Top
<   2010年 03月 ( 18 )   > この月の画像一覧
*
*
2010年 03月 30日 *
第4話 大盗賊アンタレス

やはり人間が機械化したら睡眠も不要になる設定があった。
「鉄郎、あなた機械の体を貰ったら眠る必要もなくなるの」

第4話では宇宙盗賊が999に侵入する。
彼は人の物を盗む職業でありながら、残酷というより情深い人物として描かれている。
(そういえば、昔は「男らしさ」を追求する、男のための漫画が多かった。今の世代にはたぶん受けないだろうけど。)
また今回も生身の人間か機械の人間かを比較する場面が出てくる。

終盤でメーテルはさっき出会った盗賊について感想を述べる。
「昔はあなたみたいな子供だったわね、きっと」
「え?」
「勇敢で心やさしく、夢と希望に胸を膨らませて宇宙へ乗り出して…」
(それを聞いた鉄郎はポカーンと口を開ける)


第5話 迷いの星の影

冒頭でメーテルが冥王星について説明する。
「寒くて永久に凍りついた最果ての小惑星。人呼んで迷いの星」
“人呼んで”という単語なんて久しぶりに聞いた。
冥王星は太陽系の最後に位置することから星は氷で出来ており、一度も解けたことがない。

第5話も第2話と同様に墓が登場する。
ただし冥王星の地面は凍っていて、透明で青く透き通った氷の中に死体が埋葬されているので、冷凍保存されたようにくっきり見える。
おそらくそのイメージの延長上の話だと思われるが、墓地の管理人であるシャドウは自分の若い頃の体を氷の中に保存している。
シャドウは機械化した体から若い頃の生身の体に戻るために鉄郎の魂を襲おうとするが、それをメーテルが助ける。
(ここでもメーテルの秘密道具が活躍)

最後に鉄郎はシャドウにとどめを刺そうと、氷付けになっているシャドウの若い頃の体に銃を向ける。
「お前みたいな機械人間を撃っても弾が無駄になるだけだ。それよりこんな真似ができないように昔のお前を撃ってやる」
しかしそれを見ていたメーテルは鉄郎の銃を奪う。
メーテルは言う。
「鉄郎、女というものは一番美しい時の自分を心の支えとして生きていくものなのよ」
この台詞は印象深かった。
作者の女性に対するイメージだろうか、それとも親しい女性が実際に言った言葉だろうか。
[PR]
2010年 03月 29日 *
公園の写真があったとする。
この写真には何が写っていますか?
草や木や空などの答えが返ってくる。
それで全部ですか?
もし答えに含まれていないものが写真に写っているとしたら、彼らにとってそれは見えていないことと同じ。

僕は会社に通勤するために毎朝7:09発の電車に乗る。
乗る場所も決まっている。
上り方面から数えて3番目の乗車位置。
電車の中には何があるだろう。
つり革、手すり、中刷り広告、蛍光灯、空調、椅子、乗客、網棚…。
実は毎朝7:09発の上り方面から数えて3番目の乗車口から入って右の床の一部は茶色く薄汚れた部分がある。
床の色とあまり区別できないのでおそらく誰も気づかないだろう。
この時、床の汚れは存在しないことと同じだ。

人によっては起床時間が違うために乗る電車が毎回異なる人がいる。
また、毎朝同じ電車に乗るのを嫌う人もいる。
人間はだいたい2種類に分けることができる。
毎朝、同じ時間の同じ乗車口に乗る人間と、そうでない人間。
車内はそういった乗客で構成されており、たまたま僕は前者の人間に分類される。
後者の人間には分からないだろうが、前者の人間同士はお互いの顔を覚えている。
一言も会話を交わしたことはないし、ましてや特別な感情を抱くこともない。

僕は女性との付き合いが長く続いたためしがない。
だいたい数週間から3ヶ月程度で終わる。
はじめはお互いに好きで付き合うのに、ちょっとしたことがきっかけで心が離れて、最終的には別れてしまう。
きっと付き合いというものは、微妙なバランスの上に成り立っていて、もともと継続するのは難しいのだ。
僕と彼女の場合もあの時間がなければ続かなかった。

3年程前、ある女性と付き合うようになった。
しばらくして、彼女が今まで僕の乗っていた電車の乗客に加わった。
電車に乗っている間、他愛のない話をした。
それは僕にとって大切な時間だった。
部屋の中で見ていたのは彼女の内向きの顔であり、外に出れば表情が変わる。
僕は彼女の会社に向かう途中に見せる表情が好きだった。
彼女は仕事が忙しく、深夜に帰宅することが多かった。
お互いすれ違いがちな生活の中、偶然が2人の関係を支えていた。

僕はなんとなく、彼女とならずっと一緒に暮らしていける気がしていた。

ある朝、彼女は電車の中で急に血を吐いてそのまま倒れた。
僕は普段ありえない光景に戸惑った。
そうだ、病院に連れていかなければならない。
そうとわかってからも、次の駅に着くまでの時間はだいぶ長かった。
電車は動いているのに、永遠に着かないのではないかとさえ感じた。
僕は次の駅で急いで彼女を病院まで連れて行ったが、彼女は助からなかった。

僕はまた一人になった。

毎朝7:09発の電車に乗る。
乗る場所も決まっている。
上り方面から数えて3番目の乗車位置。
でも目的は変わった。
会社に行くためではない。

僕が僕自身でいられたのは、彼女が僕を照らしてくれたからだった。
照らしてくれる光がなければ僕には何もない。

床にある茶色い染みにはきっと誰も気づかない。
「コーヒーを溢した跡がついてるよ」
もし茶色い染みに気づいた人が現れたとしても、わざわざ前に出て説明したりはしないだろう。
そうしたところで、何も伝わらないのだから。

毎朝僕は電車の中で時間を過ごす。
乗客の一人としてただ立ったまま。
[PR]
2010年 03月 28日 *
第3話 タイタンの眠れる戦士

メーテルは鉄郎を運転室に案内する。
鉄郎は999がコンピューターの頭脳によって運行していることを知る。
この設定は映画2001年宇宙の旅を挙げるまでもなくSFではありがちだが、人間以外の技術が用いられているという説明が加えられている。
ただその設定もSFではありがちだったりするけど。

「しかし、よくもこんなものを人間が作ったもんだ」
「いいえ、人間の力だけじゃないわ。遠い外宇宙で滅び去った科学惑星の遺跡や異星人から手に入れた資料を参考にして作られた。だから、この機関車のメカニズムは人類の理解できないものもあるのよ」

(メーテルが鉄郎の代わりにウェイトレスに注文する)
「ビフテキを2つ」

ビフテキって…。最近この単語を全然聞いてなかった。
それはそうと、このウェイトレスは体がガラスで出来ている。
彼女はその理由についてこう述べる。
「見栄っ張りの母がわたしをこんな体にしてしまいました」

この設定は上手い。
いくら親しいからといって他人を自分の好きなようにする権利はない訳で、そういうことを訴えかける作品は貴重だ。
このウェイトレスもまた、元の生身の人間に戻りたいと話す。
(2話でも生身の人間に戻りたいと願う人物が登場した)

鉄郎を助けるために砕け散ったクレアの破片は涙みたいで痛々しかった。
それを見てメーテルが一言。
「クレアの心かもしれないわ」
心が体のどの部分にあるかは分からないが、メーテルは鉄郎に対し「心の部分かもしれない」と言う。
すぐに思いつける台詞ではないのに、それをさらりと言うメーテルはすごい。
(というか、制作者のセンスがすごい)

第3話の予告にはこうあった。

鉄郎よ、他人のために自分を投げ出すことの出来る人の心の美しさを見ておけ。
鉄郎よ、自分のために他人を生け贄にしてはばからぬ人の心の醜さを見ておけ。
次回の銀河鉄道999は、「タイタンの眠れる戦士」に停まります。

>鉄郎よ、他人のために自分を投げ出すことの出来る人の心の美しさを見ておけ。
これはクレアのことを指していたのだろう。
それにしても、前半だけでこんなに密度が濃いとは…。

第3話の後半は、土星の衛星タイタンは何をしても自由な素晴らしい星だが、その反面、殺人や拉致をしても許されるとんでもない星だったというお話。
実は、前半のクレアの話もこれと関連している。
[PR]
2010年 03月 28日 *
最近よく目にする「ANAアメリカン・エキスプレス提携カード」の広告にはいくつか種類があるけど、電車で厳島神社の鳥居とロンドンのタワーブリッジの合成写真のバージョンを見つけた。
確かに形状は似てると言えば似ているものの、建物としての役割が違うし、だいたい大きさが全然違う。
それなのに右下から撮ったアングルを合成して1枚の写真にする、その発想力がすごい。

早く元通りの日常に戻りたい。
999の感想はせめて10話まで書きたい。

第2話 火星の赤い風

999はジャンルでいえばSFに属するアニメとはいえ、男女の関係の描写が割と多い。
放送されたのが30年近く前なので古臭さはあるかもしれないが、それが逆に新鮮に映ったりして面白い。
この第2話もSFアニメでありながら男女の別れを描いている。

冒頭でいきなりメーテルが火星について気の利いた話をする。
「これが火星かあ」
「ここの気圧を地球並みに引き上げるのに1世紀かかったわ」

火星は田舎という設定で、鉄郎はゴーストタウンと化した街に降り立つ。

「さびしいところだなあ」
「お金持ちはみんな他の星に移っちゃったわ。みんなチャンスがあったらここを出て行こうと思ってるわ」

状況的には現代日本の過疎化してしまった街のイメージに近い。
若者は都会での成功を夢見て田舎を出ようとする。
そこに人との別れが必然的に発生する。
作中では火星を出て行こうとする男と、男の恋人が登場する。

「感謝するぜ。やっとこのいまいましい赤い星から出られる。待ってろよ、必ず迎えにくる」
「嘘、あなたはどこかの新世界でわたしの事なんか忘れてしまうわ」
「馬鹿なことを言うな、きっと戻る。どこかの星でがんばってな」
(女は恋人に銃を向ける)
「だめだわゼロニモ。本当にわたしの事を愛してるなら、もう1枚パスが手に入るまで待って」
「フレーメン、どうしてそんな急にわからないことを…。それならこのまま2人とも野垂れ死にだぜ」
「それでもいい。あなたと別れたくない」

女性は「ここでずっとあなたを待ってるわ」と言い残し、自ら死を選ぶ。
鉄郎が火星を観光した際に墓が出てきたのは、おそらくこの伏線。
(実は女性は機械化人間なのでわざわざ死ななくても「ずっと待つ」ことは可能なのだが、まあそれを言うのは野暮というやつで)

また酒場のおじさんが
「若いの。まこれを見てくれ。(機械化した足を鉄郎に見せながら) わしは右足しか買えなかった。体全体を完全にするにはもう時間も金もない」
と言う台詞は、2人の恋人が機械化人間だった事実への伏線と思われる。
ただ最後にその事実を視聴者に突きつけるのであれば、この会話はない方が2人が機械化人間だったことへの衝撃は増したように思う。
また、話の冒頭でメーテルが火星のことを
「人間が暮らすのに何の不自由もないところよ。ところが住んでいるのは機械の体を持った人ばかり」
とうっかり漏らしてしまっているので、勘のいい人なら2人が機械化人間という結末を予想できたかもしれない。

鉄郎は機械化しても幸せになれない人間を目の当たりにした。
生身の人間と機械化人間を比較する描写は今後も頻出することになる。
[PR]
2010年 03月 28日 *
銀河鉄道999を取り巻く世界は基本的に救いがない。
999は主人公が様々な星を旅し、問題(「こんなのありえないよ」と思うような、あからさまなものも存在する)を発見し、それでも何とかして希望を手に入れようとする物語である。
例えば富を独占する立場の人間は体を機械化しているため、貧しい人間より寿命が長い。
そもそも、この設定で救いがない。
現実世界で一つだけ平等なものがあるとすれば、それは時間である。
身分が高かろうと低かろうと1日に与えられた時間は平等で、同様に寿命からは逃れられず、また時間をお金で買うことはできない。
作中では身分の高い者に伯爵や男爵といった呼称が使われていて、これは視聴者に日々苦労せず優雅に暮らす人間というイメージを与えるためだと思われるが、それよりも機械人間の寿命は無限に近いという設定が重要である。
(第1話で脳を撃つのはやめてくれ、体と違って直すことはできない、というエピソードからも寿命に関する設定を知ることができる。また機械人間は眠らなくても大丈夫といった設定もあったと思う)
知識の集積という意味では、20年生きた人間は200年生きてきた機械人間に勝てない。
生産性という意味では、睡眠を取らなければ生きていけない人間は1日24時間フル稼働できる機械人間に勝てない。
貧しい人間が富める人間に勝てる要素は現実よりも少ない世界だと言える。

働いてもみんな給料が平等というのはおかしい。
適当に仕事しても同じ給料が貰える社会より、より豊かな生活を得るために努力していく社会の方がいい。
とはいえ行き過ぎると、今度は心が病んだり過労死したりといった弊害が生まれる。
経営者だろうとマネージャーだろうとエキスパートだろうと、時間が有限である以上、1日にできる仕事量は決まってくる。
3月になるとこの1年目標に達成していないから駄目だとか、達成できてるから来年度は更に120%達成しろとか。
でも人間の仕事量には限界がある。
バネは最初は重たいものを持ち上げられるが、どんどん重りを増やしていくとどこかで限界が生じる。
そうやって限界を過ぎたバネは伸びきって二度と使い物にならなくなってしまう。
3月に自殺者が多い理由は日本の商習慣から来ている。
僕にとっても3月は今まで築き上げてきたものを奪われたような感じで、あまりいい気持ちはしない。
また元通りの生活に戻りたい。
[PR]
2010年 03月 25日 *
会社の中では笑いません。
でも、今日のお昼にネットサーフィンをしていたら、こんな写真を見つけました。

dora.jpg

一人で笑っていると変態を見るような目つきで見られました。
もう仕方ないと諦めることにしました。
「借金1千兆円で日本破産」と大きく書いてあるのに、上のドラえもんがすごくいい顔をしているのです。

属性としては、選挙の時のこの写真に似ています。

7e4c6ce2.jpg

そういえば学生の頃、通学路に定食屋さんがありました。
表にはウィンドウケースがあり、その中にメニューの見本が入っていました。
僕は気づかなかったのですが、友人に指摘されてある事実がわかりました。
その定食屋のカツ丼の見本はどんぶりが斜めに傾いていおり、中身のカツやご飯が思いっきり外にはみ出て落ちてしまっているのです。
友人の間では誰かがウィンドウケースを叩いていたずらしたのではないかと言っていましたが、原因は不明です。
しかし、原因の詳細はどうでもいいのです。
問題は、メニューの見本となるカツ丼を豪快に崩壊させたままにしておく店の神経です。

通学路の途中にあるので、毎日その定食屋の前を通ります。
来る日も来る日も、やっぱりカツ丼の中身は散乱したままでした。
店主は気づいていないのだろうか。
それとも気づいているのか。
気づいているとすると、なぜ直さないのだろう。
僕は子供ながらに店主のことが気になって仕方ありませんでした。
[PR]
2010年 03月 23日 *
約30年前に放映されたアニメ。
子供の頃に見たアニメを今見ると全く違ったものに見えるから不思議だ。
銀河鉄道999は小学校の頃に再放送を見た記憶がある。
冒頭の歌と列車が途切れた線路を登って空に飛ぶシーンは憶えている。
(今見ると列車があんな急勾配を登るのにどれだけのエネルギーを消費するのかと考えてしまう。)
ストーリーはほとんど憶えていない。
確かに子供が見てもわからないかもしれない。
考えさせるような内容が多いからだ。
大人になってしまった今、試しに第1話を視聴したところ、見事にはまってしまいそうな予感がして恐い。
自分が忘れないために感想をメモすることにする。
なるべく初見の第一印象を中心にし、考察は控えたい。

第1話 出発のバラード

どの物語もそうであるように、第1話が果たす役割は結構重要だったりする。
銀河鉄道999の第1話は展開が詰まっていて、今後への期待感が膨らむ。
ドラゴンボールZの5話分くらいは詰まっている感じ。

主人公(鉄郎)の住む星は近代化した都市である。
しかし貧富の差は激しい。
これは今後訪れる星を描写する際にも頻出する見せ方だ。
ぱっと見たところ近代化していると思いきや…実は貧富の差が激しかったり、どこか裏に問題が潜んでいる。
第1話も例外ではない。
開始時の冒頭のナレーションで、富める者は都市の中心部メガロポリスで豊かな暮らしを享受する一方、貧しい人間は町の外で悲惨な生活をしていると説明が挿入される。
生活が貧しい主人公は、機械の体を手に入れ豊かな暮らしを手に入れるために銀河鉄道999に乗ることを夢みる。
だが登場して間もなく母親が殺されてしまう。
殺された理由が富める者の娯楽である「人間狩り」である点が斬新。
機械化人間は殺した母親の姿を見て「剥製にしよう」と言う。
作者がなぜ母親を殺す必要があるのかわからなかった。

鉄郎は吹雪の中倒れてしまうが、メーテルによって助けられる。
鉄郎はメガロポリスで一生懸命働いて銀河鉄道999に乗る決意を固めるものの、メーテルが簡単に999のパスを渡してくれた。
その後鉄郎は母親の敵討ちとして機械伯爵を殺害する。
(ここの展開は急で、必要性がいまいちわからなかった)
鉄郎はメガロポリスのホテルでメーテルが浴室で何者かと会話しているのを聞く。
「メーテル、お前はあの子に影のようにつきまとい、決して離れてはいけない」
これはメーテルが銀河鉄道に鉄郎を乗せた理由に関するものと思われるが、現時点では真相はわからない。
会話が気になってしまった鉄郎はメーテルの浴室の中に入ってしまう。
ここでメーテルの落ち着き払っている様子から、メーテルは鉄郎の母親のような存在として描かれていることが確定する。
またメーテルはその後警察から逃げる際に秘密道具のようなものを使用して逃げるシーンがある。
これは70年代のスパイ映画やSFから影響を受けているのだろうか。

(空からメガロポリスを見下ろして)
「うわぁ、きれいだなぁ」
「明かりのついているのはみんな機械人間の住んでいる町よ」
「ところどころに真っ暗なところがあるね」
「あれは機械の体を買えない、生身の人間の住むところよ。この景色をよく見ておくことね。今度見るときは、人間の目では見られないかもしれないわ」
機械人間と生身の人間を対比した印象深いシーンである。
機械と人間の比較は表現を変えて今後何回も出てくることになる。
[PR]
2010年 03月 22日 *
アップルで購入した曲を紛失してしまった場合は買い直しになるのだろうか。
調べたところ、以下のような説明があった。

解決方法
1.コンピュータ上のファイルを探す
2.ごみ箱/ゴミ箱を調べる
3.まだ見つからない場合↓
バックアップがあれば、バックアップからファイルを復元する必要があります。バックアップが利用できない場合、メディアは失われた可能性があります。その場合は再購入が必要です。iTunes Store からお求めいただいたコンテンツについては、「iTunes Store:購入した曲、ビデオ、iPod ゲーム、およびアルバムは1度のみダウンロードできる」をお読みください。
要するにダウンロードした曲は、HDDがクラッシュしてデータが消えてしまうと、もう一度購入しなければならないということだ。
それが嫌なら定期的にバックアップを取れという意見もわかるが、せめて割安でダウンロードさせてくれてもいいのにと思う。
HDDなんて早ければ3年以内に壊れてしまうのだから。

例えばP2Pを利用して、再ダウンロード可能にできないだろうか。
万一、HDDをクラッシュさせてデータを消失させたとしても、自分が購入したコンテンツが他の誰かが所有していれば再ダウンロードできるようにする。
これにはアップルやクレジットカード会社が誰がどのコンテンツを購入したかを管理する必要がある。
アップロード・ダウンロードは、双方に購入履歴がある場合のみファイル転送を許可する仕組みにする。
ダウンロードした側はデータ復旧料として購入代金の10%を支払う。
その10%はアップルやクレジットカード会社やP2Pソフトを提供している事務局やアップロードしてくれた人に分配する。
コンテンツはハッシュ値で管理し、ファイルにウィルスが混入する心配はほぼない。
これは、曲に限らずダウンロード型のゲームコンテンツにも適用できる。
ゲーム会社が潰れようとHDDがクラッシュしようと、購入履歴さえ管理されていれば再ダウンロードできる。
ただし再ダウンロードはダウンロードコンテンツのものに限られ、実物があるものには適用できない。
なぜなら、購入履歴があったとしても実物はオークションなどで売ってしまっているかもしれないからだ。

もちろんこんなことをせずとも、再ダウンロードが許可されたり、大容量を半永久的にバックアップできる家庭用のメディアが登場すれば済む話だ。
[PR]
2010年 03月 22日 *
ややこしいので著作権に興味のある人だけどうぞ。

著作権について定めた法律が著作権法である。
現在の著作権法は1970年に制定された。

身近な例を考えてみる。

著作権Q&A
Q:レンタル店で借りてきた複数の音楽CDをダビングして編集し、個人で楽しむ場合、著作権の問題がありますか。
(文化庁のHPより)

著作権法第二十一条にはこう書かれている。
著作者は、その著作物を複製する権利を専有する。
専有するということは、著作者の人のみが複製しても良いということである。
しかしこの質問に対する答えをみると「コピーしても問題なし」が正解である。
理由は著作権法第三十条で次のように書かれているからである。
著作権の目的となつている著作物は、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用することを目的とするときは、その使用する者が複製することができる。
よって、レンタルCDをコピーしても著作権の侵害にはならない。

Q:レンタル店で借りてきた複数の音楽CDをCD-RやHDDにコピーして、個人で楽しむ場合、著作権の問題がありますか。

音楽CDはCD-RやHDDにデータそのものを無劣化でコピーすることが可能である。
CD-Rへのコピーのような無劣化コピーは著作権侵害にあたるのだろうか。

この質問に対する回答は、「著作権の問題はない」でOKである。
こう書くと第三十条2項で以下のように書かれてあるので著作権法違反だと勘違いしている人がいる。
私的使用を目的として、デジタル方式の録音又は録画の機能を有する機器であつて政令で定めるものにより、当該機器によるデジタル方式の録音又は録画の用に供される記録媒体であつて政令で定めるものに録音又は録画を行う者は、相当な額の補償金を著作権者に支払わなければならない。
ただしこの文は「政令で定めるものに」録音又は録画を行う場合に補償金を著作権者に支払わなければならないと定めているのであり、政令で定めるものに該当しない場合には補償金を支払う必要はない。

私的録音補償金制度の対象となる機器・媒体
現在、政令指定を受け、対象とされているオーディオ製品は以下の機器およびディスク・テープである。
・ DAT(デジタル・オーディオ・テープレコーダー)
・ DCC(デジタル・コンパクト・カセット)
・ MD(ミニ・ディスク)
・ オーディオ用CD-R(コンパクトディスク・レコーダブル)
・ オーディオ用CD-RW(コンパクトディスク・リライタブル)
(2006年4月1日現在 JASRACのHPより)

したがって、データ用CD-R(市販されているCD-Rのほとんどがこれ)を使用して音楽CDをコピーする場合は補償金を著作権者に支払う必要はない。
しかもMDなど政令指定を受けたメディアは価格に既に補償金が含まれているので、購入者が著作者に直接補償金を支払わなくていい仕組みとなっている。

以上のことを踏まえた上で、文化庁の一般向けの説明として「コピーしても問題なし」となっている。

ただし、文化庁の他のページには以下のようなQ&Aもある。

Q:市販のDVDにはコピーガードが施され通常の録画機器では複製ができないので、あるところで売っているコピーガードキャンセラー装置を買って、それを使ってコピーしようと考えています。コピーしたものは私しか使わないのですが、著作権の問題がありますか。
(文化庁のHPより)

A:著作権の問題があります。

ここで、音楽CDがOKでDVDがNGとなるのはなぜなのだろう。

私的使用のための複製が定められた第三十条では、例外事項として1項第二号に次のような記載がある。
技術的保護手段の回避により可能となり、又はその結果に障害が生じないようになつた複製を、その事実を知りながら行う場合
市販される多くのDVDにはコピーを防ぐことを目的とする機能が組み込まれている。
その一つがマクロビジョンであり、通常DVDデッキで再生したものをビデオに録画できないのはこれがDVDに組み込まれているからである。
もう一つがCSSであり、CSSがあるとDVDのデータは暗号化されるため、DVDのデータをそのままPCでコピーしても再生できない。
(DVD機器はこれを復号して再生することができる)

よって、音楽CDの複製はOKだがDVDの複製はNGとなる。

しかし一方で、CSSの解除は第三十条1項第二号に記載された「技術的保護手段の回避」に当たらないため、著作権上問題ないとの見方もある。
その根拠としては次のようなものが挙げられる。

・第三十条1項第二号の「技術的保護手段の回避」は、マクロビジョンについて記載されたものである
・CSSはコピーコントロール技術ではなく、視聴を制限するためのアクセスコントロール技術である
(参考HP:DVDビデオ( DVD-Video )の私的コピーは違法か?)

ただ実際問題、CSSは広い意味ではコピーコントロールとしても作用しており、著作者もそれによってコピーを防止する意図が存在するのは明らかなので、CSS解除による複製はNGと見なされる可能性はある。

次に、P2Pの違法性について考える。

P2Pソフトを使用し著作物をアップロードした場合は著作権法違反となる。
著作者の持つ公衆送信権を侵害しているからである。
第二十三条  著作者は、その著作物について、公衆送信(自動公衆送信の場合にあつては、送信可能化を含む。)を行う権利を専有する。
また著作権法では頒布権についても定められている。
第二十六条  著作者は、その映画の著作物をその複製物により頒布する権利を専有する。
第二十三条と第二十六条に記載されている公衆送信と頒布には若干の違いがある。
例えば路上で複製したDVDを無許可に販売するのは頒布に近い。
通行人が好むと好まざるとにかかわらずDVDの販売を目にし、購入に至る可能性がある。(購入者は意図せず海賊版を購入してしまう場合もある)
それに対し、P2Pソフトを利用した著作物のアップロードは、ダウンロードする人がそれを探さない限り、成立しない。
ダウンロードされなければ、パソコンのHDDに保存された状態のままである。
もちろんアップロードに至らなくても「送信可能状態」にしているだけでアウトだが、それをダウンロードする人にも明白な意図があり、アップロードと同じくらい悪い行為のような気がする。

そいういう訳で2010年1月1日より著作権法が改正され、ダウンロードも違法となった。
ダウンロードがこれまで合法とされていた根拠は、第三十条1項にある私的使用の複製が認められていたことによる。
しかし、以下の例外事項が追加されたことによりダウンロードが違法となった。
著作権を侵害する自動公衆送信を受信して行うデジタル方式の録音又は録画を、その事実を知りながら行う場合
ただしここで規定しているのは「録音又は録画」できる音楽や映画であって、ソフトウェアなどを含む全ての著作物を指してはいないので、有効性については疑問の余地がある。
しかも「その事実を知りながら」というのは、例えば意図せず著作物をダウンロードしてしまった場合は著作権侵害には当たらないということになるが、厳密に言えばそもそもダウンロードする時点では著作権を侵害したファイルかどうかは明確ではない。
著作物かどうかを誰かが証明してくれる訳ではないし、音楽だと思ったら中身がウィルスだったなんてことも起こり得るからだ。
また、もし仮に「その事実を知りながら」ダウンロードを行ったとしても、犯罪としては軽微なものとして刑事罰の適用からは除外されている。(第百十九条)
(参考URL:「文化審議会著作権分科会私的録音録画小委員会中間整理」)
ただし、映画の盗撮行為には、その目的如何にかかわらず、著作権法30条1項が適用されないので、映画を盗撮および音声の録音は全て著作権(複製権)の侵害となり、刑事罰の対象になる。(映画の盗撮の防止に関する法律より)
[PR]
2010年 03月 20日 *
希望はどこにあるんだろう。
歩道に置かれたキーが刺さったままのバイク。
知らない路線を走る列車。
それはきっと僕に見たことのないものを見せてくれる。
そう信じる。
これは信仰に近い。

子供の頃は世界がどこまでも広がっていると思っていた。
だが実際には世界には果てがあった。
子供の頃は体を動かせば何でもできると思っていた。
だがやはり出来ないことに直面した。

とりあえず、僕はそういうことを受け入れた。
諦めかもしれないけど、がんばったって出来ないことは出来ない。
起こりもしないことに疑心暗鬼になることもなくなった。
そう考えられるようになるまで何十年もかかってしまった。

上手く言えないけど、起こることと起こらないことの区別がつくようになってから、希望を見ることができた。
希望とは、実際には起こらないけど起こって欲しいという願望を指すけど、そこには起こることと起こらないことへの信仰がある。

一旦「そんなことは起こらない」という素地が出来上がってしまうと、もう後戻りできない。
人からどんな真実を告げられようと、自分の信じるものしか信じられなくなる。
ただし、そこから見えてくるものもある。
[PR]
ページトップ
The Original by Sun&Moon