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probability
2010年 02月 12日 *
新幹線の開通、高速道路の開通、テレビの普及、大阪万博、NASAの月面着陸。
子供の頃、そんなものを目の当たりにした。
一つのものが世の中全体を変えていくような、そんな夢がどこにもある気がしていた。

僕には兄が一人いた。
とても暴力的な兄だった。
いつも何を考えているかわからない。
同じ血が通っているとは全く思えなかった。
生活は貧しく、兄弟は同じ部屋で暮らしていた。
兄と暮らす間、僕はいつ自分が殺されるのかと脅えながら過ごしていた。

僕と兄はよく喧嘩になった。
ある日、僕と兄は喧嘩になり、僕は兄の顔面を殴ろうとした。
兄はそれをよける素振りを見せなかった。
お前のパンチなど受けてもどうということはない。それより確実に俺はお前を仕留める。
兄はそう思っていたのかもしれない。
その兄の態度は僕に少なからず恐怖を与えた。
僕は隙だらけの顔を殴ってやろうと拳に力を入れたが、胸からこみ上げてくる恐怖感が制止させた。
傍の台所に火をかけたままのフライパンがあった。
僕はとっさの判断で、兄の顔面を両手でがっちり捕まえると、火のかかっているフライパンの上に押し付けた。
「じゅう」と焦げる音がした。その後、肉の焼ける臭いがした。
僕はこのまま自分が殺されるという恐怖感から、必死で兄の顔面をフライパンに表面に押し付けていた。
1分ほど経過し、ようやく自分に迫る危険は回避できたのではないかと思えた。
もしかすると兄は窒息死しているかもしれない。
そう考えると恐くなって、僕は顔面を押さえつけていた手を離した。
すると兄はさっきより動きが鈍っていたものの、生きていた。

僕は暴力的な兄が普段何を考えているか全く理解できなかったが、それでも一緒に暮らさなければならなかった。
身近な所に自分の生活を一変に変えてくれる何かがある気がしていた。
兄の日常といえば、昆虫を採ったり魚を捕まえたりして、それを金に変えようとしていた。
珍しい品種を捕まえれば大金を得られると思ったのだろうか。
確かに人類が月に行ったくらいだから、それくらいのことは起こるかもしれない。
そんな時代の空気が流れていた。

ある朝、兄が酒瓶を抱えているのを見た。
中身は全くわからなかった。
酒瓶の中にはきっと酒や麻薬などが混合された得体の知れない謎の液体が入っているのだろう。
兄はそれを近所の人に売りつけようとしていた。
しかも更に悪いことに、兄の話に興味を示す女性が現れた。
この液体が世の中を変えるかもしれないとでも思ったのだろうか。
そんなはずないのに。
しかし、数日が過ぎると、もしかすると間違えているのは自分の方かもしれないという意識が芽生え始めていた。
そもそも、あの中に何が入っているかなんて僕には全くわからないのだ。

兄と僕は酒場へと足を運んだ。
そこは薄暗い空間に若者達がごった返しており、思い思いのダンスを踊る者もいれば、椅子に座って酒を飲んでいるものもいた。
兄はここで液体を売りさばこうというのだろうか。
見ると、先日兄の持つ液体に興味を示した女性が立っていた。

ところが女性が発した言葉は、僕の予想に反するものだった。
「すぐにここから逃げてください」

僕はあたりを見回すと、入り口の方に数人の男が入ってくるのが見えた。
その男達は周りの若者達と比べて異質な存在だった。
警察だろうか。彼らは僕達を追ってきたのだろうか。
僕はそれを察知すると瞬時にしゃがみ、兄の手を無理やり下に引っ張って腰を落とさせた。
「兄さん、逃げよう」僕は言った。
しかしフロアが人で溢れかえっており、思うように動くことができない。
建物の裏口がどこあるのか見当もつかなかった。
このままでは男達に捕まってしまう。
そう考えていると周囲で不思議なことが起こっていた。
ある人は席を立ち、ある人は席に座り、ある人はダンスを踊っている。
その一つ一つの偶然が積み重なり、逃げるための隙間ができていった。
そして僕はこの建物から脱出することができた。

その後も僕は夢中で兄の手を引っ張って連中から逃げた。
気づくと海岸沿いまで来ていた。
さっきの男達がやって来る気配はなかったが、僕は周囲を警戒していた。
そして僕はこれから起こる出来事を、生涯忘れることはないだろう。

陸の方ではなく、海の方から「それ」はやって来ていた。
最初は白くて細い棒のように見えた。
しかし時間が経つと、それが単なる棒ではないことがわかった。
得体の知れない巨大な塔がこちらに向かって進んできている。
その姿はだんだん大きくなっていった。
塔が近づくにつれ、塔がこちらにやって来ているのか、僕の立つ陸が塔に向かって進んでいるのかわからなくなった。
輪郭がはっきりしてくると、塔の真ん中にはトンネルのような黒い穴が開いているのが見えた。
やがて塔はこちらまであと一歩のところまで接近すると、僕達ごと一気に飲み込んだ。

辺りは黒い闇に包まれていた。
そこはまるで宇宙のようだった。
兄と僕はその空間の中で浮遊する宇宙飛行士のようだった。
そこで僕は言葉では形容しがたいものを発見した。

それは一眼レフに装着するレンズに似ており、サイズは実際のものより大きい。
そのレンズがいくつも水中を回遊する魚のように漂っていた。

一つのレンズが僕達の目の前で静止した。
レンズは僕達のことを見ていた。
そしてレンズは兄の持っている酒瓶に視線を移動した。
レンズは酒瓶に対して光を照らした。
それはまるで中身を分析するかのようだった。
やがて光の照射された酒瓶に模様が浮かび上がった。
その模様はレンズの外観・形状と非常に調和の取れた形だった。
レンズは確認を終えると、塔と一緒にどこかへ消えてしまった。
兄と僕を残したまま。
兄の方に目をやると、手に酒瓶を持っていなかった。

それから何年か過ぎた。
レンズと遭遇する事件は二度と起こらなかった。
だがあれは一体何だったのかという思いは消えずに残ったままだ。
僕はあの出来事がきっかけで精密機械工学を学び、今では光学機器メーカーに勤めている。
兄はあれから何度か傷害事件を起こし、刑務所で服役中だ。

未だにわからない。
得体の知れない塔とその中に潜んでいたレンズの群れもさることながら、なぜあの時、兄と僕はあの建物から脱出することができたのだろう。
その時点でおかしな出来事の前触れは既にあったのだ。
普通に考えて、あんなに都合よく出口へ逃げられるはずはない。
まるで第三者があのフロアにいた連中を操っていたかのように。
あのレンズ達(地球外生命体、いや生命という概念を超越している存在としか思えない)は、人の心までをも動かすことができたというのだろうか。

フロアの若者達はみな思い思いの行動を取っていた。
そして僕達が出口へと直進できる可能性は限りなくゼロに近かった。
にもかかわらず僕達は、一本筋の道に導かれるように脱出することができた。

当時の光景を思い返してみよう。

一人の若者が席を離れた。
そばにいた別の人間がその席に座った。
そして開いた空間に別の人間が移動してきた。
そんな行動の連鎖が次々と起こって、出口への道が開けた。
例えるならドミノ倒しのように。
それぞれの動きは単体では起こり得ないが、すぐそばである事象が起こったから起こり得た一連の出来事。
それを意のままに操れる者がいたとすれば、それはもう神としか言いようがない。

だがもしあの時出会ったのが神だとしたら、兄の顔の大火傷の痕をきれいさっぱり消してくれたのではないだろうか。
そして兄の暴力的な性格もきれいに取り払って、僕達が神と出会った記憶すら消し去ってくれたのではないだろうか。

そう、あの出来事には何となく目的が感じられる。
兄の持ち物の回収。
一体どこからどこまでが仕組まれていたのか。
どこからが神の領域と呼ばれる部分なのか。

レンズ達は最初から兄の酒瓶を回収するつもりだったのかもしれない。
自ら種を蒔き、育てた稲を計画的に刈り取るように。
だから彼らはこの世に暴力的な兄が生まれることを許したのかもしれない。

もしあの時出会ったものが本当に神なら、僕は神を慈悲深い存在とは思わない。
兄が顔に負っている傷は、僕の心をいつまでも苦しめるだろう。
直接会わなくても心の奥底で罪の意識に苛まれ続けるだろう。
僕が呼吸をし続ける限り、そして兄が呼吸をし続ける限り。

40億年前、地球上で最初の生命が誕生した。
しかし、人類はこれまで一度も生命の製造に成功してはいない。
宇宙で生命が誕生する確率は限りなく低いと言われている。
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by nochoice1 | 2010-02-12 15:12 | フィクション | Comments(0) *
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