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2012年 05月 29日 *
なかなか揺れた。
そのあとなぜか怖くなってきた。
誰かがそばに立ってる気がして。
そんな気分になるのは少なくとも三年間はなかったのに。
あの揺れをきっかけにし、抑えていた恐怖心が芽生えだした。
そのあと2CHを覗いたら少し落ち着いた。
でもまだ部屋の電気を消す勇気が出ない。
電気をつけてる状態でもこわいけど、消したら本当に誰かいそうな気がする。
とにかく落ち着かなきゃ。
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2012年 05月 27日 *
なぜその曲を聴くかにはおそらく理由がある。
ノリがいいからとか、音が綺麗だとか、メロディが素敵だとか。
自分も敢えて言葉にしないものの、自分なりの基準で曲を選択している。
いや、そうしてきた。

ただ最近、今まで考えもしなかった基準があることに気づいた。
それは、音は無意味であるという概念である。
世の中で起こる全ては諸行無常であるかのような。
そうやって垂れ流される音楽が確実に存在する。
それは全体のなかでごく一部で、あまり知られていないだろう。
なぜならほとんどの音楽がノリの良さや美しさを追求した延長上にあるからだ。
エレクトロニカや環境音楽に見られる規則性・循環性とは明らかに違う、何か。
ノリのいいフレーズを単調に繰り返すことで、音楽の無意味さを伝えてくる。
いい例があればいいんだけど、なかなか見つからない。
なんとかして探したい。
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2012年 05月 20日 *
頭痛が止まらない。
少し歩きたくて千葉周辺を歩いた。
東京と違って何もない風景がいいと思った。
夜、自転車で誰もいない東京を走った。
最近は4時くらいですぐ明るくなるのが嫌だね。
ただ、なんていうか何も感じない自分がそこにいた。

何もせずじっとしたまま1日を終えなければならない心境は、あまり分かち合えるものではない。
健康で一般的な人からすれば、阿片窟に横たわる廃人のようだ。
普通の人とは付き合えない。
関わるべきではない。

親族の結婚式があって、死ぬほど行きたくなかった。
前日眠れなくて深夜の映画館に行った。
客は自分以外に3人しかいなかった。

自分がどう感じたかなんて、どうでもいいことなのだ。
僕は馬鹿で社会貢献なんてできないし、最近まで何かのために明日を生きていた気がするけど、実は何もなかった。これからも。

僕からすれば1日をちゃんと過ごす人はすごい。
そういう毎日の積み重ねは、とてつもなく大きなエネルギーを消費するように思える。
もう少し僕が馬鹿じゃなければ結果は違っていただろう。
でもこればかりは言っても仕方のないことなのだ。
こうして生まれてしまった以上、どうすることもできない。
強いて言えば呪われている。
呪われているのはどうしようもない。

昔は街灯の光にすらあたたかさのようなものを感じていた。
今じゃ目を閉じていた方がはるかにマシ。

結婚式には沢山の人が来ていた。
最後の方で少し泣いた。
こんなに沢山の人がいつか死ぬなんて、想像しただけでもやっていられない。
自分なんかは真っ先に死ぬべきだが、他の人たちは明日も生きたいに決まっている。
だけど、その願いは叶うことがない。
こんなに沢山の人が死んで、そのたびにお葬式に出るなんて無理だ。
そんなに多くの死を乗り越えられるはずがない。
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2012年 05月 14日 *
今時ブログもないだろうと思うが、日記のような形式で書けるのも現在ではこれくらいしかないのかもしれない。
フェイスブック、twitter、mixi、ニコ生、など最近流行しているネットサービスに共通しているのは、ソーシャルの要素がある点だ。

ソーシャル…
みんな仲良くしましょう。友達を作りましょう、みたいな。
はっきり言って、僕はそういう雰囲気が嫌いだ。
もともと他人と上手にコミュニケーションを取ることができないのに。
現実世界で友達の作れない人間は、仮想世界でも友達を作れない。
当たり前の理屈。

mixiが流行りだした頃からネットの環境は明らかに変わった。
PCやネット環境を持つのが当たり前になった。
ネットインフラの普及により、周囲の人が普通にmixiやブログで日記を書いたりネット上のマイミクとコミュニケーションを取るようになった。

現実世界で食事をしたり旅行をしたりする。
ネット上では食べログなどのサイトで店が既に評価されている。
新聞に掲載される事件に、2chのスレッドが立ち、2chまとめサイトにそれが貼られる。
そして2chスレッドで得られた結果があたかも正しいかのように、沢山のサイトに引用される。

現実世界で起こった事件にしろ、テレビ番組にしろ、だいたい話題性のある媒体はネット上で誰かが取り上げ、意見が形成される。
その意見が何となく大衆の総意として共有されていく。

今ではそれに慣れてしまっているかもしれないけど、昔はネットなんてなかった。
それでも一部の人は深夜番組やテレビゲームに夢中になっていた。

テレビゲームを例に挙げると、今ではネットで当たり前のように攻略サイトを見られるようになった。
プレイヤーが半ば攻略サイトを見ながらプレイするのが前提の上で、ゲームが作られるようになった。
傍から見ていると、プレイヤーはただ作業をしているようにしか見えない。
それ面白いですか、と言いたくなる。
ゲームの遊び方なんてプレイヤーが決めるものであるはずなのに、コンセプトがどうとか難しいことを作り手が言い出して、ゲームはゲームでなくなってしまった。

情報がたちまち共有化されるため、「自分だけが理解者である」といった感情を抱くことがなくなってしまった。
自分だけがゲームの裏技を知っているみたいな優越感は消滅した。
ゲームをする動機が一つ消えた。

現実世界でも町を探検しようなどと思えなくなってしまった。
まだ行ったことのないお店に行こうとも思えなくなってしまった。

僕がネットを止めればこのような問題は解決するのかもしれない。
ただ、かつてはみんながゲームに夢中になれた時代があった。
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The Original by Sun&Moon