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2015年 01月 25日 *
4月に向けて賃貸物件の入れ替わりが激しくなる時期が近づいている。
自分もそろそろ引越しをしようか迷っている。
といってもまだここには3ヶ月程度しか住んでいないのだが。

静かな場所を選択したことが間違いだったとは思わない。
ただなんというか、外に出ても物音一つしないのはどうなのか。
まるで自分以外の時が静止しているかのように。
その一切の静寂に精神的な面で大いに助けられている部分もあるのは事実だ。
だが同時に、何となく生きている実感が希薄になる。
休日は本当に何もする気が起こらなくて、一歩も外に出ないまま終わる。
東京に住んでいた時は、さすがにもう少し外出していたと思う。

東京に住むのなら、できればBS対応の物件にしたい。
地デジはほとんどの物件で対応しているが、BSとなると集合住宅でなければ対応していない事が多い。
また、CATVが入っているからという理由で「BS・CS視聴可」にチェックが入っている物件があるので注意が必要だ。
CATVチューナーではTS抜き録画やTVTestで視聴ができないので選択肢から外れる。
この事情を不動産屋に話しても全く理解してもらえないので、物件探しは自分の力で何とかしなければならない。
もちろん自分でBSアンテナを設置すれば解決するのだが、ビルに囲まれている都心部は立地上難しいことが多い。

あとロケーションの問題。
場所の違いは所詮、平面座標上の違いだけ。
同じ都内ならどこに住んでも大して変わらない。
そう思っていた時期が俺にもありました。
実は、今の場所が今の状態になるまでには長い長い歴史を経ている。
そこには地域性というか、場の空気が確かに存在していて、今まで習った知識や理論ではそれを説明することができない。
この世界とは違う世界の存在。
それを意識するようになったのも、この空間に存在する「場」の力に影響を受けたからではないか?
それは言葉という手段ではうまく説明できない概念だし、それに関する情報がどこかに転がっている訳でもない。
追求したところで何ら収穫は得られないかもしれないけど、できればそこに理由や理屈を見出したいという気持ちもある。
でもやはりヒントが得られるアテがある訳ではないので、その場に自分の身を置いてみることでしか真実には近づけないだろう。
時間や労力を費やしてまでする価値があることなのかと問われると、あまり強く肯定できない自分がいる。
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2015年 01月 25日 *
自分がなぜPCでのTV番組視聴にこだわるかというと、一つはTS抜き録画ができるというメリット。
もう一つは、色合いの綺麗さだ。
PCのモニタでの視聴は、下手に安価なテレビで視聴するよりも画質面で優れていると思う。
PC画質に慣れてしまうと、液晶テレビの色合いが不自然に見えてしまう。
特に、色が重要な要素を占めているアニメにおいては、正常な色合いで視聴することは欠かせない。

Windows7に標準で付いてくるMicrosoft DTV-DVD Video Decoderでも一定の水準は十分にクリアしている。
Windows8.1には残念ながらMicrosoft DTV-DVD Video Decoderは付属していない。
だが、ffdshow等のフリーのデコーダやATI mpeg video decoderで代用可能なので大した問題とはならない。

ただ、PCで視聴するとTV用モニタでの視聴に比べて色合いに対する違和感を感じやすくなるかもしれない。

これはモモキュンソードの1話のOP場面。
なんとなく桜の色に違和感をおぼえる。
無題1.jpg

と思ったら2話以降は色(フィルタ?)が修正されていた。
無題2.jpg

PCでの視聴は素材の色が脚色なくそのままの形で表現される。
この点に関してはいい面も悪い面もあるかもしれないが、アニメの肌色の質感を重視する自分にとってはプラスと捉えている。
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2015年 01月 25日 *

























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2015年 01月 22日 *
ここ数ヶ月間で気づかされたことをまとめてみようと思う。
きっと長年オーディオを趣味としている人にとっては「当たり前だろ」的なことなので、全然大した話ではないが。

アンプの出力レベルとヘッドフォンのインピーダンスの適合性は重要である。
しかし、そもそもヘッドフォンのインピーダンスとは何なのだろう。

太鼓という楽器を想像してみて欲しい。
太鼓は叩くと音が鳴る。
ここまでの話は非常にシンプルだが、太鼓は叩く人によって音が多様に変わる。
分かりやすい例としては、女性が鳴らす音と男性が鳴らす音はかなり違う。
特に音の力強さが。

ここで太鼓の膜が強く張られていたと仮定しよう。
力の弱い女性が叩いた場合は大きな音を鳴らすことができない。
一方、男性であればちゃんと鳴らしきることが可能である。

演奏者と太鼓の関係は、アンプとヘッドフォンの関係に似ている。
ヘッドフォンのインピーダンスは、太鼓の膜の張り具合の強さである。
膜をを弱く張った状態よりも強く張った方が音にメリハリが出るが、逆に音に響きとか余韻を出すような表現は苦手である。
(モニター系ヘッドフォンのインピーダンスが比較的高いのには、この辺に理由があると思われる。)

新品のヘッドフォンにエージングが必要なのも、ヘッドフォン=太鼓の仮説で説明が可能である。
新品の太鼓は皮がまだ馴染んでいないから、本来の音では鳴らない。
何時間も叩いてようやく本来の音が鳴るようになる。
またアンプの出力レベルを上げると再びエージングが必要になる現象もこれで説明できる。
新品の太鼓を弱い力で叩き続けても、弱い馴染み方しかできない。
弱い力で叩くだけならそれでOKだが、力強く叩く場合は皮を馴染ませる過程が再度必要となる。

ではアンプの出力レベルは高ければ高いほどいいのだろうか。
いや、ヘッドフォンのインピーダンスに対してアンプの出力レベルがあまりに高いと、出音の特性が変化してしまう。
だから出力レベルの大きいアンプに対してインピーダンスの低いイヤホンを繋げて聞くのはあまりオススメできない。

またヘッドフォンのインピーダンスは高ければ高いほどいいのだろうか。
ウォークマンやiPodはおそらくイヤホンでの使用を前提として作られている。
よってインピーダンスの高いヘッドフォンを音を鳴らしきることはできない。
なので適合性という意味においては、ウォークマンやiPodに対してはイヤホンの方が適していると言える。
どうしても高インピーダンスヘッドフォンを使いたいなら、ヘッドフォンアンプ買うか、部屋の据え置き器で聞く方が適合性は高い。
まあ鳴らしきれないといっても音の細部が表現できなくなるだけで、先ほどのような音質特性の変化に比べると深刻度は低い。
外出先での使用であれば、そこまでこだわる必要はないのかもしれない。
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2015年 01月 22日 *
SRC2496を使用して1年くらいが経過した後、音が上手く鳴らなくなった。
症状としてはデジタル信号を入力してもリンクが確立せず、音を鳴らせない。
だが完全に壊れているという訳ではなく、AIMP3側の音量を5%程度にしてサンプルレートを44.1kHzにすればなんとか使える。
48kHzではリンクしないし、また再生プレーヤーの音量を20%くらいに上げてもリンクしない。

この故障の原因は、SRC2496の電源部分がしょぼいところにある。
ただこの事例で気づいたことがあった。
それは再生プレーヤー側の音量の大小によってDAC側の消費電力が異なるということである。

再生プレーヤーの音量5%→消費電力:小
再生プレーヤーの音量100%→消費電力:大

この事実により、自分の所有しているSRC2496に違いが生じることとなった。

100V→115Vの昇圧器を通してみると結果はどう変わるだろう。
すると再生プレーヤーの音量を100%にしてもきちんと音が鳴るという結果となった。
つまり昇圧器を使用することでSRC2496は正常な状態に戻る。
このことは海外製の音響機器が115Vでの使用に耐えるよう設計されていることを意味している。
よって厳密に言えば僕のSRC2496は故障とは言えないのかもしれない。
このサイトに書かれているが、
http://www.soma.or.jp/~sendai/hanbai/transe.htm
100Vを採用している日本の電圧は海外に比べて相対的に低い。

またKP41も家庭に送られてくる電圧と関係がある。
電源ケーブルをしっかり挿し込んだり、拡張ボードを取り外しても、KP41は発症することがわかった。
ただ発症するのはいつも夕方以降の時間帯に限定されている。

ところで一般的に言えることだが、1日のうちで電力消費量の最も多いのは夕方以降の時間帯である。
理由は、家庭において夕飯の準備に電気炊飯器や電子レンジを使用するかららしい。
自分の住む部屋の電圧を計測してみると、確かに夕方になると97V前後に低下することがわかった。
電源部にも原因はあるのかもしれないが、少なくとも自分のパソコンは100Vを下回るとKP41を発症する可能性があり危険な状態である。

だがこれにも昇圧器を通すことでKP41の症状は解消されることがわかった。
KP41がよく自作PCで発症すると言われるのは、自作PCに主に115V用電源が搭載されていることと関連があるのではないだろうか。
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2015年 01月 18日 *
KP41が再び発症した。
本体の中を見ると、またCPUの電源ケーブルが抜けかかっていた。
前回、ちゃんと奥まで挿し込んだはずなのに…。
もしかすると、CPU周辺のファンの振動が影響して、その付近に挿したケーブルは徐々に抜けていってしまうのかもしれない。

PCケースの中はケーブルだらけで挿しにくかったりする。
今日はマザーを一旦ケースから取り外し、ちゃんとツメがカチっと鳴るまで挿しこんだ。
(ケースから取り外すのに1日がかりだったが…)
ついでにCPUファン周りに埃がたまっていたので掃除した。

とこれで大丈夫かと思いきや、また発症。
原因を探ってみると、どうやらPCI拡張ボードを挿している事が原因であることがわかった。
自分のASUSマザーはどうもPCIスロットの作りが甘く、2つあるスロットのうち1つは完全にボードを認識せず、もう1つの方も普段問題ないと見せかけて、突然KP41が発症するという凶悪仕様となっている。
調べてみるとこれは自分に限ったことではなく、ASUSマザー全体についてそうした傾向があるようだ。
接点復活剤でがんばる人もいるが、自分はそこまでこのマザーに希望を見出せないので、もうPCIのボードの使用は止めようと思う。
という事でPCオーディオで活躍してきたimpact twinはしばらくの間お蔵入りか…orz

それにしても、KP41の残酷なところは、本体に多少難があってもそれなりに動いてしまうことだ。
発症するまでの動作は正常な状態とまるで変わらず、区別がつかない。
またKP41には起きやすいタイミングと起きづらいタイミングが存在する。
例えば、画面を解像度を800×600でaeroをオフにすればKP41は発症しにくくなる。
一方、重い動画などを再生していたりすると発症しやすい。
なので、

・Flashをインストールしない
・ビデオカードのドライバをインストールしない
・IEを使わない
・サウンドカードをインストールしない
・WindowsUpdateをしない

ような使い方であれば割と問題なく使えてしまう。
ここに、KP41の原因がソフトウェア要因のバグであると誤解してしまう要素がある。
何年もこんなことに無駄に時間を費やしてしまうなんて、改めて考えると非常にかわいそうな話だ。
自分は年をとったおかげで残された時間が無限ではなく限りがあることを意識するようになった。
まあ1日に何度も不意に再起動を繰り返すようなら、ハードウェアに何らかの異常が発生していると考えるべきだろう。
(もちろん周辺機器のドライバ不具合等が原因でKP41が引き起こされる場合もある。
また原因が一つとは限らない。複合要因の場合は原因に対し一つ一つ対処していくしかない。)

これは音楽をSPDIFでデジタル転送する際、クロックがリンクしていなくてもそれなりに聞けてしまう状況と似ている。
クロックのずれは聞きなれている曲でもない限り、気づかず聞き流してしまうと思う。
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2015年 01月 13日 *
この前エージングが終わったと思っていたFOSTEX TH-7だったが、もう一段階先があった。
かれこれエージングに100時間近く要したと思う。
インピーダンスが多少高いヘッドフォンとはいえ、これはどうにかならないものだろうか。
社会人ともなると音楽を聴けるのは平日だと2時間前後しかなく、約1ヶ月近くも睡眠時間を削りつつ本領発揮でない状態の音を聴き続けなければならない。

エージングとは不思議なものだ。
この間にヘッドフォンに一体何が起こっているのか全くわからない。
それほど購入後の1ヶ月間は音の変化が激しかった。
その度にプレイヤー側で音質を調整したり試行錯誤を繰り返した。

●FOSTEX TH-7のここ1ヶ月間の主な動き

①高音・低音ともにそれなりによく鳴る。しかし高音の音はとにかく硬い。
 スネアの音なんか普通はタンタンという音なのに、バチバチと毎回リムショットみたいに聞こえた。

②音が全体的におとなしくなる。

③プレイヤー側で50~100%の音量にしてもなぜか低音域の音が出ず、シャリシャリした音しか鳴らなくなる。
 仕方なく、プレイヤー側の音量を2%、アンプ側の音量を9時の方向に合わせてやっとバランスが取れた音になる。

④いつの間にかプレイヤー側の音量を50%くらいの状態にしても低音が出るようになっていた。
 ようやくヘッドフォンが本来の音を取り戻し始めた。

ここまで来るのにほぼ毎日2時間前後聞き、1ヶ月くらいかかった。
エージングが完了したので、次は音質調整である。

先日も触れたが、プレイヤー側とヘッドフォンアンプ側の音量をどのように設定するかで音質がガラリと変化する。
音質どころか、定位も激しく変化する。
この辺は調整が必要な部分で、適切な値にしないと、曲が本来の音楽性が損なわれた状態での再生となってしまい、うっかり間違えると非常にテンションが下がることになる。
従ってこの調整は重要である。

本来はプレイヤー側の音量を100%にし、アンプ側の音量も回せば音質劣化は生じないはずだが、これだとすぐ難聴になるのではないかと思うほど大きな音量になるので設定は現実的に無理。
ならプレイヤー側の音量を100%にし、アンプ側の音量を適切な所まで下げればいいのではないか。
しかしこの設定だと、アンプ側でかなりボリュームを絞らないと聴ける音量にならない。
ボリュームは、部品でいうと抵抗であり、ボリュームを下げるということは、可変抵抗の値を大きくすることを意味する。
この時、ボリュームを大きく下げすぎると音が歪んで劣化してしまう。

では、プレイヤー側の音量を1%にし、アンプ側の音量を上げればいいのではないか。
そうすればさっきのような音質劣化を防ぐことができる。
しかし今度は音楽データのビット落ちが問題になってくる。
ヘッドフォンから聞こえる音のバランスは問題ないが、音の情報量が低下したことで解像度が落ちてしまう。
それにプレイヤー側の音量を下げると、アンプ側に必要な電力量は少なくなり、ヘッドフォンへの負荷が減る。
これについては後日時間があれば補足するが、ヘッドフォンには適度に負荷をかけてあげた方がいい音がする。
(ただし、普段ウォークマンやiPodでしか聴いていない場合は、ヘッドフォンがまだ高出力に慣れていないので、エージングが再度必要となり、いきなり本領発揮の音は出ないので注意。)

という訳で、どちらの方法を取るにせよ、音質劣化の問題が出てくるので、この中間のポイントを探れば、ちょうどよい音質を得ることができる。


★簡易的な音量の設定方法

ここでは最近の自分の設定例を紹介する。
あくまで例として参考にして頂ければ幸いである。

まず動画の再生プレーヤーの音量を100%に合わせた状態でアニメのTSファイルを再生する。
そしてアンプ側の音量をいじりながら、テレビアニメの音声が明瞭に聞き取れ、かつ心地よく聞こえる状態になるような位置に調節する。
(この時、アニメはなるべく全体的に音量がそれほど大きくないものを敢えて選択する。それで会話等が明瞭に聞き取れる所まで下からボリュームを徐々に上げていくのがポイント。ここで上げすぎるとAIMP3で音量を稼げなくなるので適度な所で止める)
これでひとまずアンプ側のボリューム設定は完了。
今度は音楽再生プレイヤーAIMP3の音量を下げた状態で音楽ファイルを再生し、心地よく聞こえる状態になるまでプレイヤー側の音量を上げる。
(なおこの方法で調節すると、AIMP3の音量は自分の環境では35%前後となる。)

これで楽しい音楽ライフを!

ここからは個人の感想になるが、やはり僕はwolfsonのDACの音が好きだ。
AT-HA25Dは生産終了になっているものの、間違いなく名器と言える。
レビューサイトを見ると意外と否定的なレビューも散見される。
内容を要約すると、
「期待していた程、音に劇的な変化はなかった」
というものになる。

これは非常に納得のいく感想ではある。
僕もwolfsonの音を初めて聴いた時、別に普通の音だと思った。
PCのオンボードの音と大して変わらないとさえ思った。
それだけ何の変哲もない音に聞こえたからだ。
しかししばらくして、「何の変哲もない音」にとても価値があることに気がついた。
素直な出音の素晴らしさに気づいた。
人によってはこのことに気づくまで半年かかるかもしれない。
いや数年かかるかもしれない。
でも何気ない、普通の音がいいのだ。

AKの音がいいのはわかるが、ずっとあれを聴いていたのではいつか心が折れてしまう。
解像度を求めても、きれいな音を追いかけても、結局キリがない。
果たして音質の追求が自分のやりたかったことなのだろうか。
違う、僕はもっとリラックスして、そのままの単純な音を聞きたかっただけだ。

AKのようにキラキラしていない。
かといってCirrus Logicのように炭酸の抜けたコーラのような味気ない音ではない、確かな存在感のある音。

僕はこの音がとても好きだ。
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2015年 01月 12日 *
気づけば秋アニメも終わりかぁ。
感想は書けなかったけど、割と視聴継続したアニメが多かった。
SHIROBAKOは2クール目も楽しみ。
他にも俺ツイ、グリザイアの果実、トリニティセブン、ヤマノススメ二期、デンキ街の本屋さん、失われた未来を求めて、異能バトルは日常系のなかで、と
少し挙げるだけでもかなりの数に上り、豊作だったように思う。
結局最後が微妙だった作品も幾つかあるけど。
「失われた未来を求めて」は結局色ミスが一番印象に残ったし、ヤマノススメの登場人物はみんなかわいくて本当に毎日悩ましかった。

中でも掲示板で話題になっているように、ここなちゃんの家庭環境の描写はじわじわ来るものがある。
「けいおん」なもそうだけど、登場人物がみんな裕福で、家族があまり出てこない、というのはエロゲに幼馴染の同級生が登場するのと同じ位基本的な設定だ。
もちろんその方がストーリーを進めやすいからそうなっているのであり、家族は無駄だから意図的にアニメの世界から排除されている。
だけどちょっと待って欲しい。本当に同じ設定を模倣し続けるままでいいのだろうかと。
ここなちゃんがかえでちゃんの部屋に初めて遊びに行った時、かえでちゃんが「狭い部屋だけど…」っていうんだけど、ここでここなちゃんが困った表情をする。
その風景描写がもう胸を締め付けられるようで、なんだか幸せにしてあげたいっていう気持ちが自然と胸の奥から湧き出てくる感じになる。

トリニティはBGMががんばっていたと思うし、デンキ街の本屋さんも最初はそうでもなかったけど徐々に面白くなっていった。
グリザイアの果実は途中から急に遭難ルートに豹変した。
なんだろう、これはアニメでやる必要があったのだろうか。
エロゲならプレイする価値があるのはわかるけど、アニメとなると少しハードルが上がってしまう。
アニメはリアルさに欠けると成立しなくなってしまう媒体だと思う。
例えば、100年前ならまだしも、情報の発達した現代で山林で遭難したところで、あそこまで精神が崩壊する状況になるのだろうか。
一人くらいGPS機能を持つ携帯を持っていなかったのか?
そう考えていくとあまり感情移入できなかったり。
雪山の遭難ならまだ説得力があったかもしれないが。
なぜ山の遭難であそこまでキャンプして待つ必要があったのだろうか。
何日も経過してから道を探すなら、なぜもっとはやく探さないのかと思ってしまった。

京アニがKey作品を手がけた試みは見事に成功したけど、やはり何でもかんでもアニメ化すれば成功する訳ではない。
各ヒロインのルートがぶつ切りで挿入されたり、テキストだから感情移入できる場面を無理やりアニメ化したり。
PSYCHO-PASSは面白いアニメだけど、シナリオとしては所々破綻しているように見える。
攻殻SACの頃から実際に起こった事件や映画など色々なところからパクって混ぜ合わせるという手法が続いている訳だが、PSYCHO-PASSに関しては前提知識がないとついていけない人が出てくるのではないか。
掲示板を見ると案の定、ノンリーサル・パラライザーがあれば敵を殺す必要ないじゃん、とかいう書き込みが出てくるし。
あれはそうではなく、その場で刑を執行するというSF映画「ジャッジ・ドレッド」的な設定だからそうなのだ。
ただそうはいっても犯罪係数は将来的に下がる可能性もゼロではないので、何も全員殺すことはないだろうという疑問は残る。
そもそもそうした矛盾点は通常であればシナリオから遠ざけるのが定石だと思うのだが、PSYCHO-PASSに関してはアニメストーリーの矛盾を指摘する敵キャラクターが恥らう様子もなく登場してくるところに特徴がある。
例えばどんなに高度なセンサーを用いたとしても犯罪係数が常に正確な数値を示すとは限らない。
物事には限界や例外が存在するのであり、例外に対処する仕組みはシステムに組み込まれているのか? という疑問が生まれるが、このアニメではなぜか敵の登場人物がシナリオ・世界観の破綻について言及する。
硬派な世界観であればおかしなことをせず、硬派を貫いて欲しい。
使い古された設定をパクるだけでなく、現代風のアレンジも加えて欲しい。
ここまで来ると見所は女性視点であれば男性の裸だったり、男性視点であれば萌えくらいしかない訳で、花澤香菜さんが「女子は狡噛さんの身体をぜひ凝視して」というのも頷ける気がする。
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2015年 01月 07日 *
来るのは「結婚しました」という写真つきの年賀状ばかりで気分が落ち込む。
自分はこのまま生きてはいけないような気がした。

失意の後、スマホでニコニコ動画の電波ソングを聞いていたら、自分が悩んでいることなどどうでもいい事に思えてきた。
特に↓の動画の途中で「ラッキー」とかいう台詞が聞こえた時、電車の中で盛大に吹いてしまった。

ふたなりミルク DE イチバン搾り!!


題名からしてひどいが、かなり破壊力のある曲だと思った。
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2015年 01月 04日 *
我々は時間を過去に遡ることは不可能である。
それが自分の考えだ。
それゆえそれに反する主張や物語の設定はことごとく信じることができない。
つまり現状の僕は、概念が固定化されてしまっている訳である。
しかし彼は僕とは違い、もう少し柔軟に物事を捉えている。
彼とはもう一人の自分のことだ。

20年前の世界にタイムスリップしたとしよう。
その仮定が出た時点で僕はその話を信じることができないのだが、今回はそれが可能だったとして話を進めてみよう。
見上げるとそこには、錦糸町駅北口にそごうが建っている。
しかし1995年の時代にそごうが建っているのはおかしい。
錦糸町駅北口にそごうが営業していたのは、1997年から2000年にかけてだからである。
ではなぜ1995年にそごうが建っているのか。
それは、20年前にタイムスリップしたといっても、同じ世界線上の世界に戻ったとは決まっていないからである。
よって、何らかの要因により1995年に既に錦糸町そごうが営業を開始していた世界もあり得る訳だ。

よくSFもののアニメやドラマに出てくるのが、登場人物が過去の自分にロトやナンバーズの当選番号を伝えてお金持ちになるというシチュエーションである。
しかし上記の理由から、必ずしも狙った番号が出るとは限らないので意味を成さない。
そうするのであれば、当時まだ発表されていないアイディアを探して、過去の自分に伝えて商品化して儲けるという方法の方がまだ現実味がある。

基本的に時間(s)は横軸で表現される。
僕はそう思っていたし、これからもそれは変わらないと思っていた。
しかし彼の主張によれば、時間には横軸だけではなく縦軸が存在するというのだ。
その縦軸に様々な世界が存在する。
20年前だろうと今この瞬間だろうと、様々な並行世界が存在する。
実際僕たちはその間を行ったり来たりできる訳ではないので、そんな事を考えても無意味のような気がするのだが…
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The Original by Sun&Moon