Top
2017年 10月 31日 *
よくUSBオーディオインターフェースの出力は音がいいと思われがちだが、それは誤解だ。
確かによほど粗悪なオンボードサウンドカードと比較すれば相対的に音はマシと言えるが、一般的に音がいいとは言えない。
入出力ポートの増設にお金がかかっているからである。
よって、いい音で聞くことを目的としてUSBオーディオインターフェースにお金をかけるのは間違っている。
いい音で聞くという観点で考えるなら、ASIO再生対応のUSBオーディオインターフェースが1万円以下で買える。
そのデジタル出力からDAC・アンプを経由して聞く方が安価にいい再生環境が構築できる。

RolandなどのUSBオーディオインターフェースはリスニング用途というよりギターやマイクの音を録音する用途で販売されている。
だが長年疑問に思うことがある。
なぜRolandの製品はギターやマイクの入力とライン入力が兼用になっているのか。
ギターやマイクのインプットがゲインつまみ付きなのは分かるが、ライン入力にそれって必要なんだろうか。
ライン入力がインプットゲインを通過することで音が歪む。
RMEのように20万円以上するような機種は別として、Rolandクラスでその事は想像に難くない。
にもかかわらずRolandはフラッグシップ機種でもそのスタンスは変わらない。
これは一体どういう設計思想なのだろう。

エントリークラスでちゃんとギターとラインを別々に分けているのは、現行モデルではSteinbergのUR44などが挙げられる。
きっと探せばもっとあるのだろうが、RolandやTASCAMみたいな有名メーカーがこの状況なのはどうなんだろう。

UR44のブロックダイヤグラムより引用
ギター・マイクとライン入力が分かれているので安心できる。

b0041624_2492727.jpg

いい音で聞く・いい音で録ることを考えるなら、減衰や増幅の部分はなるべく排除するべきだ。
(オーディオ界ではしごく当然の事かもしれないが…)
PCの再生ソフトで音量を絞ることによるデータのビット落ちより、アンプのアナログボリュームによる音質劣化の方が大きい。
(個人的にはよく巷で言われている、「ビット落ちで音質を劣化させない為に再生ソフトの音量は100%にしてアンプのボリュームで調節する」は誤りだと思う)
この現象からも、いかにアナログの減衰増幅が音質を劣化させているを実感する。
[PR]
2017年 10月 30日 *
素朴な疑問として、ヘッドフォンやDACや機材の比較記事は沢山掲載されているが、耳の状態によって音質は変わるという事についてあまり触れられないのはなぜなのだろう。
昨日、今日で全く同じ曲を聞いて同じ音で聞こえて同じ感情を抱くことは無いのに。
体の要因は、それだけコンディションによる振れ幅が大きい。

厳密に言えば視力だって昨日今日、更に1日の中で変化している。
体の内的要因だけでなく気候などの外的要因によっても変わる。
僕達はそんな揺らぎの中で音を聞いているのであり、例え機材を変更したとしてもとてもすぐには評価出来ないと感じる。

調子のいい時もあれば調子の悪い時もある。
それはスポーツであれ、楽器であれ、同じだろう。

願わくば毎日いい音を聞いていたいと思う。
結局、楽しんだ者が一番の勝者であり、どんな状況であろうと自分が気持ちよく聞ければそれでいい。
演奏家が観客を楽しませるのが使命なら、聞き手だって自分を楽しませる演奏家としての自覚を持っていても決しておかしくはない。
演奏家が日々練習し腕を磨くように、聞き手も自分を楽しませるよう鍛錬しなければならない。

AT-HA25Dはそこそこのヘッドフォンと組み合わせてもいい音を聞かせてくれる。
TH-7Bはそこそこのアンプと組み合わせてもいい音を聞かせてくれる。
その意味では両方ともいい機材と言えるが、その2つを組み合わせると今度は音がきつくなってしまうというか、聞き疲れてしまうというか。
とりあえず機材の種類は何百もあり、その組み合わせの種類は何万通りも存在する。
単体だけを評価するのは本当は難しいことなのかもしれないが、評価されている機材は大抵、どの機材と組み合わせてもいい音を聞かせてくれるから評価が高いのだろう。
市販のDACやアンプはアッカリーンのような特徴がないのが特徴の機材を目指しているように見える。
尖ったものがない分、どのヘッドフォンと組み合わせても破綻することがない。
もちろん、いいヘッドフォンと組み合わせれば音の向上は見込める。
それでいいのかという気もするが、一般向けの製品では仕方のない事かもしれない。
[PR]
2017年 10月 25日 *
これまでの総集編と新規カット。
これだけの情報だと、どうせTV版と変わらないんだろ、申し訳程度の新規カットが付け足されただけで。
と思いがちである。
実際、アニメの劇場版はそういう所があり、暗黙の了解のようなものがあったように思う。
だがこれは違った。
これはこれでありだ。
TV版の消化不良だった部分を補填したというか、これこそ完全版といってもいいのかもしれない。

TV放映時はカードに手を出したら不幸になるという印象が強くてカードのCMをされても買う気になれなかった。
カードに元々興味のある人は別として、自分のような新規顧客をターゲットとした拡販に繋がったかは疑問だった。

しかしこの劇場版はTVや映画だからという理由ではなく、純粋に作品としていいものになっている。
再編集の映画でここまで予想をいい意味で裏切られるものも珍しい。

wixross.jpg

全然関係ないが、「ばくおん!!」で途中から出てくるキャラクター(中野千雨)を初めて見た時も自分の予想を見事に裏切られた。
それまでは途中から登場してくるキャラは大抵、作品のテコ入れのために唐突に挿入されることがあって、話としては面白くないという先入観があった。
にもかかわらず「ばくおん!!」の千雨は途中から登場したにしてはキャラがかなりいい味出している。
けいおん的には梓ポジであり途中からの登場は予定調和といえるが、あれが突如追加されたものなのか、それとも当初から構想に入っていたものなのか個人的には気になるところだ。
[PR]
2017年 10月 25日 *
去年、飯能市のふるさと納税でヤマノススメ限定グッズが返礼品としてラインナップされてて、ザックを勢いで手に入れてしまった。
当時は単なるアニメグッズではない実用品であることから注目していたのだが、よく考えてみるとこれを身につけて歩くのは少し恥ずかしい。
これで三つ峠を登ろうものなら、いかにもって感じで、変な視線を浴びそうな気がする。
気づく人はごく少数だろうけど。

chums[1].jpg

という訳で届いてからも箱から出してすらいない…。
オークションにでも出そうかとも思い、相場を見ると3万円~5万円前後、ってなんじゃこりゃ。微妙にプレミア価格がついている。
自分としては5千円くらいで実際に使ってくれる人に落札して欲しいのだが、あまり安い値段をつけても転売屋さんに落とされるだけのような気がする。
かといってこのまま倉庫に眠らせておくだけというのもなぁ。

ヤマノススメの冒頭にある、忘れられない思い出、っていう言葉は山に登ってみて実感する。
あの経験は他では味わえないものだし、実際に登った者にしかわからない。
世の中にはそういう体験があるのだと。

今度のOVAも期待。


yama.jpg
[PR]
2017年 10月 25日 *
アニメのピークは、のんのんびよりを見たあたりだったかもしれない。
録画ファイルの更新日時を見ると、のんのんびより12話が「2013/12/24 3:00」になっている。
改めて、これをリアルタイムで視聴できるのは夜勤やニートくらいじゃないのかと思ってしまうが、あまり深くは考えないことにしよう。

その後4月からTOKYO MXがマルチ編成を始めて、素人目にも画質が下がったのがわかった。
そこで自分の中で何かが終わった。
それまでの画質は本当に良く、これを無料で視聴できるのは大変ありがたいことだと思った。

音楽に例えるなら、YouTubeにあがっている動画の音質はmp3ほど良くないので、あまり聞く意味がない。
それと同じで、劣化した画を見てもそれは制作者が世に送り出した状態とは明らかに異なるもので、やはりオリジナルに近い状態で視聴すべきだと思う。
画質面ではマルチ編成前のTOKYO MXがピークだった。
BS11という手もあるが、全てのタイトルには対応できないしファイルサイズが無駄に大きくなってしまう。

アニメは何度も同じ話を見ることはほとんどない。
だがのんのんびよりは何回見ても面白い。
今期のアニメの状況を見ても、あの頃はよかった、なんてこの先も言っていそうな気がする。

nonnon.jpg
[PR]
_
2017年 10月 20日 *
千葉ポートタワーの花火大会は、もうとっくに終わったのだ。

あの頃、花火大会が開催されるたび、人が集まるたび、周囲が騒がしくなるたび、一人で家にいる自分が恥ずかしかった。
いつもの日常であれば許されたかもしれない。
いやそれもただの勘違いに過ぎない。
更にどうすればいいのかわからなくなる。
普段は居場所がないことを必死で取り繕っていた。
その日常が少し変化しただけで、全く対応できなくなる。

あの時自分を変えていれば、もう少しがんばっていれば、素敵な思い出を作ることができていたのかもしれない。
今だって。

だが千葉ポートタワーの花火大会は、もうとっくに終わったのだ。
[PR]
_
2017年 10月 15日 *
それは停滞というのではないだろうか。

何もないことへ感じていた危機感がいつの間にか消え、何も感じなくなる。
不快感はあるものの乗り切れない程ではなく、時間をかけてゆっくり消化されていく。
消化といっても体に吸収されることはない。
ルーチンワークのように不純物は体外に排出され続ける。

もう自分は何年も前に死んでいるのだ。
あとの残り時間はもう何もなくていいのだ、そう言い聞かせて納得させている。

何だかわからない。
時々堤防が決壊したかのように涙が止まらなくなる。
その気持ちをどこにぶつけたらいいかわからず、呼吸が乱れ子供のように声をあげて泣く。

原因の一つ一つを探ってみたところで何かわかる訳でもない。
悲しいとかつらいとかの言葉は何の意味もない。
かえって真実から離れてしまう。

自分の中でイメージする風景があり、その世界に絶対的な存在感がある。
それに比べて今自分の目の前に突きつけられている現実はあまりに違う。
[PR]
2017年 10月 01日 *
こういう大ヒット作品はなかなか見る気が起こらないものだけど、ちょっとした時間が出来たので…。
気象現象にファンタジー要素が入るのは「いま、会いにゆきます」や「オーロラの彼方へ」が思い浮かぶけど、このアニメも面白かった、やっぱり。
終わってみると短い、もっと見たい、って気になっている自分がいた。

見る前は宣伝に対する先入観というか、あの画風にしても東京はあんなに綺麗じゃないだろ、と一人心の中で突っ込みを入れていた。
ただまあ現実があまりに糞だからアニメの中くらい良いんじゃないか、という気持ちに変わっていった。

自分の思い描く「他人の記憶が入ってくる感覚」と少し通じるものがあるけど、少し違った。
このアニメは両方とも現実世界の出来事で、二人は過去に会っていることから、同じ世界を共有している。
「他人の記憶が入ってくる」という意味では映画「クリミナル 2人の記憶を持つ男」にもそういう描写がある。
ただ最近思うに、忘れてはならないのは、記憶にしても感覚にしてもそれを受容する「ハードウェア」が必要だということ。
他人の記憶や感覚を切り出して移植したところで、最終的には肉体がなければ成立しない。
そのことを抜きにして語ることはできない。
だが、どこからどこまでが肉体でどこからどこまでが精神が司るかと聞かれると線引きは難しい。
記憶だけ移植するといっても範囲が大きければ本人の性格さえも変化しかねない。
つまり、自分ではない、ただの他人になってしまう可能性がある。
記憶が入ってきたと自覚できれば御の字で、能力を移植したはいいが人格まで変わってしまったという事態になりかねない。

前にも書いたけど、異世界にも電車はちゃんとあって、車内には詳細な路線図も掲示されている。
その路線図は一体どこから来たのか。
現実世界でも僕はこれまで何十年も生きてきたけど、乗ったことのない路線は沢山ある。
そうした路線に乗り、これまで見たことのない詳細な路線図を見ることは可能だ。

自分の知らない所で毎日毎日、知らない電車が時刻通りに動いている。
そこには詳細な路線図があり、毎日毎日、知らない誰かがそれを利用し、自分の知らない日常が動き続けている。
僕は初めて乗る電車の中で思う。
こんな風景があったのかと。
それだって、本当は不思議なことなのかもしれない。
[PR]
2017年 09月 28日 *
selector WIXOSS を最後まで見た。
過去に見た事があるのだが、その時は事前情報を知らず、なぜか2期の第一話から見てしまった。
その時は話に全くついていけず視聴を断念したのだった。
今回やっとまとまった時間が出来たので、1期1話から見ることにした。

第一印象として、このアニメって果たしてカードの拡販になっているのだろうか、と心配になってしまった。
例えていうなら、この世界のカードはアウターゾーンでミザリーが露店で売っているような呪われた商品で、関わった人物みんなを不幸にする。
ここまでのものを24話も途切れることなく構成しているのは、エンターテイメントとしてすごいと思う。
ただホラーというかシリアスというか、方向性がはっきりしているので、そういうものが好みでない人には向かないかもしれない。

アウターゾーンが出てきたからついでに言うと、あの作品の魅力は、過去のおとぎ話やホラー作品に見られる物語の決まりごと(ルール)を破るところにあると思う。

個人的にダンガンロンパやFLATのシークレットゲームのような世界観は好きだ。
登場人物は誰かを殺さなければ自分が殺されるみたいなルールを強制的に突きつけられるのだが、終盤でそのルールを攻略(あるいは克服あるいは打破)していく展開に面白さを感じる。

アウターゾーンの作者自身も何本ものホラー映画を観て、こういう終わりだったらいいのにという悔しさを作品に反映させていると語っている。
世に出回る作品群というものはだいたいストーリーは決まっていて、それはその方が何かと都合がいいからそうなっている。
その型を崩してしまうと多くの場合において作品に魅力がなくなってしまうからお約束通りの展開に落ち着く。
その方法論は決して間違っていないのだが、個人的にはそこに新しいものを付加して物語を全く違うものに仕立てる精神のもと作られた作品の方に魅力を感じる。
作品としては失敗していたとしても、型にはまった作品を見るより結果的によかったと思える。
[PR]
2017年 09月 26日 *
電車の中でみんなスマホをいじっている事について苦言を述べている人は、きっと電車の中でスマホをいじっている側の人間ではない。
20年前と比べて景色が様変わりして、人も変わったように見えて気味が悪いと感じるのかもしれない。

友達なんていなくていいと言う人がいるけど、いないよりいた方がよっぽどいいだろうと思う。
逆に、人と関わらなくて、閉じた世界で生きて、一体何をするんだと思う。
携帯でもメールでもSNSでも、一方通行じゃなくて、人と会話するのはいいことじゃないか。
相手のいない自分だからこそ自信を持って言える(笑)。

引きこもりが登場する作品は多い。
アニメだとあの花とか。
今期だと天使の3Pとか。
まだ冒頭しか見てないけど、OVERDRIVEのキラ☆キラみたいな本格的な音楽アニメになるのだろうか。
舞台が児童養護施設で、その辺も物語とどう絡むのか気になる。
施設と言えば、るーすぼーい氏の関わった夏の燈火も里子の話で、作中であまり触れられていないからか、あまり話題にならないけど。
施設や里子というと、虐待とかネグレクトとか、ちょっとネガティブな要素が連想されるので、アニメだとどの程度出して来るんだろう。
[PR]
ページトップ
The Original by Sun&Moon