはどこにあるのだろう。
例えば僕が最初に働いていた会社にはおかしな点があった。
(100%クリーンな企業なんてあるのだろうか?)
なぜか架空のものでも売上を計上できるシステムが存在し、実際に期の終わりごとに行われていた。
誰だってそんなことはしなくないが、期を乗り越えるためには仕方ない。
「良くないのではないか?」
そんなことを問うことは無意味だとみんなわかっていたから、誰一人その発言をする者はいなかった。
これをブラック企業ではなく、毎回就職ランキングの上位をキープしているような企業がやっている。
この企業だけが例外という話ではなく、おそらくどの会社にもどこかに後ろ暗い部分は存在するのだろう。
それに対し異を唱えるものは存在しない。
その問いが無意味なものとわかっているから。

一人で生きていた時も同様に暗い部分はあった。
その暗い部分は僕の心を苦しめた。
ただ組織に属していた頃と違うのは、自分に異を唱えたり、立ち止まって考える時間が与えられていたことだった。
今していることに違法性はないのか、いやもっと稼ぐべきなのか、それともきれいさっぱり辞めた方がいいのか。
そんなことを考えているうちに、自分の生きている感覚が希薄になっていった。
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2009年 09月 15日 *
映画「レスラー」について少し書こう。
鑑賞者にとってこの映画の価値は、主人公をどう見るかによって変わってくる。
有り体に言えばこの映画は「落ち目のプロレスラーが自分の生き方を変えられない物語」である。
しかし、それは一方的な見方に過ぎない。
この映画では影の部分と光の部分の対比を繰り返すことにより、そのどちらをも際立たせる構造になっている。

例えば主人公はプロレスという、今日ではかなりマイナーになってしまったジャンルの職業に関わっている。
大抵の子供は昔のプロレスゲームなんか「つまらない」と感じ、COD4に熱中している。
プロレスは今や決してゴールデンタイムに生放送されたり、多くの人々の注目を浴びることはなくなってしまった。
しかし、一部では根強いファンも依然として残っている。
地方公演では観客も集まるし、小さい子供がプロレス人形を持っているシーンからも一部の支持を受けていることが描写されている。
家族や恋人には嫌われたり、好かれたりする。(そういったシーンが両方登場する)

大抵の映画は結局は主人公の強さの証明だ。
悪党を倒していき最後のボスを何とか倒してQ.E.D(証明終了)みたいな。
またはストーリー中で、主人公が今までできなかったことができるようになる成長過程があったり。

「レスラー」の主人公は、人と解り合えなかったり、どうしたら食べていけるかとか、そういう問題に直面している。
そんな中で彼は何かを信じ、信じるもののために闘った。
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2009年 09月 13日 *
東京は夕方から雨が降った。
それまで1日何もしなかった僕は外に出ようと考えた。
傘はさしていたけど足が濡れ、腕が濡れ、服がびしょ濡れになった。

友達がおすすめしている映画を借りるためにTSUTAYAへ行った。
TSUTAYAのホームページでは最大5店舗の在庫検索が行えるようになっていて、事前にお店に置いてあるかチェックしていた。

しかし、店内の棚をいくら探しても借りようと思っていたDVDは見つからなかった。
仕方なく店員さんに探してもらった。
15分位経過したが、やはりありませんとの返事だった。

確か、僕はこの場面で「ああ」とか「うう」とか言っていたと思う。
ここで怒りっぽい人は、
「どうしてくれるんだ、おれの時間を返せ」
などと文句を言うのだろう。
あるいはやさしい人なら、「探してくれてありがとう」
と感謝の言葉を口にするだろう。
僕は、目の前に広がっている光景が主観視点なのか客観視点なのか、ここが現実なのかさえわからない、もしかすると本当の自分はベッドで寝ているのかもしれない。
今の仕事にしろ、ほぼ頭を使うことはなく、ただ時間が過ぎていくだけ。
プライベートにしろ、発言の機会はなく、飲食店でメニューを注文するだけでも苦痛。
僕は僕の時間を生きているのだろうか。
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2009年 09月 10日 *
実際にMOの耐久性についてチェックしなければならない。
新品ならきちんと動作して当たり前。
知りたいのは、数年前のデータが問題なく読み込めるかどうか。

リサイクルショップやヤフーオークション等では、誰かが使用した中古のメディアがジャンク品(保証なし、初期不良交換なしの売り物。)として販売されることがある。
私は試しに中古のMOメディア(230MB)60枚を購入した。

最初はMacフォーマットで中身を読み込むことができなかったが、MacDriveというソフトを使用するとWindows上でも簡単に読み込むことができた。
やはりメディアの中のデータはそっくりそのままだった。
中身のデータは広告用の画像がほとんどであり、このことから、このメディアは業務用途に使用されていたようだ。
(ちなみにMOは広告業界でかなり普及している)
また拡張子が.aiのファイルはIllustratorの体験版をインストールすると見ることができた。

ファイルの作成日時は、おもに2000年から2002年頃。
結局、10枚中、ファイルが読み取れなかったり、ディスク不良の媒体はゼロだった。
230Mのメディアはデータが抜け落ちにくい構造になっているのかもしれないが、やはりMOは長持ちするという評判は本当だった。
まだ60枚中10枚しか確認していないが、そんな気がする。

数年前のデータもちゃんと読める。
そんな当たり前のことが嬉しい。
一方、数年後には保存したデータが消えてしまうかもしれないメディアが平然と売られていることが悲しい。
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2009年 09月 05日 *
以前からデータの保存をどうすればいいのかを考えている。
僕が子供の頃は音楽はカセットテープに録音し、映像はビデオデッキに録画した。
それはそれでアリだった。
この前HDD搭載のDVDレコーダーを購入し、親にあげてしまったが、結局元のビデオデッキを使用している。
DVDレコーダーは高機能であるが、高齢者には使いこなせないのだ。
新品のDVDレコーダーは段ボールへと入れられ、早くも戦力外通告を受けた。

1997年頃の一般的なメーカーのPCスペックは以下の通りである。

CPU:MMX Pentium 166MHz
HDD:1.6~2.5GB
CD-ROM:8倍速
32MBメモリ
33.6kbpsモデム

この頃からPCに接続してデータをバックアップできるCD-Rドライブが徐々に普及しはじめた。
CD-RでHDDの内容を全てバックアップしたとしても、4~5枚程度で済む計算になる。
また市販されている音楽CDを丸ごとコピーできるのもCD-Rの魅力の一つとなった。
サイズが小さく書き換えが可能なMDも普及していたが、音質を追求するのであれば、データを圧縮せず記録可能なCD-Rが望ましい。

2003年頃のPCスペックはどうか。

CPU:Pentium4 2.60CGHz
メモリ:512MB
内蔵HDD:120GB
CD/DVDドライブDVDマルチドライブ

時代はCD-RからDVD-Rと変わり、保存できる容量は増えたものの、HDDの容量はそれを上回るスピードで増殖していることがわかる。
それまでにも家庭用はDVD-R、業務用はテープ装置によるバックアップ方法が存在したが、この頃からHDDやストレージ製品を生産するメーカーがHDDによるバックアップを宣伝しはじめる。
ディスクをミラーリングすることで保存性の向上をアピールし、家庭用にもHDDを二重化したRAID構成を有する機器が店頭に並びはじめた。
ハードディスクに保存されたデータは、ハードディスクに保存する時代が到来したのだ。
確かにたとえ1台のHDDが壊れたとしても、そのHDDを新品に交換し、壊れていないHDDからデータをコピーすれば元通りになる。
ただしメーカーの宣伝文句をそのまま鵜呑みにすることはできない。
もしHDDが2台同時に壊れたらどうなるのか。
失われたデータは二度と復旧することはない。
従って、多くの企業はいまだにテープバックアップを行っているし、一般家庭でも万が一のためにDVDやブルーレイディスクを併用してバックアップをしている。

今悩ましいのは、データを保存しようと思ってもHDDバックアップは100%安全とは言えないし、かといってDVD-Rやブルーレイに頼るのも100%安全とは言い切れない所だ。
大切な思い出は劣化しないデジタルデータで保存しましょうと言ったところで、その記録媒体が50年後まで読み込み可能な状態で残っていることを誰も保証できない。

当たり前の事でわざわざ言葉にする必要はないかもしれないが、HDDはいつか壊れる消耗品である。
CD-RやDVD-Rも市販のプレスされた媒体とは記録方式が異なり、耐久性は劣る。
海外製の安いメディアの耐久性は低いため長期間の保存には向いていない。
例えば私が試しに海外製の安価なメディアに記録したデータは、5年経過した今、既に外周部が読み込めなくなっている。
明らかに粗悪な製品が、事故米のように市場に流通している。
(それを言い始めたら国内の某有名音響機器メーカーがゴミのようなメディアを堂々と販売していたのも詐欺に近いが。)
そもそもCD-RやDVD-Rは色素が使用されているので長時間日光に晒しただけで読めなくなってしまう。
日光に晒すのはオーバーだとしても、10数年後に問題なくデータが読み込めるとは言い切れない。

その落としどころとして、定期的に出現するブルーレイ等の新製品や新品の大容量HDDにデータをイナゴのように順々に待避させる方法が現実的だと認識されている。
しかし、たかがバックアップにどうしてそこまで継続的な時間と労力をかける必要があるのだろうか。
できれば一度保存したデータは消えずにずっと残っていて欲しい。
消えてもいいものもあるが、例えば結婚式の写真や子供の写真とか消えたら困るデータもあるだろう。
もし一旦消えてしまったら二度と戻ることはないのに。

フラッシュメモリーも安価にはなったが、あれはデータを移動させるために一時的に保存するためのもので、バックアップのためのものではない。
普通に量販店で売っているフラッシュメモリーも数ヶ月で壊れてしまう場合もある。
メモリはあくまでデータの移動用途に限って使用するべきだと考える。

データの耐久性という意味では、1988年頃から発売されたMO(光磁気ディスク)の信頼性が高いと言われる。
MOの記録方式としてはレーザー光と磁界を与えることにより磁気記録が行われる。
SONYのMD(ミニディスク)のパソコン版と考えればわかりやすいかもしれない。
ただしMOはフロッピーディスクドライブの製造中止のニュースに引き続き、販売終了されることが報じられている。
保存寿命が50年から70年と推定される信頼されるメディアだというのに、保存できるデータ容量が少なく転送速度も遅いために需要が低迷しているのだ。

僕はこれまでMOを使用したことがなく、どの程度の使い心地なのかわからなかったため、購入してみることにした。
ドライブは秋葉原で売っていたロジテック製のLMO-PB636FU2(中身は富士通製)。
ジャンク屋で980円で売っていて当初不安だったが、USBで接続するとリムーバルディスクとして認識し、問題なく動作した。
MOディスクも安価で売られていたものを購入した。

封を開けてみると外側は透明なプラスチックのカートリッジに覆われており、中に円盤状のディスクが見えた。
シャッターをスライドさせ中身を覗くと銀色のディスクが白い光を放っていた。
僕はその確かな存在感を気に入った。

MOはこれまでのCD-RやDVD-Rやブルーレイディスクが抱える問題点をも浮き彫りにしてくれた。
そもそも、これらは年配の方が簡単に扱えるようには設計されていなかった。
彼らはバックアップメディアといえばフロッピーディスクのように、ディスクを挿入するだけで書き込み可能だと思っている。
ライティングソフト? なにそれ? というレベル。
また、フロッピーディスクと同じように、データの書き込みや消去ができるものと勘違いしている。
CD-Rメディアは記録されたファイルの一部を何回も書いたり消したりするのには不向きなのだ。

そして、CD-RやDVD-Rは、今後数十年に渡りデータを保持し続けられる保証がない。

これらの問題を解決しているのがMOだと思う。
それに、CDのようにケースを必ずしも必要としない点も嬉しい。
保存状態が悪くても最初からケースに収まっているのだから、ある程度の耐久性は保たれる。
いくら容量が少なくても、使い方がシンプルで耐久性の高いメディアは残されるべきだ。

ただ写真や文書は保存できても、動画をはじめとする多くのデータ容量を必要とするファイルのバックアップはどうするのかといった問題は残る。
それらはやはり、HDDに保存した上でDVD-Rやブルーレイにも保存し、どちらかが読めなくなったら新品を用意してもう片方からコピーするのが現実的だと考える。
やれやれという感じではあるが、重要度の高いデータが容量の多いデータとは限らない。
従って、DVD-Rのバックアップは数枚程度で足りると見込んでいる。
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2009年 09月 05日 *
相変わらずGod Is an AstronautのFar From Refugeを聴いている。
日比谷シャンテで「レスラー」という映画を観たんだけど、これはよかったよ。
「消されたヘッドライン」が今年のヒットかな、と自分の中で思っていたんだけど、それを見事に上回ったよ。

最近は感動することが少なくなった。
ここ1年間だと上記に加えてa profile(同人版)くらい。
精神的に安定しているとポジティブに捉えることもできるが、不安定な過去を回想し、「あれはあれでよかったんじゃないか」とも思える。
恋愛においても同じかもしれない。
この人との付き合いはどうしても続けられなくて別れたけど、今から振り返ってみるとあの頃はあの頃でよかったんじゃないかと。

初期の無職の頃は様々なことが新鮮だった。
だってそれまでは夕方の街を歩くことさえできなかったのだから。
私服で駅の時計の午後4時を見た時すら斬新だったよ。
ただ、誰とも会話しない日々が何年も続くと精神的にきつくなってくるけど。
今の仕事をしている状態は、無職後半の時のように無為に過ごす感覚に似ているが、精神的なつらさは解消された。
今の仕事は何も考えなくていい。
何も考えず生きていけるのはどんなに嬉しい事だろう。

今の仕事と前の仕事との違いは、簡単に言ってしまえばホワイトカラーとブルーカラーの違いか。
イギリスのパブではホワイトカラーとブルーカラーの住み分けがあり、互いが一緒に酒を飲み交わしたりはしない。
それは差別というか、まあ階級の違いというやつだ。
同じ人間でありながら様々な違いがある。
すぐにわかるのは、民度の違いがあること。
例えば家賃5万円のアパートと家賃20万円のマンションの住み心地はかなり違う。
設備的な違いもそうだが、住むにあたっては周囲の環境も大事で、住人のレベルが違うために住み心地が変わってくる。

あるゲームをしたとしよう。
某有名企業Aの社員は平均スコアが80で、一般企業Bの社員の平均スコアが40だったりする。
同じ人間なのに、ここまで違うのかと思う。
企業Aの社員は相対的に高学歴な集団だが、実は勉強以外の能力も高いという結果が出る。
そんな優秀な人間を抽出した組織のする仕事に対して、一般的な組織が敵う訳がない。
何の理由もなく集められた人間がお互いに足を引き合っている間、彼らはある目標に従い、それぞれが忠実に仕事を遂行し、その結果として歴然とした違いが出る。

何が言いたいんだろう。
僕がずっと考えているのは、自分のような人間が生きていていいのか、という事だ。
自分の気持ちとしては、主観的には生きる価値のない人間だと思う。
ただ客観的に、社会的にみて、自分は生きる価値があるのだろうか。
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