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2010年 01月 31日 *
あらすじ

病院で療養中の母親の病状が悪化し、意識不明となった。
医師によると、「奇跡」でも起こらない限り回復は望めないという。
14歳の少年は周囲の反対を押し切り、優勝すれば奇跡といわれるボストンマラソンへの参加を決意する。

少年は母親のために走る。
果たして少年は優勝できるのだろうか。
母親の意識は戻るのだろうか。


以下ネタバレ

どういう結末になるかが気になって観てしまった。
だってガチだよ。
少年が優勝して母親が回復するなんてハッピーエンドは誰も期待していない。
映画として結末をどのように収拾するか気になっていた。
終わってみると非常に爽やかな余韻が残った。
「あなたは奇跡が起こるって気持ちが足りないんじゃないの?」という友達の台詞や、
「今まで奇跡なんて信じてなかった」というコーチの台詞。
ラストシーンの主人公の台詞の一言が物語全体に意味を持たせている。
あれがなければ救われなかったし、あれがあったからこそ救われた。
母親の最後のカットは明らかに不要と思われたが、まあ見なかったことにしよう。
爽やかでいい映画だった。
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2010年 01月 31日 *
以下ネタバレを含みます。

宇宙のどこかにあるエイリアンの住む星が映画の舞台。
人間は、その星から豊富な資源を得るためエイリアン(先住民族)を立ち退かせようと企てる。

序盤でエイリアンについて語られるシーンがある。
銃が効かないくらい皮膚が頑丈で、傭兵の隊長によると地球の戦争とは比較にならないほど過酷な状況らしい。
そんなに酷いのかと思って観ていると、主人公がいきなりエイリアンと友達になる。
この時点で地球外生命体に対する恐怖は途端に描かれなくなった、というか無視されるようになる。

3Dという新たな試みについては、新鮮な部分もあった。
作品内のモニターも3Dで表示されていた。
映画の登場人物はメガネをかけていなかったけど、一応3Dで見えている設定なのだろう。
また宮崎駿にどうだと言わんばかりに空を飛ぶシーンが多い。
飛行機が攻撃する時の弾道が3Dに見えたのも3D映像ならではの表現だった。

ストーリーはどうなんだろう。
日曜洋画劇場で取り上げられるアクション映画と大差ないレベルのような。
系統的には「ダンス・ウィズ・ウルブズ」や「もののけ姫」と似ているが、主人公がエイリアンと溶け込むのが割と早く、人間・エイリアン間の確執で主人公が苦悩するシーンはほとんどない。(主人公は悩まない性格の持ち主だった)
主人公が人間の姿でエイリアンと過ごせば、生物的な種の違いお互いの立場の違いやがもののけ姫より際立たせて描くことができたかもしれない。
まあストーリーについてあまり突っ込むのはやめよう。
日曜日にテレビを付けた時たまたま観てしまうくらいがちょうどいい。
あまり期待しすぎると現実に戻りたくて憂うつになってしまう。
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2010年 01月 31日 *
自分にとっての女性に対するイメージは、与えられたカードで当たり前のように勝負するってこと。(男らしいといえば男らしいが)
男の場合、配られたカードに対し不平を言ったりする。
また、現状よりもいいカードを得ようと努力する。
あるいはこのカードで勝負するしかないのだと悟りの境地に到達する者もいるかもしれない。
女性はカードに不満を言う訳でもなく、当たり前のようにそれを受け入れている。
女性の適応能力は高いと指摘されているのは、このような性質から来ているのではないだろうか。

女性は男性よりもコミュニケーションの方法が多彩だ。
女性同士の感情の通わせ方は男性相手には通じない場合がある。
女性の方が次元が0.5次元くらい高い。
その高さからすると、長年寄り添った妻が夫の感情を言葉なしで理解できるのは自然だ。
一方男性にとっては、テレパシーみたいな目には見えない電波が飛び交っていて、それを受信できない。
だから気持ちを共有しづらい。

2次元同士のコミュニケーションと2.5次元同士のコミュニケーションは上手くいく。
だが、2次元と2.5次元のコミュニケーションには何らかの埋め合わせが必要になる。
恋愛とはそういうことなのかもしれない。
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2010年 01月 26日 *
「勇者たちの戦場」
これは戦争アクション映画ではなく、戦争後の日常生活に溶け込めない兵士達の苦悩する姿を描いた作品。
戦場で負傷すること、恋人の心が離れていってしまうこと、就労できないこと、これらは全て現実的に起こり得る。
ドラマティックなシーンはないものの、虚しさがじわじわと迫ってくるいい映画だった。

「いのちの食べかた」
タイトルに惹かれて借りてしまった。
食品製造業の現場をただひたすらフィルムに収めた作品。
人間に食べられるために生まれてきた動物、飼育から加工はオートメーション化され、肉の形になって出荷されていく。
直接動物を殺さないにしても、食べ物を食べて生活している人は知っておくべきだと思う。(ほとんど全ての人が該当するだろうが)

「ナイロビの蜂」
あらすじを見て観ようと思った作品。期待していたものと少し違っていた。
なぜか序盤のトリッキーなシーンに騙された。
原住民の子供と別れるシーンで何気に不意打ちをくらった。
ただ全体的に中途半端な感じは否めず。

また、ニコニコ動画で「燃えるエロゲ集 第二版」を視聴。
今までプレイした作品が1つも出てこない。
TVアニメを見るよりは面白そうで、いくつかプレイしてみたいと思った。
でも実際にはプレイしないのだろう。

結局、自分が何を見たいのかわからない。
気力が無いだけかもしれない。
ただ気力というものが一体どこから湧き出てくるのかわからない。
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2010年 01月 24日 *
ある人のことを12年経った今でも忘れることができずにいる。
それはどういう感情だろう。
うまく言えない。
とにかくその人が今どうしているかを知るためには、まず生存から確認しなければならない。

12年前、僕はその人のことを知る。
知り合った当初、その人は驚いた様子だった。
その人は僕の存在を知っていたが、その僕がまさか声をかけてくるとは思わなかったらしい。
でも僕にとって驚くに値することではなかった。
人の持っている波長が発せられる限り、存在を消し去ることはできない。
僕は人の持つ波長を正確に捉えられる自信があった。
それは共通の趣味を通じてお互い友達になる過程のようなものだ。

何回かメールのやり取りをした。
ただ頻繁には交換しなかった。
お互いが存在を感じられる距離にいたから、特に連絡する必要はなかった。
しかし、ある日突然その人は姿を消した。
メールの返信途絶え、生きている痕跡もなくなっていた。

その人は今どうしているだろう。
生きているのだろうか。それとも死んでしまっているのか。
そう考えながら足跡を探す日々が過ぎた。

12年後、その人と関係があるかもしれない情報を見つけた。
その情報は、ある集まりの参加者リストの中にその人の名前があるというものだった。
今となってはその人の生存を確かめる方法は、こちらから出向くしかなかった。

「~さんですか?」
最初、その人は何のことだかわからないといった顔をした。
その反応を見て、ただの人違いかもしれないと思った。

僕は実際、今日に至るまで、その人に会ったことはなかった。
12年前はお互いネット上で存在を確認し合っていただけの関係。
でもなんとなく、相手は自分の予想の範囲内にあり、徐々に相手が「その人」であると僕は確信を持った。
ただ最初その人が何のことかわからない様子だったのが引っかかっていた。
でも普通に考えれば無理はない。
12年も前の事をさも昨日の出来事のように引っ提げてのこのこやってきたのは、僕の方なのだ。

それから二人だけで話をした。
僕は、その人がどうして急に姿を消したのか、その理由がわからなかった。
どうしてもその理由を知りたかった。
12年間、なんで自分を置いてきぼりにするのかと、そればかり考えていた。
残されたものの気持ちを考えたことがあるのか。自分だったら絶対にそんなことはしないと心に誓った。
でもいざ本人を目の前にしてみると、12年前に姿を消した理由など聞けなかった。

わかったことは、その人はもう12年前の人ではないということ。
それはもう過去の話、あるいはその人が過去にしたいと思った話。
物事には必ず理由があるのか?
理由なんてなかった。
強いて言えば自分が自分らしくないと感じた、ただそれだけだ。

12年前は悲観的なことで気持ちを共有していた。
それで死んでしまったものと思っていた。
けれど生きていた。
それだけでよかった。

ゆっくり時間をかければ傷は癒えるかもしれない。
そうだとすれば、過去に理由など必要ない。
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2010年 01月 23日 *
名作の定義について考えると長くなりそうなのでこの際置いておくとして、
少なくとも作品には読者にページをめくってもらおうとする意図が存在する。

それは既に設定の段階から存在し、例えば子供の頃に見たTVアニメ「デビルマン」は主人公が悪魔の力を身につけているという設定で、経験の少ない子供ながらも新鮮さを感じた。
FF4の主人公の職業も暗黒騎士だし、FF7も大企業に反抗するテロ組織の話から始まる。
主人公がアウトローな設定は割と多い。

評価の低いノベルゲームはなぜ評価が低いかといえば、序盤のシーンが退屈だからだ。
学校での日常生活が単調だと、大抵挫折して物語を進めるのを中断してしまう。
a profileの莉寿シナリオでは妹が誰かから嫌がらせのメールを受けていて、妹は兄に迷惑をかけまいと嫌がらせをしている人間を教えまいとするのだが、誰が嫌がらせをしているかの謎が作品を読み進める原動力となり得る。
また未来シナリオでは誰が主人公にラブレターを送ったのかという謎が物語に作用している。
エロゲーの場合もえっちシーンへの期待がページをめくる原動力として機能していると言えるだろう。

序盤の日常パートが退屈なものであっても、評価の高い作品は存在する。
その場合は前半と後半の変化を激しくさせることで読者に衝撃を与えられるように、わざと序盤を単調に描いていると思われる。
ageの「君が望む永遠」や「ひぐらしのなく頃に」などがこのパターンに該当する。
音楽アルバムでも激しい曲の前にゆっくりとした曲が挿入されていたり、1曲の中でテンポに緩急をつけている場合があるが、ノベルゲームも後半を効果的に見せるために敢えて前半はゆったりとした日常シーンを描いている。

「~さんって~ですよね」
会社に入りたての頃、周囲からそういう第一印象をよく指摘される。
自分の場合、周囲、というか現実そのものに対して無関心な態度をとっているらしい。
他人からのレッテルは不快だが、よく考えてみると確かに当てはまっている。
自分がしていることなんて、多少気になっていることを調べる程度のことだ。

名作と評価されても現在では入手困難な作品がある。
もちろんネットオークションでお金さえ出せば大抵のものは購入できるのだが、販売時期がかなり昔でかつ市場にあまり出回っていない作品はなかなかオークションでも手に入りづらい。
商業作品でないフリーゲームに関しても既に公開停止になっているものが多く、その場合はオークションにすら出品されないので入手経路が存在しない。
最近は空いている時間をそういう入手困難な作品を探すことにばかり費やしていて肝心のゲームをプレイしていない。

相手が自分のことを思ってくれているのに、本人が疑心暗鬼になってそれを受け入れられない状況は現実的に起こり得る。
ひぐらしもオチを病気のせいにしてしまうと、全てが病気のせいになってしまうから勿体無かったなあ。
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2010年 01月 17日 *
自分は物事の意外性や非日常の出来事を求めているのではないだろうか。

これまでの自分の行動を分析すると、

マイナーな音楽を聴く→実はいい曲を見つけた!
同人ゲームをプレイする→同人作品なのに面白いよ!

そういった意外な体験を喜ぶ傾向にある。
それは、例えば女の子が「あの人とあの人が実は付き合ってるらしいよ」とか、不倫してるらしいとか、そういうネタを嗜好する気持ちと似ているかもしれない。
じゃあ自分にとってEver17は最高の作品になりそうなものだが、最後で筋道が通ったという印象しか残らなかった。
では、Ever17に似ていると言われる「書淫、或いは失われた夢の物語。」はどうだろう。
この作品は現在のところ入手困難なので何とも言えないが、オチをネットで検索すると病院で云々…というものらしい。
そして、そのオチは漫画「かってに改蔵」に似ていると指摘する声もある。
病院云々のオチについては実は自分も似たようなことを考えてブログに掲載したことがあった。
素人が思いつくくらいだから驚くには至らないアイディアだと思うが、
ただ物語の世界を構築し結末まで読ませるのは大変力の要る作業なのだろう。

人にページを自発的にめくらせるのがいい作品と考えた場合、物語に謎やミステリーを含ませるのが一つの方法である。
ただ謎解きの整合性というより、自分としては登場人物に秘められた思いに重点を置きたい。
例えば物語で殺人事件が起きたとして、その殺人トリックより、登場人物がなぜ殺人をするに至ったかが描かれているかどうかが重要である。
leaf初期の作品である「痕」についても、エンディングを迎えた後に「登場人物に隠された謎をどうか解き明かして下さい。」
みたいな台詞をプレイヤーに向かって言うシーンが挿入されている。
そんな事言われたらこっちはプレイを続行するしかない訳で(笑)。

ネタバレ厳禁な作品は何があるだろう。
映画だとシックス・センスとかユージュアル・サスペクツあたりが該当するだろうか。
でもオチを知ってしまったら観る価値がない作品より、オチが分かってても過程を楽しめる作品の方が好きだ。
要するに、物語の謎解きは言いたいことを言うための一つの道具として位置づけられている方がいい。

例えばひぐらしを例に挙げると、冒頭で主人公が電車の中で必死で謝ってる人を見て、
「やり直せないことなんてない。取り返せないミスなんてないはずだ」
と自分の考えをつぶやくシーンがある。読者にとっては最初読んだ時は意味がわからない独白なのだが、
物語を読み進めていくと、転校して田舎町で生活する主人公が、実は前の都会の学校でどうやら過ちを犯してしまい、家族ともども引っ越してきた事実が判明する。
この設定は自分も面白いと感じた。
ただこの話は登場人物が殺人を犯したりするが、殺人者の友達に対してフォローするシナリオが一つもないのが残念だった。
冒頭のシーンからすると、罪を償うシーンがあってもいいのに、最終的には全て未知のウィルスのせいにして、友達の罪の清算についてはうやむやになって終わってしまう所はご都合主義と言われても仕方ない、というか勿体ないと。
でも一つの物語にいろいろ詰め込みすぎるのも崩壊する危険があるのでこれでよかったのかもしれない。
総合的には普通のミステリー作品よりは楽しめた。
それはトリックだけでない、訴える部分が随所にあったからだと思う。
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2010年 01月 14日 *
眠れそうで眠れない。苦しい。

YU-NOをプレイしてから何年か経過するけど、最近のエロゲランキングを見ていると、YU-NOは唯一にして最高傑作だったのではないかと思ってしまう。
このゲームのコンセプトである「時は可逆、歴史は不可逆」を表現するため、ゲーム内では宝玉を使用して時空を移動する方法が用いられている。
歴史は不可逆を実現しているのは、宝玉を使用し過去に戻った場合に入手アイテムを引き継ぐゲームシステムにある。
A→Bの時系列でゲームを進めたとき、B地点でアイテムを入手した上で過去のA地点に戻るとA地点でBで入手したアイテムを使用することができる。
この仕組みにより、所持アイテムでフラグ管理のようなことをやりながら、ゲームを先に進めることができる。
このシステムはセーブのようでセーブとは異なる。
例えばB地点でアイテムを消費してしまった場合、A地点に戻ってやり直そうと思っても、失ったアイテムも引き継ぐのでアイテムを二度と入手できない事態が起こり得る。

今はノベルゲームタイプのものが主流を占めるが、昔は様々なジャンルのゲームが試行錯誤された。
「117」というゲームはさすがに今は発売できないだろう。
YU-NOはNScripterなどで作られたノベルゲームとは違う。
ノベルゲームの面白さはシナリオの面白さにかかっているかもしれないが、YU-NOはゲームとして見て面白い。
その題名からは内容を想像できなかった。
攻略という名のストーキング行為でエンディングを迎えてしまうようなギャルゲームとは違うよ。
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2010年 01月 12日 *
寒いなどとまたどうでもいいことを書くのはやめよう。
久しぶりの友達から来るメールにロクなものはない、という教訓を得た。
前から薄々わかってはいたが。
自分は利用される存在なのか?
確かに断れないのだ。性格的に断れない。
だから当たり前のようにそういう事が起こる。
「いい人」を演じる――目の前の人も誰かを演じている
子供の頃のごっこ遊びのように大人の世界も回っている。

今日一つだけ良かったこと。
探し物が部屋の中で見つかったこと。

同人作品はひぐらしやうみねこ以外にも沢山あることを知る。
作品のレベルが商業作品に比べばらつきが多くカオス状態だが、そこが面白い。
考えてみれば僕は普段映画やゲームを当たり前のように見るけど、「いい作品」なんて運に恵まれない限り出来ないのではないか。

うみねこでは「魔法」が登場するが、小説もある意味では魔法と言える。
「そこに美味しそうなりんごがある」と書いただけで、りんごが存在してしまうのだから。
ただし、どこにでもあるようなものを書くのは簡単だが、この世に滅多に存在しないものを描くのは難しい。
急にそんなものを書いたって読者がついてこれないから、説明が必要になる。
そして小説はありふれた日常ではなく非日常を描写する場合がほとんどだから、どんな物でも「説明」がなければ存在することが許されない。

まずルールを守っているか。
日本語は正しいか、文法を守っているか。
次にストーリーや登場人物に整合性がとれているか、時系列に矛盾がないか。
そういうことができるようになってようやく土俵に立つことができる。
読み手が感動するかどうかは次のステップでの話。
創作は難しい。でも読むのは面白い。
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2010年 01月 10日 *
今年の冬は寒くないなと思ってたら、昨日から東京は寒くなっている。
そんな寒い中、新宿タワーレコード7Fのイベントに足を運んだ。
目当てはtrademarkというバンドを見るためだったのだが、開始2~30分前から既に人だかりでステージが見られない状態。
この人達はtrademarkのファンではなくて、その後に控えているthe chef cooks meのファンの人だったみたい。
この日trademarkが演奏したのは3曲で、1,2曲目は今年6月に発売されるアルバムに入るらしい。
そして3曲目(無題)は2009年12月に発売されたCaptain Houseのコンピレーションアルバム「catch one's breath」に入っている。
ただタワーレコードの売り場がどこにあるのか全然わからなかった。
人だかりで隠れてしまっていたのかもしれない。まあいいや。
気を取り直してmouse on the keysのアルバム「an anxious object」を購入。
家に帰ってからインターネットでライブ動画を見た。

"Completed nihilism"&"Spectres de mouse":LIVE AT SHIBUYA O-EAST
映像に立体的な感じが出ている。

近頃映画でも3Dの作品が上映されてきているようだ。
2次元が3次元になるということは単に迫力が増すだけの話ではなく、立体的な効果を意識ながら作品を作る必要がある。
当然今までの映像も3次元空間をカメラに収めてきた訳だが、結局スクリーン上に映っているのは2次元であり、観客の目がそれを3次元に補完していた。
3Dの使い方によっては今までにない映像手法が登場する可能性がある。
CGの件といい、海外の映画は日本より先行しているなあ。
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The Original by Sun&Moon