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2010年 05月 26日 *
正しさについて
大人になったらこうなってこうなるものだ、みたいな道を受け入れて現実の自分との不一致に悩んでいた。
でも、正しいっていうのはないんだよきっと。
物差しは時代によって変わるし、合わないものは合わない。
だから無理に合わせる必要はない。
違和感に目を向けるのはやめて、したいことをしよう。
閉じた暗い世界だったとしても、そこが自分の居場所なんだよ。

創造物について
まず言いたいことがあって、それを言うための手法を並べるのは、パズルのピースを組むみたいに難しい。
パズルが綺麗に敷き詰められているのを目の当たりにすると感動する。
でも全ての創造物がそうあるべきかといえば、違うのではないかと。
現実にないものをちりばめるだけで創造になる。
それは空気とか風土といった環境に根ざしたもので、植物が土に根を張るのと同じように自然なものだ。
だからそんな大層なものじゃない。
逆に、空気や風土のない空間には創造物は生まれないけど。
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2010年 05月 21日 *
書く時間がない。
何をしているかというと…、何だろう。
あることにはまってしまって、数日で冷めるかと思いきや未だ冷めやらず。
時間があっという間に過ぎていく。
時間の流れが主観的なものだとすれば、物理のt軸とは何のためにあったのか。
なんてことを考えている場合じゃなくて。
生活そのものが変わってしまったのかもしれない。
夢中になるあまり、言葉が出てこない。
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2010年 05月 14日 *
横軸がある。
矢印の向いたほう、右に行けば行くほど正確さは鋭く増していく。
だけど正確さを伝えようとすればするほど実現が困難になっていく。
写真に例えるなら、1ミリ四方寸分狂わずに色彩を並べていくように緻密。
そんなものを撮ろうとして毎日同じ場所に立ったって、シャッターチャンスはずっと訪れない。

反対に、矢印の向いていない左のほうに行ってみる。
正確さはどんどん薄れていくけど、多様な解釈ができて何度みても飽きない。
時としてその無意味で無価値な行為に絶望する。

でも楽しいのなら、それでいいんじゃないかと思う。
自分の伝えたいことと違っていたとしても。
たとえそれが誤解だったとしても。
笑い合えればそれでいいんじゃないか。
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2010年 05月 11日 *
井戸の中に蛙がいました。

蛙は言いました。
「こんなにも世界はすばらしい」

遠く井戸の上で蛙を見下ろしていた人が言いました。
「お前は世界を知らない」

蛙は聞こえないふりをしました。

蛙はまた言いました。
「世界はすばらしい」

遠く井戸の上で蛙を見下ろしていた人が言いました。
「お前は損をしている」

蛙は聞こえないふりをしました。

損なんてしてないよ。
毎日とても楽しいんだから。

蛙はずっと井戸の中から出てきません。
蛙はその昔、自分から井戸の中へと飛び込んだのでした。

蛙は知っていました。
この世界はすばらしいと思い込まなければ生きていけないことを。
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2010年 05月 06日 *
家に帰っても落ち着けないのに、なぜ帰るのだろう。
ただ帰る場所がなくあてどもなく彷徨うより、帰る場所があるという事実は遙かにマシなのかもしれない。
乗客のいない電車の中や映画館の中の方がリラックスできる気がする。
そう考えると外出先で使用できる携帯ゲーム機やウォークマンは、一見不要に見えるが重要なアイテムだ。
喫茶店やリラックススペースなど人為的に用意されたものは、あくまで他人がリラックスできる空間であり、自分がリラックスできる空間とは異なる。
その点を勘違いしてはならない。

それにしても最近ここのブログの検索ワードの上位が「エロゲ」で占められているのは一体…。
にもかかわらずエロゲに全く触れてなくて申し訳ない気持ちになる。
エロゲといえば、以下のAAが印象的だ。

100506.jpg
(引用元:ポルナレフがありのまま起こった事を話すガイドライン2)
ポルナレフのシリーズが好きな方は上記スレも参照されたい。

「エロゲー」とは広義の意味において性的表現を含むゲームという意味だが、既に本来の枠の意味を超えてしまっている。
エロゲーだと思ってプレイしたら、実は感動シナリオだったという衝撃。
それをもう一度味わいたくてエロゲをプレイしているのかもしれない。いや、きっとそうなのだ。
それは推理小説やミステリー作品を読む心理と似ている。
犯人が意外な人物だった時の衝撃が忘れられなくて、つい次回作を読んでしまうような。

エロゲーは映画や小説と一緒で、読む人によって好みが分かれる。
ランキングが高い作品だからといって面白いと感じるとは限らないし、ランキングが低い作品だからといってつまらないとは限らない。
でもエロゲ初心者の人はどれが自分に合う作品かわからないから、ランキングを確認する必要が生じる。
(CDみたいに毎週テレビでランキングを発表すればいいのにと思うが、世の中としては今の方が健全なのかもしれない。)
最初は「To Heart」あたりが無難だと思うよ。
あとは「エロゲー批評空間」のランキングが参考になる。
歴代の名作はだいたい押さえられているから。

それからシナリオ重視であればPSPのタイトルをチェックするのもおすすめである。
PSPのノベルゲームはかつてのPS・PS2やPCでの名作が移植されるケースが多く、シナリオとしても一定の基準はクリアしているので外れが少ない。

あとこれだけは言っておきたいのだが、エロゲにおいてエロは重要でなかったりする。
おいおい嘘をつくなと言われそうだが、評価の高い作品の多くは非18禁であっても売れている。
要するにシナリオ面で評価されているのだ。
実際、シナリオ重視な作品のエロシーンはとってつけたようなものであることが多く、ライターもその部分だけ違う場合もある。
つまりこれらの作品は、エロゲという形式を隠れみのにしつつ、感動的なシナリオを挿入して販売されているのだ。
自分も正直エロシーンは飛ばしてしまって、読んでなかったりする。

Wikipediaによれば、るーすぼーい氏や竜騎士07氏はゲームシナリオを書く以前は演劇の脚本を書いたらしい。
エロゲは販売形態の手段の一つであり、おそらく彼らはもともとエロい作品を世に出したかったわけではないのだ。
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2010年 05月 04日 *
少しずつわかってきた。
もう一度やり直せたとしても。
僕が帰る時に、君は悲しそうな顔を見せなくなり、
それに耐えきれなくなった僕は、あの日に君が放ったのと同じ言葉を口にしてしまう。
「友達でいよう」
何回シミュレーションしても結果は同じ。

勘違いなんかじゃなく、確かに最初は永遠の存在をお互い信じきっていた。
それなのにどうして終わりが来るんだろう。
やさしさは要らない。いつだって痛いから。

吸い寄せられるように遠い場所に行く。
夜になると誰もいなくて、自分の存在が闇とともに消えてしまいそうになる。
それは自傷行為なのだとわかってきた。
こうしないと気分が落ち着かない。
そうしたところで気分は落ち着かないけど、そうするしかない。
自分で作り上げた恐怖から逃げ回るのと同じで、そうするしかないのだ。
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2010年 05月 03日 *
一人でじっとしていてもろくな事がないので暇つぶしにWikipediaを読んでみた。
一つのことを調べるとまた次の事が気になりだしてキリがなくなるのだが、世の中の常識くらいは知っておこうと思うので良しとしよう。仕方ない。
今日はEPRパラドックスに関する記事を読んだので、その感想を。

EPRパラドックスは量子力学(コペンハーゲン解釈)における重なり合いの状態に関するパラドックスと関係している。
重なり合いの状態に関するパラドックスとはシュレーディンガーの猫に代表されるもので、箱の中の猫が生きている・死んでいるという2つの状態が重なり合うのは現実的にあり得ないというものだ。(箱を開ける前から結果は決まっているはずだ)
シュレーディンガーの猫の話はかなり有名なのでここでは省略する。

シュレーディンガーの猫のパラドックスを受け容れなければEPRパラドックスを受け容れることはできない。
言い換えれば、EPRパラドックスはシュレーディンガーの猫のパラドックスを受け容れられない人たちが話を蒸し返しているように見える。
EPRパラドックスの主張は簡略化すると以下のような状況だと思う。

100502.jpg

簡略化しすぎのような気がしてきた。
まあそれはいいとして、図でいうところの3が重なり合いの状態を表している。
4の観測を行わない限り、カードに書かれた文字の中身はわからない。
観測を行った瞬間にカードの文字が確定するのであり、それまでは3のように2つの状態が共存している。

ここでいうパラドックスとはどのようなものだろうか。
図の3番で左のカードを地球、右のカードを遠い星に持って行ったと仮定しよう。
地球で左のカードを観測すると、その瞬間、遠い星にある右のカードが確定する。
もし左のカードがBであれば右のカードはAに確定するし、左のカードがAであれば右のカードはBに確定する。
この時、地球での観測行為が遠く離れた場所での結果に影響を与えていることになる。
EPRパラドックスの主張:
ここで地球の情報は瞬時に遠い場所に伝わったことになり、光速を超える速度は存在しないとする相対論と矛盾する。

EPRパラドックスはまず量子力学の重なり合いの状態を受け容れなければ受け容れられないと思う。
またこれを受け容れても、今度は光速を超えるスピードで通信が行えるという誤解が生じる。

確かに地球の情報が遠く離れた場所に瞬時に伝わるのだが、カードは開けるまで(観測するまで)中身がわからないから、確定の瞬間は遠く離れた人には認識できない。
仮に無理やり遠い星で観測したところで、自分が確定状態にしたのか、それとも既に地球で観測が行われていて、もともと確定状態にあったのかがわからないのだ。
よって残念ながら、この現象を利用しても光速のスピードを超える通信が行えるわけではない。

次に、量子テレポーテーションについて。
量子テレポーテーションを理解するためには、まずベル測定を理解しなければならないと思うのだが、Wikipediaではあまり触れられていないような…。
これも残念ながら量子がテレポーテーションする話ではない。
同じ情報を遠隔地で引き出せるというものである。

例えるならアメリカで新製品の自動車が発表されたとしよう。
1.日本人がアメリカに赴き、新製品の自動車を解体し、材料の詳細な分析を行うために破壊までして、設計図を作成する。
2.その設計図を日本に送る。(古典的通信手段を用いて)
3.日本でアメリカの自動車を製造する。

アメリカでは設計図を作成するために自動車が破壊されているが、日本ではそれと同じものを製造することができた。
ただ、これをテレポーテーションと言っていいのだろうか?
まあ大目に見ればそうだとも言えるが、厳密に言えば違う。
この技術を利用して物体をテレポーテーションさせることが将来可能になるかのような明るい記事もあるが、現実的には設計図のやり取りをしているだけのような気がする。

ここでSF映画のように人間をテレポーテーションさせたとしよう。
地球にいる人間(A)は設計図をとるために一旦バラされる。
「うわ何をする、やめてくれー」
次に遠い星に、さっき地球にいた人間(B)が現れる。
「あれ、おかしいな、なんともないぞ…。やった、地球からはるばる遠い星に一瞬で着いたよ。まさにテレポーテーションだ!」
BはAがバラされる直前の記憶を保持しているので、自分がテレポーテーションしたと自覚する。
確かに、観測者やBにとって、Aが遠隔地にテレポーテーションしたかのように見える。
しかし、Aがバラされた(=死亡した)事実は変わらない。

これは人間のクローンについても同じことが言える。
最愛の息子が事故に遭いこの世を去ったので、息子のクローンを作成したとする。
確かに息子のクローンはかつての最愛の息子と同じように振る舞うが、息子が死んだ事実は変わらないのである。
これを踏まえた上で、テレポーテーションを用いたSF作品を見返すと、全く違った見方ができるように思う。
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The Original by Sun&Moon