これは一種のエフェクトみたいなものだ。
最初に色を加える過程があり、次に色を塗る過程がある。
2番目の過程はノイズ除去とも言える。
通常、写真は細かい粒子の情報が集積して出来ているが、その細かい情報を大ざっぱにしてしまう。
それは色を間引いているようなもので、情報量としては欠損させている。
2番目の過程ではあまり考える必要はない。
写真を絵のように見せられるかは、1番目の過程でどのような色を選択するかがポイントとなる。
ここで失敗すると絵筆で描いたような写真にはならない。
全体を通してみると単なる情報の欠如と言いきれないような気もする。
確かにある意味では情報の欠落が生じている。
例えばアルコールなどのドラッグを考えてみると、飲酒によって平衡感覚などが欠如するが、飲酒による効能も全くない訳ではない。
お酒にしても絵の加工にしても、単に情報を欠落させているだけではないので、エフェクトという単語を使用することにする。
エフェクトのかけ方によって、人間が写真のように判断したり、絵のように判断したりするのは不思議なものだ。
脳がそのように判断に至るまでの要素があったことになる。
写真はリアルで絵は想像の世界のもの。
文章でいうならノンフィクションと小説の違い。
一見似ているようでいて、全く非なるものだというところが面白い。