僕は生きた証を残したいと考えていました。
でもその考えの行き着く先は、遺書を残して死のうとか、そういう低次元の発想しか浮かんで来ませんでした。
生にはいつか終わりが来る事を感じています。
少なからず周りの人が死んでいくのを見て、自分も例外ではなく、生きている以上は死ぬ運命にあるのだと思います。
しかもそれは、そう遠くない未来に起こります。
何かに打ち込んでいると、時間はあっという間に過ぎていきます。
そのスピードを考慮に入れると、もう本当にすぐ終わりが来てしまうのです。
僕が思いつくようなレベルで生きた証を残したとしても、すぐに人々には忘れ去られてしまうでしょう。
それじゃ、生まれてきた意味がありません。
生きている以上はこの世に何か功績を残したい。
そう考えるようになりました。
功績とは何だろうか。
みんなの役に立つことだろうか。
みんなを幸せにすることだろうか。
みんなが満足するものなんてあるだろうか。
印象はそれを受け取る側に依存している。
自分が読みたいと思う文章を書いている訳ではないのと同様に、自分が会いたいと思う人物を演じている訳じゃない。
しかも、自分を客観視する事なんて不可能だ。
最初は真似からはじまって、次第に自分の書きたい事を書く。自分の生きたいように生きる。
それでいいと思う。
みんなの賞賛を得られなくてもいい。
みんなの賞賛を得ても、中にはそれを全く否定する人だっているかもしれない。
だから周りに合わせる必要なんてない。
みんなの賞賛を得られなくても、中にはそれを全く肯定する人だっているかもしれない。
だから周りに合わせる必要なんてない。
自分の生きたいように生きよう。