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2011年 06月 28日 *
久しぶりに地元を散歩した。

ここは特に何もないところだ。
最近タワーが建つとかで少し話題になっている。
遠目からはそうでもなかったが、近づいて見上げるとタワーは異様に大きかった。
タワーの周りは工事現場になっていた。
昔、そこには川が流れていた。
もしかするとその川が埋め立てられているのではないかと心配したが、川はまだそこにあった。
タワーのある町というイメージは最近付けられたもので、何十年も前からこの町は紛れもなく存在していた。
ここには特に周りに誇るようなものなど何もない。
けれど、生活というものが確かにあった。
考えてみれば不思議な話だ。
どういう訳かわからないけど、僕はここで生まれた。
今まで存在していなかったのが、急に存在するようになった。
そして、周囲に何もなかったにもかかわらず、僕は毎日の生活を普通に楽しんでいた。
何がそんなに楽しかったのだろう。
小学校に通い、友達と遊んだ、それだけなのに。
数十年前と比べて町の景観は変わった。
工場の多くがマンションに置き換わった。
でも今でも学生は相変わらず歩いているし、昔からそのままの建物もある。
たまに空気すら変わらない空間がある。
その空気を吸った時、昔の日々のことを思い出す。
何もなかったけど、楽しかった。
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2011年 06月 25日 *
今日はピアノの音を鳴らした。
pianoteqではなく、キーボードに付属の音源を使った。
ピアノ音源はそれぞれ個性があるというか、クセがあるというか、自分にとってはまだ扱いづらい。
その点、キーボード付属音源は一番クセがない音のような気がする。
あとは音の加工技術次第か。
それもまた自分にとっては難しいけど。

アルペジオを考えるだけで数時間が平気で経過するから困る。
メロディを考える時間よりも圧倒的にアルペジオを考える時間の方が長い。
理論をわかっていないのにいきなり作ろうとしても崩壊するだけだから、これは仕方ないね。

まだやってる途中なのに1日が過ぎてしまった。
今度時間のある時に続きをやろう。

0623.mp3

今日はなんだか暑かった。
6月でこんな状態で、体力的にもつかな。
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2011年 06月 23日 *
音を聴いていると、何もしていないのに、どこかに行ったような気分になる。
音なら何でもいいのかもしれない。

メトロノームの音。
打ち寄せる波の音。
水道の蛇口から水滴がしたたり落ちる音。

共通しているのは、規則的にあるいは不規則的に繰り返していること。
反復して音が鳴っている。
それは、無限に続いていくかのようである。

突然、東京にある建物を一軒一軒全て訪ねる気分になるのはなぜなんだ。
もし実行に移すとしたら、途方もない反復を強いられるのに、そんな作業に惹かれる自分がいる。

最近ここに書いていること自体が恥ずかしいと思うようになってきた。
書けば伝わると思っていたけど、伝わらないことも多い。
例えば人間の感情は喜怒哀楽の4つに分類されるとして、感情の言葉ならある程度は書ける。
でも何かを見たりした時に受ける感覚を言葉で表現することは難しい。

今、変なことを思い出した。
小学校の頃、夏に水泳の授業があった。
プールに入る前、教室で水着に着替えなくちゃいけなかった。
教室の中でクラス全員が服を脱ぐシチュエーションと、自分もそうしていることで、言いようのない感覚に陥った。
その感覚を言葉で表現するのは難しい。

昔の玩具を展示しているスペースが少し話題になっているらしい。
写真を見ると、子供の頃が思い出されて懐かしい気持ちになる。
僕らがそれに惹かれるのは、何かを見て、やはり何らかの感覚を抱いていたから。
言葉にならなくても、確かに感じていたのだ。

いくら熟考を重ねて言葉を書いたとしても、たった1枚の写真にも劣ることがよくある。
自分は一体何をやっていたのだろうと恥ずかしい気持ちになる。
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2011年 06月 17日 *
知らないうちに朝になっていた。
嘘、とっくに気づいていた。
確信を持ちながら朝になっていた。
若干変なテンションになっている。

0613-3.mp3
今までは音にしか気が回らなかったけど、今回は曲みたいなものを作ってみようと。
かっこいいイントロを作ろうと思ってやってみたけど、現時点ではこの辺が限界です。
それぞれの音のバランスを取るのが難しいことを思い知らされた。

0615.mp3
こういう音楽は嫌いじゃないけど、普段耳にする機会が少ないような気がして。
なら作ってみようということで、やってみました。
音を混ぜるとやはりバランスを保つのが難しい。
ミキシングについて学んだ方がいいかもしれない。
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2011年 06月 13日 *
少しまとめてうp。

0607.mp3
これはどうかと思ったけど、耳鳴りっぽい音が録れていたのでうp。

0610.mp3
これは色々と音のバランスに苦労した挙句、結局うまくいかなかったんだよね。

0611.mp3
自分の海のイメージ。テレビで映ってるものとは全然違うなぁ。
あとFM音源っぽさが出ているかな。

0612.mp3
音自体はただのサイン波、という感じだけど。
アルペジオを作ってみたかった。
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2011年 06月 11日 *
引用元:
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1106/07/news010.html


 私は1977年から2009年まで、東京電力で働いていた。その間、原子力発電所や核燃料リサイクル業務を担当。最初の赴任先は福島第1原発で、そこで3年半ほど計測制御装置の保守管理などを行っていた。例えば原子炉の水位や圧力、中性子などを計測していた。

 その後、本店に配属され、再び福島第1原発に戻った。2年半ほどいたが、そのときには発電所全体の安全統括を担当。定期検査の結果を旧通産省に報告したりしていた。

 もちろん原発の中で、いろんな労働者がいたことは知っている。下請けとして1次、2次、3次、4次……一体何次まであるのか分からないくらい、たくさんの人が原発で働き、彼らが被ばくしている事実を知っている。原発は定期的に検査を行うが、そのとき東芝や日立などと作業契約を結ぶ。しかし東芝や日立の人が契約書にサインするわけではなく、そこからいろんな会社に作業が流れていくのだ。

 東電の人間が原子炉内で作業することはなく、あくまで「管理員」という立場。どういう作業が行われているのかを、最終的にチェックしている。簡単に言えば自分たちがお願いした作業が、ちゃんとできているのかをチェックするのが主な仕事だ。

 作業員名簿にはいろんな人たちの名前が掲載されている。しかしそれはリストがあるだけで、その人がどういう人なのか――ハッキリ言って分からない。街中で電柱の作業をしている人を見かけることがあるが、そこでも東電の人間が直接手をくだすことはない。電柱工事についても「管理員」という立場で、作業がちゃんとできているのかをチェックしているだけだ。

 私は福島第1原発に、計7年ほどいた。そして、被ばくもした。通算で90~100ミリシーベルトほど、あびている。もう私の命もあまり長くはないかもしれない。

 現場では放射線量をたくさんあびた人間は「女の子しか生まれない」という噂がある。私も子どもが3人いるが、全員女の子。もちろん噂話のレベルだが、このほかこんな実話がある。作業員は放射線の異常を知らせるアラームメーターが鳴ると仕事ができなくなる。なのでアラームメーターを外に置いて作業していた。昔は頻繁に、こうしたことが行われていた。

 新入社員で原発に配属されると、先輩から「鍛えてやる」と言われた。そしてアラームメーターなどを持って、放射線量の高い場所に連れていかれるのだ。私は福島第1原発1号機にある廃棄物処理建屋というところに連れていかれた。配管をまたいだとたんに、アラームメーターから「ビーッ」という音が鳴った。このように新入社員は“みそぎ”のようなものを受けさされるわけだが、今振り返ってみると「随分無駄な被ばくをしたなあ」と感じている。

 私が入社したころはトラブルがあって、原発はほとんど動いていなかった。原子炉に直結している配管にヒビが入っていて、その配管を交換しなければいけなかったのだ。その作業を誰かがしなければいけないのだが、そのとき米国のGEは、たくさんの黒人を連れてきた。当時、黒人には放射線量をどのくらいまであびることができるのかといった制限がなかったので、彼らを連れて来たのだろう。

 福島第1原発で事故が起きたわけだが、いまでも周辺の放射線量は高い。私は主に3号機を担当していたが、今では見るも無残な姿。個人的には残念で、かつ心配な気持ちが強い。

 福島第1原発から海を見ると、波は穏やかなことが多いので、まさか、あれほど巨大な津波が襲ってくるなんて想像もできなかった。1つの原子炉で炉心損傷が起きる確率は年間で10のマイナス6~7乗、つまり100万年、1000万年に1回程度と説明されていた。

 今振り返ってみると「なんだ、この数字は?」と思うのだが、当時は「炉心損傷なんで起こり得ない」と思っていた。しかし今回の事故で、その“神話”は崩壊した。工学的に炉心損傷は起こりえないわけだが、さらに安全性を高めるために、東電はアクシデントマネジメントという方策をとった。10年ほど前のことだったと思う。

 このアクシデントマネジメントというのは原子炉を冷却する電気系統が使えなくなったときに、消防用の消火水を原子炉の中に注入したり、原子炉格納容器から蒸気を抜く「ベント」をしたりするもの。この対策をとることによって、原子炉での炉心損傷が起きる確率が10のマイナス6~7乗から、さらに20~30%安全性が高くなると言われていた。

 原子炉の安全設計というのは「多重防護」といって、何重もの対策をとっているのが特徴だ。徐々に事態が悪化していくというシナリオがあって、第1の壁が破られれば、第2の壁が守る。それが破られれば第3の壁があり、それが破られれば第4の壁があるといった感じ。原子炉は多重に防護していて、もちろん運転マニュアルもあった。何かトラブルが生じればこういう操作をする、悪化すればこういう操作をする、さらに悪化すればこういう操作をする――。このような段階的なマニュアルがあったわけだが、今回の事故は何段階もあるバリアが全く機能しなかった。通常運転から最悪の状態に一気にジャンプアップしてしまったことが、大きな問題だ。

 炉心損傷は起こりえないはずだったェ、より安心・安全のために行っていたアクシデントマネジメント。今回、事故が起きたとき、消防用の消火水を注入し、ベントをした。ところが、水がなくなった。マニュアルには「原子炉に海水を注入する」などと書かれておらず、海水を注入するということは、東電の財産を捨てることを意味する。「海水注入が55分間中断した、しない」という“すったもんだ”の話があったが、そもそも海水を注入するというマニュアルはなかったのだ。

 ベントをすれば、格納容器の圧力は下がり、爆発する可能性は低かった。ところが1、3、4号機では原子炉建屋が水素爆発した。原子炉建屋が水素爆発することを、東電は全く想定していなかったのではないだろうか。格納容器内の水素濃度が高くなったときには、それを下げる術はある。ところが原子炉建屋が水素爆発するというシナリオは誰も考えていなかったはずだ。

 東電は「なぜ建屋が水素爆発したのか?」という問いに答えていない。私は、このことがとても気になっている。また「格納容器をベントしなければいけなくなったときに、なぜ格納容器の中の圧力が上がったのか」――このことも全く説明していない。今後、このことは明らかになっていくだろうが、どうも情報の出し方がスムーズでなく、かつ一元化されていないことが問題だ。

 民主党の細野首相補佐官をメインにして、東電、原子力安全・保安院、原子力安全委員会、文部科学省が一緒になって会見している。最長5時間の会見もあった。私は「情報の一元化をすべきだ」と訴えてきたが、あの会見は場所を一元化しただけで、情報は全く一元化されていない。

 東京電力福島第1原発で事故が起き、2カ月が経過して、ようやく「メルトダウン」という言葉が出てきた。もし事故が起きた3月11日に「メルトダウンした」と発表していたら、日本は大変なことになっていたはずだ。だから東電は「メルトダウン」という言葉を使わなかったのだろう。

 毎日のように原発事故のニュースを見ていて、「もういいや」「もう飽きた」という人もいるのではないだろうか。多くの人が原発事故のニュースに“鈍感”になってきたタイミングで、東電は「メルトダウンしていた」と説明したのだ。

 工学的にメルトダウンが起きる確率は10のマイナス6~7乗と言われてきたが、それが1度に3機も起きてしまった。これほど大規模な事故が起きてしまった以上、今後の原子力政策はきちんと見直さなければいけない。

 私が最も心配しているのは、菅首相がいつも思いつきでこの問題を語っているのではないか、ということ。例えば菅首相は浜岡原発の運転停止を命令したわけだが、それを聞いて「なんなんだ!?」と思った。「今後30年以内に巨大地震が発生する確率は87%。だから浜岡原発は危ない」という気持ちは分かるが、なぜ浜岡原発を停めて他の原発は停めないのだろうか。菅首相は「国民が騒いでいるから、浜岡原発を停めておけ」といった思いつきで、語っている気がしてならないのだ。

 今後、原発を増設することは難しいだろう。ただ一度に原発を停止してしまうと、日本のエネルギーの需給関係はめちゃくちゃになってしまう。また日本経済はどうしようもなくネってしまうだろう。ドイツのように、日本の原発もフェイドアウトするしかない。何年後かに原発依存度を低くしていかざるを得ないわけだが、フェイドアウトしていく分を他のエネルギーで賄わなければいけない。代わりのエネルギーは水力なのか、火力なのか。水力は開発しつくしているし、火力はCO2などの問題がある。

 菅首相は「1000万戸の屋根にソーラーパネルを設置する」と、また思いついたことを言っている。原発をフェイドアウトしていくのであれば、新エネルギーに対してもっと予算をつけなければいけない。もっと効率の良い太陽光パネルや風力発電所を作りながら、同時に原発を減らしていかなければいけない。

 私は福島第1原発事故が起きる前から「今後、日本の原発はどうなるんだろう?」と思っていた。今、青森県の六ヶ所村で再処理工場※(1)を動かそうとしている。その工場から出てくる「ガラス固化体」※(2)というゴミをどこに捨てるのか。このことは、まだ決まっていない。

※再処理工場:日本全国の原子力発電所で燃やされた使用済み核燃料を集め、その中から核燃料のウランとプルトニウムを取り出す工場。

※ガラス固化体:液体状の高レベル放射性廃棄物をガラス原料とともに高温で溶かして、ステンレス製の容器(キャニスタ)に入れて冷やし固めたもの。

 青森県六ヶ所村に原発のゴミを貯蔵することはできるが、あくまで一時的なもの。政府は「最終処分場を建設できる自治体は手を挙げてほしい」と公募していて、これに市町村が手を挙げれば、それだけで1億円くらいが入ってくる。ただ今回の事故が起きる前に、手を挙げたところはなかった。事故が起きた今、「ウチの町に最終処分場を作ってください」という市町村は出てこないだろう。原発のゴミを捨てる場所がなければ、下流からどんどんふんづまりになっていって、使った燃料を出せない状況になってしまう。

 使った燃料を出せなくなれば、新しい燃料を入れることができなくなる。ということは“発電ができない”事態になってしまう。私の自論は「原発を増やしていくのはいいが、そのためには最終処分場をきちんと作ってからやってくれ」だ。しかしこれはもう無理だ。

 地元の人に“原子力文化”のようなものを根付かせるには、少なくとも10年はかかる。「邪魔なモノだけど仕方がない。地元住民の雇用にもなる」「いろんな交付金も出る」といった理由を挙げ、地元の人に理解してもらうのには10年ほどかかる。なぜなら何もないところに、いきなり原発のゴミを持って来ることは不可能だからだ。この最終処理の問題を解決しない限り、原発に将来はない。

 原発内で作業員が被ばくしているが、とても心配だ。今回の事故で、被ばく線量限度の250ミリシーベルトを超えた作業員も出ている。内部被ばくというのは、ものすごく恐ろしいもの。原発作業員は「タイベック」という白色のつなぎを着ていればアルファ線やベータ線を防ぐことはできるが、内部被ばくをしてしまうとアルファ線、ベータ線、ガンマ線すべてをあびることになってしまう。

 福島第1原発では現在、内部被ばくのチェックをしていないだろう。なぜなら内部被ばくを計測できるホールボディカウンターがある建物が、津波でやられていると思うから。もし津波でやられていなくても、ホールボディカウンターという機械はとても敏感で、周囲の放射線量の数値が高ければうまく動かない。今、原発周辺の放射線量はとても高いので、ホールボディカウンターは使えない状態になっているはずだ。

 東電は、ホールボディカウンターで計測した数値を公表しようとしていない。原発で働いている作業員は、できるだけ早くホールボディカウンターで内部被ばくをチェックすべきだ。東電に「内部被ばくの数値を公表せよ」と言っても「これは個人情報にひっかかるので……」といった話になるかもしれない。しかし、この数値は公表すべきだ。

 政府は、年間許容被ばく量を20ミリシーベルトに設定したが、これには「けしからん」と思った。何を根拠にかというと、文部科学省は国際放射線防護委員会(ICRP)※の声明をもとにしたという。最近になって「目標を1ミリシーベルトにする」と発表したが、大人、女性、子ども……みんなが20ミリシーベルトというのは、やはりおかしい。

※文科省はICRPの「非常事態が収束した後の一般公衆における参考レベルとして、1年間で1~20ミリシーベルトの範囲で考えることも可能」とした声明をもとに、暫定的な目安を発表した。

 国や自治体による放射線量の発表は、信頼できない。自分で線量計を購入し、子どもたちが遊んでいる公園などを計測する人が増えてきているようだ。福島市や飯舘村などに行った人に聞いたところ「国が発表している数値よりも、放射線量は3倍ほど高い」と言っていた。赤ちゃん、子どもが心配だ。政府はできるだけ早く、避難を含めて検討すべきだろう。
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2011年 06月 11日 *
 -今日の世界にとって福島の事故はどんな意味を持つのでしょう。

「あのような大災害が起きたときに、私たち人間には何の備えもできていない、ということです」

 -あのような、とは?

 「人間自身が作り出し、その被害の広がりに社会的、地理的、時間的に限界がない大災害です。通常の事故は、たとえば交通事故であれ、あるいはもっと深刻で数千人がなくなるような場合であれ、被害は一定の場所、一定の時間、一定の社会グループに限定されます。しかし、原発事故はそうではない。新しいタイプのリスクです」

 「そんな限界のないリスクをはらんでいるのは、原子力だけではありません。気候変動やグローバル化した金融市場、テロリズムなどほかの多くの問題も同じような性格を持つ。近代社会はこうしたリスクにますますさらされるようになってしまいました。福島の事故は、近代社会が抱えるリスクの象徴的な事例なのです」

 -なぜ、そのようなリスクが広がっているのでしょうか。

 「近代社会では、人間の意思決定がリスクを生みだしているからです。近代化というプロセスと深く結びついています。新しいテクノロジーが開発されたり、投資活動が進んだりしたから生じているのです」

 -日本では、多くの政治家や経済人が、あれは想定を超えた規模の天災が原因だ、と言っています。

 「間違った考え方です。地震が起きる場所に原子力施設を建設するというのは、政府であれ企業であれ、人間が決めたことです。自然が決めたわけではありません」

 「18世紀にリスボンで大地震が起き、深刻な被害が出たとき、当時の思想家たちは、どうして善良な神がこんな災害をもたらすのかと考えた。今日、神を問題にするわけにもいかず、産業界などは自然を持ち出すのです。しかし、そこに人間がいて社会があるから自然現象は災害に変わるのです」

 「これはとても重要なことですが、近代化の勝利そのものが、私たちに制御できない結果を生み出しているのです。そして、それについてだれも責任を取らない、組織化された無責任システムができあがっている。こんな状態は変えなければいけません」

 -原発が大災害を引き起こす確率は低いと言われていました。

 「たとえ確率が千年か1万年に1度だと言われていても、こういうことは起きるのです」

 「19世紀、欧州などでは、近代という時代が生み出す不確実性やリスクに対処するための仕組みが開発されました。たとえば、失明したり腕を失ったりする危険に向き合うために、お金で補償する保険という仕組みが発展した。これは進歩を可能にするための社会契約だったともいえます」

 「ところが、保険制度は原子力事故のリスクに対応しきれません。備えられている額は、必要な額よりはるかに少ない。実際のところ保険という仕組みを超えているのです」

 ―つまり、問題の大きさに見合う解決策がないということですか。

 「現代の問題を19世紀の枠組みで解決しようとするのは誤りです。たとえば、複数の化学工場からの有害な排気にむしばまれた町の住人が、賠償を求めて裁判を起こす。ところが被害は明らかでも因果関係がはっきりしないからと裁判で負ける。また、チェルノブイリ原発事故による犠牲者について、数十人という見方もあれば、はるかに多い数を挙げる説もある。なぜ、そうなるのか。事故の影響が広範で複雑で長期にわたるからです。チェルノブイリでは、まだ生まれていない人が被害者になることだってあるかもしれない」

 「私たちが使っている多くの制度が、元来はもっと小さな問題の解決のために設計されていて、大規模災害を想定していないのです」

 「私たちは、着陸するための専用滑走路ができていない飛行機に乗せられ、離陸してしまったようなものです。あるいは、自転軍用のブレーキしかついていないジェツト機に乗せられたともいえるかもしれない」

 -今、日本では被害の補償問題でもめています。

 「問題が起きて、その負担を国や市民に回すのなら、それは資本主義ではありません。同じ議論は金融システムについても言われました。巨大銀行は危機に備えなければならなかっだのに、そうしなかった。そして国がその後始末に乗り出した。これではまるで社会主義、国家社会主義です」

     ■   ■

 -近年、温暖化問題への解決策として再び原子力への注目が集まっていました。

 「原子力依存か気候変動か、というのは忌まわしい二者択一です。温暖化が大きなリスクであることを大義名分に『環境に優しい』原子力が必要だという主張は間違いです。もし長期的に責任ある政策を望むのであれば、私たちは制御不能な結果をもたらす温暖化も原発も避けなければなりません」

 「ただ、明日にでもすぐそうしなければならないと言っているわけではありません。多分長い時間が必要。しかし、そこを目指さなければならない。ドイツ政府は福島の事故の後、原子力政策を検討する諮問委員会を作りました。私も参加していますが、政府に原子力からも温暖化からも抜け出すタイムテーブルを示すよう求めることになるでしょう」

 -第2次大戦後、日本の政治指導者たちは原子力を国家再建の柱の一つと考えました。しかし福島の事故では、それが国家にとって脅威ともなっています。

 「昨年の秋、私は広島の平和記念資料館を訪れ感銘を受けました。原爆がどんな結果をもたらすかを知り、世界の良心の声となって核兵器廃絶を呼びかけながら、どうして日本が、原子力に投資し原発を建設してきたのか。疑問に感じました」

 「確かに原子力政策は国家主権と深く関わっている。ドイツにもそうした面はあるけれど、今、ドイツではこういう考えが広まっています。他国が原子力にこだわるなら、むしろそれは、ドイツが新しい代替エネルギー市場で支配権を確立するチャンスだ、と。今は、この未来の市場の風を感じるときではないでしょうか。自然エネルギーヘの投資は、国民にとっても経済にとっても大きな突破口になる」

     ■  ■

 ―制御不能なリスクは退けなければならないといっても、これまでそれを受け入れてきた政治家たちに期待できるでしょうか。

 「ドイツには環境問題について強い市民社会、市民運動があります。緑の党もそこから生まれました。近代テクノロジーがもたらす問題を広く見える形にするには民主主義が必要だけれど、市民運動がないと、産業界と政府の間に強い直接的な結びつきができる。そこには市民は不在で透明性にも欠け、意思決定は両者の密接な連携のもとに行われてしまいます。しかし、市民社会が関われば、政治を開放できます」

 「ドイツのメルケル首相は、温暖化問題の解決には原子力は必要だと考えていました。しかし、福島の事故で、彼女は自分が産業界のとらわれ人であったと感じたのではないでしょうか。彼女は初めて市民運動の主張をまじめに考えなければならなくなり、委員会を作り、公に議論する場を設けた。産業界とは摩擦が起きるでしょう。しかし、これは政治を再活性化し、テクノロジーを民主化します」

 「産業界や専門家たちにいかにして責任を持たせられるか。いかにして透明にできるか。いかにして市民参加を組織できるか。そこがポイントです。産業界や技術的な専門家は今まで、何がリスクで何かリスクではないのか、決定する権限を独占してきた。彼らはふつうの市民がそこに関与するのを望まなかった」

 -日本でも「原子力村」と呼ばれる閉鎖的なサークルヘの批判が起きています。

 「ドイツでも80年代まではそうでした。しかし、その後変わっていった。こういうときは、世界に自らを開き、もっと協力し合わなければなりません。グローバル時代には、どんな国の国民も、これらの問題を自分たちだけでは解決できません」
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2011年 06月 11日 *
今日は「夕凪の街」(こうの史代)を読んだ。
きっかけは「マンガ狂につける薬 下学上達篇」(呉智英)で書かれた書評が気になったからだ。

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わずか30ページの「夕凪の街」の物語は、いたって単純である。昭和20年、広島で少女が被爆する。彼女が十年後ひっそりと世を去る。ためらいがちな小さな恋以外、これといった大事件はない。しかし、この作品が強い感動を呼び起こすのは、作者の死者への共感によるものだろう。自分とは無関係な人にも、まぎれもなく人生があったということへの共感である。想像力というのは、この共感の力でもある。
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もう書評を読んだ時点で作品の良さが想像できて、実際に読んだらやっぱり良い作品だった。
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pad
2011年 06月 09日 *
今日はpadっぽい音を作ってみた。
実は数週間前までpadの言葉の意味が分からなくて。
padとかleadとか言われても違いが全く分からなかった。

padっていうのは、ふわふわしている音。
存在しているような、存在していないような、微妙な音。
でも鳴っていてもいいかって許せてしまう。
そういう音を聞きたくなる時があるんだよ。

0608.mp3
0609.mp3
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2011年 06月 08日 *
食べる→気持ち悪くなる。
食べない→気持ち悪くなる。

この2択しかない。
そこで、1日2食を1食に減らし、1日1食を2日で1食に減らし…という風に体をどんどん慣らしていけば、いつかほとんど何も食べずに生活できるんじゃないかという、バカな考えを思いついた。
で結果的に体調が大変なことになった。
食欲とか満腹感を感じないと、生きるだけでも苦労することになるね。
普段は音を聞いてるんだけど、それだけで気持ちがお腹いっぱいになってしまうので、何か食べようという気力がわかない。
そんな状況を少しでも変えようと思って久しぶりに夜に外出したんだけど、夜でも道に人が沢山歩いていて、やはり東京はすごい所だと思った。
最近はどうも何もする気力がわかなくて、環境を変えた方がいいのではないかと思う。

今日も音を少し鳴らした。
やはり、音の印象を決定づけているのは、エフェクトによる部分が大きい気がする。
同じ音色でも、エフェクトによって印象が全然変わる。
あと自分のような素人にとっては、様々な音色や効果音を挿入するよりも、一つの音色とエフェクトで音を鳴らした方がシンプルでやりやすい。
色々手を広げてしまうと自分でも訳がわからなくなり、収拾がつかなくなってしまう。
一方、音色とエフェクトは一旦作ってしまえば、あとは適当に弾いたとしても割とどうにでもなるところがあって。
環境さえ整えば、万華鏡みたいにコロコロ回すだけで変化してくれる。

0606.mp3

短い音符はベルみたいに鳴るし、長い音符はpadみたいに鳴ってくれるのでいいんじゃないかと。
いつも、ほとんどの人にとってどうでもいいことを書いてて申し訳ないです。
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The Original by Sun&Moon